おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか?
ところで皆さまは蕎麦(そば)はお好きでしょうか?
私は今まで蕎麦の味が判る、蕎麦好きということにしていました。家内へ蕎麦の味を説明したりもしました。家内が蕎麦好きなので対抗心からそのように振る舞っていたのです。
しかし本当は蕎麦の味が分からないのです。もう80歳になったので家内へ嘘を言うのを止めることにしました。
今まで、蕎麦好きの家内につきあって都内の老舗、深大寺蕎麦、高尾参道の蕎麦、戸隠の蕎麦まで随分と蕎麦を食べに行きました。味の違いは判りますが、しかし美味しくて感動したという経験がありません。
しかし世の中には蕎麦好きの方が多いようです。そこで先週、訪れた山梨県の長坂にある「翁」という蕎麦屋をご紹介いたします。蕎麦通の人には名高い店です。
この店は高橋邦弘さんという方が池袋から移って、1986年に開店しました。私の山小屋から車で30分ほどの場所なので何度も蕎麦を食べに行きました。
ざる蕎麦と田舎蕎麦の2種類だけしか出しません。天婦羅などの種物が厳禁です。はじめて行った時、天婦羅蕎麦と言ったら高橋さんに無言で睨まれました。それ以来、天婦羅などの種物は蕎麦そのものの味を隠してしまうことが分かりました。
その高橋さんが2001年に広島の「達磨・雪花山房」へ行ってしまったのです。現在の翁は直弟子の大橋さんが相変わらずざる蕎麦と田舎蕎麦を出しています。種物は一切出しません。
先週、久しぶりに翁へ行きましたら、家内が感動してざる蕎麦を食べていました。蕎麦の色が薄緑で美しく蕎麦の香りがさわやかで歯ごたえが丁度良い、おいしい!といいます。ダシの効いたタレも絶妙だと言うのです。どんな味かと聞くと、「素晴らしい味です」と答えます。
しかし私には蕎麦の美味しさが理解出来ません。しかしガッカリする必要はありません。創業者の高橋邦弘さんが以下のように語っているからです。
「百人が食べて、百人がおいしいということはあり得ないんです。食べた人間すべてが翁が一番、他のそばは食べられないなんてことになったら、むしろ疲れちゃいます。 そのうち30人が気に入って、残ってくれれば、充分じゃないかと思います。」
納得しました。私はこの言い方の100人中の70人なのです。
そこでハタと思い出しました。箱根の東は蕎麦文化圏で西はウドン文化圏だと誰かが言っていたことを思い出しました。
しかし食文化の違いによってこのように2分することはいささか雑過ぎると思います。
箱根の東には長野県や新潟県の蕎麦の産地の山村も含めるべきでしょう。しかし関東から東北にかけてはウドン風のものは昔からよく食べられてきました。小麦粉を練って、寝かせた後に指でちぎって味噌汁にいれて食べます。「すいとん」と言ったり「おきりこみ」と言ったり「ほうとう」と言います。みんな小麦粉ですが、ちぎり方や切り方が違うのです。
仙台生まれ、仙台育ちの私は蕎麦は食べたことがありませんでした。もっぱらスイトンでした。ウドンも食べました。
そして兵庫県出身の父が帰省する度に三輪ソーメンや揖保乃糸ソーメンを食べ、その美味しさに感心したものです。
ですから蕎麦のあじは判りませんがソーメンの味は判ります。家内はソーメンに関心がありません。揖保乃糸を買って来てくれと頼むと、美味しいソーメンを出してくれます。
家内と私の背負っている食文化が違うのです。
食文化は地域によって違います。国によって食文化が違うように、日本の食文化と言っても地方、地方によっても違います。昔、甲府に行ってソースカツ丼という独特の美味しいカツ丼で感激したことを憶えています。
しかしさらに詳しく「食文化」を考察すると時代や地域による部分もありますが、母親の料理方法や味付けが子供に伝承されることも重要だと思います。「食文化は女性が支えている」とも考えられるのです。
さて皆様はお蕎麦の味がお好きでしょうか?
そして皆様のお住まいの地方にはどのような食文化があるでしょうか?変わった料理方法や味付けの特徴があったら是非お教えください。
下に長坂の翁の写真と蕎麦の写真と高橋邦弘さんの写真を示します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料================
高橋邦弘について
昭和19年、東京生まれ。
東京都、南長崎に「翁」を開店する。
昭和54年8月
長野県、池田町にてそばの栽培を始める。
昭和60年7月、南長崎「翁」閉店。
昭和61年4月、山梨県、長坂に「翁」開店、自家製粉開始。
玄そばを求めて全国の産地を訪ね、生産者たちと交流を広める。
平成13年6月、広島県豊平町長笹「達磨・雪花山房」にて、そば指導を中心とした活動を開始する。現在、全国のそば会、そば祭り等で各地を飛び回っている。
ところで皆さまは蕎麦(そば)はお好きでしょうか?
私は今まで蕎麦の味が判る、蕎麦好きということにしていました。家内へ蕎麦の味を説明したりもしました。家内が蕎麦好きなので対抗心からそのように振る舞っていたのです。
しかし本当は蕎麦の味が分からないのです。もう80歳になったので家内へ嘘を言うのを止めることにしました。
今まで、蕎麦好きの家内につきあって都内の老舗、深大寺蕎麦、高尾参道の蕎麦、戸隠の蕎麦まで随分と蕎麦を食べに行きました。味の違いは判りますが、しかし美味しくて感動したという経験がありません。
しかし世の中には蕎麦好きの方が多いようです。そこで先週、訪れた山梨県の長坂にある「翁」という蕎麦屋をご紹介いたします。蕎麦通の人には名高い店です。
この店は高橋邦弘さんという方が池袋から移って、1986年に開店しました。私の山小屋から車で30分ほどの場所なので何度も蕎麦を食べに行きました。
ざる蕎麦と田舎蕎麦の2種類だけしか出しません。天婦羅などの種物が厳禁です。はじめて行った時、天婦羅蕎麦と言ったら高橋さんに無言で睨まれました。それ以来、天婦羅などの種物は蕎麦そのものの味を隠してしまうことが分かりました。
その高橋さんが2001年に広島の「達磨・雪花山房」へ行ってしまったのです。現在の翁は直弟子の大橋さんが相変わらずざる蕎麦と田舎蕎麦を出しています。種物は一切出しません。
先週、久しぶりに翁へ行きましたら、家内が感動してざる蕎麦を食べていました。蕎麦の色が薄緑で美しく蕎麦の香りがさわやかで歯ごたえが丁度良い、おいしい!といいます。ダシの効いたタレも絶妙だと言うのです。どんな味かと聞くと、「素晴らしい味です」と答えます。
しかし私には蕎麦の美味しさが理解出来ません。しかしガッカリする必要はありません。創業者の高橋邦弘さんが以下のように語っているからです。
「百人が食べて、百人がおいしいということはあり得ないんです。食べた人間すべてが翁が一番、他のそばは食べられないなんてことになったら、むしろ疲れちゃいます。 そのうち30人が気に入って、残ってくれれば、充分じゃないかと思います。」
納得しました。私はこの言い方の100人中の70人なのです。
そこでハタと思い出しました。箱根の東は蕎麦文化圏で西はウドン文化圏だと誰かが言っていたことを思い出しました。
しかし食文化の違いによってこのように2分することはいささか雑過ぎると思います。
箱根の東には長野県や新潟県の蕎麦の産地の山村も含めるべきでしょう。しかし関東から東北にかけてはウドン風のものは昔からよく食べられてきました。小麦粉を練って、寝かせた後に指でちぎって味噌汁にいれて食べます。「すいとん」と言ったり「おきりこみ」と言ったり「ほうとう」と言います。みんな小麦粉ですが、ちぎり方や切り方が違うのです。
仙台生まれ、仙台育ちの私は蕎麦は食べたことがありませんでした。もっぱらスイトンでした。ウドンも食べました。
そして兵庫県出身の父が帰省する度に三輪ソーメンや揖保乃糸ソーメンを食べ、その美味しさに感心したものです。
ですから蕎麦のあじは判りませんがソーメンの味は判ります。家内はソーメンに関心がありません。揖保乃糸を買って来てくれと頼むと、美味しいソーメンを出してくれます。
家内と私の背負っている食文化が違うのです。
食文化は地域によって違います。国によって食文化が違うように、日本の食文化と言っても地方、地方によっても違います。昔、甲府に行ってソースカツ丼という独特の美味しいカツ丼で感激したことを憶えています。
しかしさらに詳しく「食文化」を考察すると時代や地域による部分もありますが、母親の料理方法や味付けが子供に伝承されることも重要だと思います。「食文化は女性が支えている」とも考えられるのです。
さて皆様はお蕎麦の味がお好きでしょうか?
そして皆様のお住まいの地方にはどのような食文化があるでしょうか?変わった料理方法や味付けの特徴があったら是非お教えください。
下に長坂の翁の写真と蕎麦の写真と高橋邦弘さんの写真を示します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料================
高橋邦弘について
昭和19年、東京生まれ。
東京都、南長崎に「翁」を開店する。
昭和54年8月
長野県、池田町にてそばの栽培を始める。
昭和60年7月、南長崎「翁」閉店。
昭和61年4月、山梨県、長坂に「翁」開店、自家製粉開始。
玄そばを求めて全国の産地を訪ね、生産者たちと交流を広める。
平成13年6月、広島県豊平町長笹「達磨・雪花山房」にて、そば指導を中心とした活動を開始する。現在、全国のそば会、そば祭り等で各地を飛び回っている。