地球上には実にいろいろな文化が花咲いています。大別すると東洋文化、西洋文化、中東文化、アフリカ文化、その他になると思います。
この中で私が比較的よく知っているのが日本の文化と欧米の文化です。両方に在住した経験のある私にとっては比較しやすい2つの文化です。そこで今日から、「欧米人に自慢したい日本の文化」と題する連載記事を気楽に書いて行きたいと思います。
自慢したい日本文化は私自身の趣味と好みで勝手に選んだものですから異論がありましても どうぞ寛容にお許し下さい。
第一回目の今日は夏のお盆での亡くなった先祖と家族の交流の風習を取りあげます。お盆になると、家族は亡くなった先祖を家に来てもらい、歓迎し感謝し冥福を祈るのです。そして亡くなった先祖は家に帰ってきて、家族の傍らに立ち、その幸せを祈るのです。
お盆が終わると先祖さまは又彼岸に帰って行きます。
私の考えでは、お盆の風習は欧米人へ自慢したい美しい日本の文化の一つなのです。
一方、欧米人も亡くなった家族の墓詣りをして、故人を偲びます。故人が生き返ってきて話をしてくれることを夢見ます。ですから日本人のお盆の風習を理解出来ます。羨ましいと思うでしょう。それが自然の人情というものです。
それではもう少し詳しく書いてみましょう。
夏になると地方、地方で違ういろいろなお盆の行事があります。先祖の霊を迎え、霊をなぐさめ供養するのです。
ご先祖さまをなぐさめるためにいろいろなお供え物を捧げます。そして盆踊りを楽しんで貰います。青森では佞武多(ねぶた)も楽しんでもらいます。
この世とあの世の行き来の乗り物としてキュウリやナスで作った牛や馬をを飾ります。
迎え火で亡くなった家族の霊を家に迎えます。盆の行事がすむと送り火でご先祖様たちをあの世へ送ります。精霊流しで霊が安らかにあの世に帰るのを祈るのです。
この風習は日本人の優しさの象徴のようなものです。
幻想的で美しい行事がそれぞれの地方でおこなわれるのです。そこで一つの例として「盆踊り」を取り上げてみます。
盆踊りはどんなに騒がしくても死者への捧げものなので一抹の哀愁がこもっているようです。
たとえば激しい踊りの郡上八幡の盆踊りの中にも淋しい曲と所作が混じっています。
私が見たいろいろな盆踊りの中で一番印象深いものは富山県のおわら風の盆です。
踊り手の女性は笠を深くかぶり、絶対に顔を見せません。姿だけの踊りで先祖の霊を供養するのです。男衆の踊りも凛々しく落ち着いたもので、何故か淋しげな表情で三味線や胡弓を弾きます。
通りに面した家々は電燈を消して静かにしています。
ああ、これが本来の盆踊りなのだと感動したことが忘れられません。
その風の盆の写真を3枚お送りいたします。
この3枚の写真の出典は以下の通りです; 富山市八尾町のおわら風の盆:http://henmi42.cocolog-nifty.com/yijianyeye/2014/08/post-8c8c.html
お盆に行われることは盆踊りだけではありません。
地方によっては「施餓鬼」(せがき)と呼ばれ、餓鬼道に陥った亡者を救ったり、餓鬼棚と呼ばれる棚を作り、道ばたに倒れた人の霊を慰めるなどの風習もこの頃に行われます。
また、盆提灯と呼ばれる特別な提灯を仏壇の前に飾ったり、木組に和紙を貼り付けた灯篭を流す灯篭流しや、提灯を小船に乗せたようなものを川などに流す精霊流しを行う場合もあります。
特に長崎県長崎市では精霊船を曳き、市内を練り歩くのが有名です。
特殊な例として盛岡市では供物を乗せた数m程度の小舟に火をつけて流す「舟っこ流し」が行われます。
そして私は「精霊流し」という言葉を聞くと、何故か悲しい気持ちになります。悲しい夏の夜の風物詩です。
その風景を2枚の写真で示します。
この2枚の写真の出典は以下の通りです。
精霊流しの写真:http://blogs.yahoo.co.jp/yokohama_crows/GALLERY/show_image.html?id=50643264&no=2
精霊流し夜景:http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/tass/blog/123614.html
このようなお盆の風習は欧米人にも意味が判ります。しみじみと静かに考えさせます。
欧米では死者はみな天国にいてイエスさまと神様の足元に幸せに暮らしていると信じられています。天上からこの世の家族の幸福を見守っているのです。しかし死者がこの世に降りてきて家族と交流することはありません。
それは最後の審判の時イエスさまがこの世に来て全ての人の審判をするのです。その時全ての死者が復活して生き返るのです。
欧米ではこのように信じられています。
しかし彼等も人間です。愛した人が死んだら、また再び会えるように願うのは自然なことです。日本のお盆の風習はその願えをかなえるかも知れません。ですから私が自慢したい日本の文化の一つです。
お盆の風習は無意味だというような野暮は言わないで下さい。それは一つの文化なのです。
さて人それぞれお盆にはいろいろな思い出をお持ちのことと思います。
お盆の時期は地方によって違います。先祖の霊の迎え方やお供え物も違います。盆踊りも違います。これこそ豊かなローカル文化として、夏の美しい風物詩になっているのです。
皆様のお盆にまつわる思い出をお聞かせ頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
この中で私が比較的よく知っているのが日本の文化と欧米の文化です。両方に在住した経験のある私にとっては比較しやすい2つの文化です。そこで今日から、「欧米人に自慢したい日本の文化」と題する連載記事を気楽に書いて行きたいと思います。
自慢したい日本文化は私自身の趣味と好みで勝手に選んだものですから異論がありましても どうぞ寛容にお許し下さい。
第一回目の今日は夏のお盆での亡くなった先祖と家族の交流の風習を取りあげます。お盆になると、家族は亡くなった先祖を家に来てもらい、歓迎し感謝し冥福を祈るのです。そして亡くなった先祖は家に帰ってきて、家族の傍らに立ち、その幸せを祈るのです。
お盆が終わると先祖さまは又彼岸に帰って行きます。
私の考えでは、お盆の風習は欧米人へ自慢したい美しい日本の文化の一つなのです。
一方、欧米人も亡くなった家族の墓詣りをして、故人を偲びます。故人が生き返ってきて話をしてくれることを夢見ます。ですから日本人のお盆の風習を理解出来ます。羨ましいと思うでしょう。それが自然の人情というものです。
それではもう少し詳しく書いてみましょう。
夏になると地方、地方で違ういろいろなお盆の行事があります。先祖の霊を迎え、霊をなぐさめ供養するのです。
ご先祖さまをなぐさめるためにいろいろなお供え物を捧げます。そして盆踊りを楽しんで貰います。青森では佞武多(ねぶた)も楽しんでもらいます。
この世とあの世の行き来の乗り物としてキュウリやナスで作った牛や馬をを飾ります。
迎え火で亡くなった家族の霊を家に迎えます。盆の行事がすむと送り火でご先祖様たちをあの世へ送ります。精霊流しで霊が安らかにあの世に帰るのを祈るのです。
この風習は日本人の優しさの象徴のようなものです。
幻想的で美しい行事がそれぞれの地方でおこなわれるのです。そこで一つの例として「盆踊り」を取り上げてみます。
盆踊りはどんなに騒がしくても死者への捧げものなので一抹の哀愁がこもっているようです。
たとえば激しい踊りの郡上八幡の盆踊りの中にも淋しい曲と所作が混じっています。
私が見たいろいろな盆踊りの中で一番印象深いものは富山県のおわら風の盆です。
踊り手の女性は笠を深くかぶり、絶対に顔を見せません。姿だけの踊りで先祖の霊を供養するのです。男衆の踊りも凛々しく落ち着いたもので、何故か淋しげな表情で三味線や胡弓を弾きます。
通りに面した家々は電燈を消して静かにしています。
ああ、これが本来の盆踊りなのだと感動したことが忘れられません。
その風の盆の写真を3枚お送りいたします。
この3枚の写真の出典は以下の通りです; 富山市八尾町のおわら風の盆:http://henmi42.cocolog-nifty.com/yijianyeye/2014/08/post-8c8c.html
お盆に行われることは盆踊りだけではありません。
地方によっては「施餓鬼」(せがき)と呼ばれ、餓鬼道に陥った亡者を救ったり、餓鬼棚と呼ばれる棚を作り、道ばたに倒れた人の霊を慰めるなどの風習もこの頃に行われます。
また、盆提灯と呼ばれる特別な提灯を仏壇の前に飾ったり、木組に和紙を貼り付けた灯篭を流す灯篭流しや、提灯を小船に乗せたようなものを川などに流す精霊流しを行う場合もあります。
特に長崎県長崎市では精霊船を曳き、市内を練り歩くのが有名です。
特殊な例として盛岡市では供物を乗せた数m程度の小舟に火をつけて流す「舟っこ流し」が行われます。
そして私は「精霊流し」という言葉を聞くと、何故か悲しい気持ちになります。悲しい夏の夜の風物詩です。
その風景を2枚の写真で示します。
この2枚の写真の出典は以下の通りです。
精霊流しの写真:http://blogs.yahoo.co.jp/yokohama_crows/GALLERY/show_image.html?id=50643264&no=2
精霊流し夜景:http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/tass/blog/123614.html
このようなお盆の風習は欧米人にも意味が判ります。しみじみと静かに考えさせます。
欧米では死者はみな天国にいてイエスさまと神様の足元に幸せに暮らしていると信じられています。天上からこの世の家族の幸福を見守っているのです。しかし死者がこの世に降りてきて家族と交流することはありません。
それは最後の審判の時イエスさまがこの世に来て全ての人の審判をするのです。その時全ての死者が復活して生き返るのです。
欧米ではこのように信じられています。
しかし彼等も人間です。愛した人が死んだら、また再び会えるように願うのは自然なことです。日本のお盆の風習はその願えをかなえるかも知れません。ですから私が自慢したい日本の文化の一つです。
お盆の風習は無意味だというような野暮は言わないで下さい。それは一つの文化なのです。
さて人それぞれお盆にはいろいろな思い出をお持ちのことと思います。
お盆の時期は地方によって違います。先祖の霊の迎え方やお供え物も違います。盆踊りも違います。これこそ豊かなローカル文化として、夏の美しい風物詩になっているのです。
皆様のお盆にまつわる思い出をお聞かせ頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)