後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本民族とは?(5)和を尊び団結して努力する民族」

2020年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム
日本民族は昔から輝かしい文化を持っていました。しかし客観的に日本民族の良いことと悪い面を考えることは大変重要なことと信じています。
例えば日本の文化の特徴に和をもって貴しとなすというものがあります。この文化には良い面と悪い面があります。
良い面の一例を上げれば、日本の会社では社員が勝手なことを言わないで、会社の方針に従って一致団結して新製品の大量生産に努力し、品質の高い工業製品を製造して来たことです。その結果が戦後から1990年頃まで続いた日本の経済の高度成長なのです。
それだけではありません。和をもって貴しとなすという文化のおかげで、家庭には言い争いの無い静かな平和があるのです。職場にも和気藹々とした平和があるのです。
この家庭の平和や職場の平和こそかけがえのない大切なものです。
しかしこの文化には悪い効果もあるのです。それは恐ろしい一面です。
(1)和を強調し過ぎるあまり、協調性の無い人間を残酷にも排除しようとします。
(2)異なった意見を排除するので、日本では独創的な芸術や新しい科学技術が生まれ難い。

これらの「和をもって貴しとなすという文化」の欠点をもう少し掘り下げて考えてみましょう。
日本では和を強調し過ぎるあまり個性を尊重しません。学校でも会社でも他人と違う意見を言うことは悪いことだという風潮があります。協調性の無い人間はいじめられます。疎外されます。一人前の人格者とは見做されません。
その結果、個性の強い子供は学校で不登校になりがちになります。
協調性の無い人間は会社で偉くなれません。職場で正論を言う人は嫌われます。言っていることがどんなに会社の為になっていても無視されます。そうして、「そういうことは社長になってから言え!」と叱られます。
不愉快なので会社を辞めます。これが苦難の人生の始まりになります。
日本の会社は正しいことを言う自由がないのです。課長は部長の言いなりです。当然、身分の低い社員は上役に従順になります。個人の自由が無いのです。会社の、ある部分だけを見れば軍隊に入隊するような決心がいるのです。
和をもって貴しとなすという文化の弊害は学校や会社の人間関係に限ったことではありません。
地域社会でもその悲劇が起きるのです。
一つだけ実例をあげます。
近所に会津出身の人が変わったデザインの家を建て引っ越してきました。引っ越してから親しくなって話を聞きました。
すると郷里の会津の悪口を何度も何度も訴えるのです。結論を書けば、「自分が他人と違い過ぎると、さんざんいじめられた」と言うのです。
会津では個人を尊重しないで、傷つけられたと言うのです。そして会津には二度と帰らないと言います。

さて日本では独創的な芸術や新しい科学技術が生まれ難いという問題に移ります。
これは日本の学校教育に問題があるのです。
イギリスに長く在住して、あちらの大学を卒業した石山 望さんが書いていました。
・・・まず、大学の授業ですが、先生は、勿論、その教科に限り「全知の人」です。
しかし、余程専門的なことでない限り、先生は、学生に「皆で、一緒に学びましょう。私ももっと知りたいのです」という感じを抱かせる、。これは日本の大学と大きな違いと思います。
従って、生徒は、先生から「君たち、どう思う?」と問われることが、常です。
生徒に考えさせるのですね。従って、生徒は、事前にかなり予習をしていかなければなりません。
「論文」に関しても同じです。学生は最後に結論として、”自分はこう思う”とはっきり書くことが厳しく要求されるのです。他人からの受け売りではなく、自分独自の見解を書くことが必須条件なのです。・・・
上記は、「和をもって貴しとなす文化」の欠点です。
それでは良い側面は何でしょう?
それは天皇や権力者を中心に団結し皆で努力することです。これには甚大な効果が上がるのです。明治維新以来の日本民族の発展ぶりを見れば明らかです。

7世紀後半からの律令制によって天皇中心の社会が出来ました。
この天皇制の確立の結果、天皇を中心とした中央集権制が確立したのです。その後、時代が流れ、鎌倉幕府、室町幕府、そして江戸幕府が出来ました。しかし天皇制の重要性は変わりませんでした。
足利尊氏の南北朝の時代は例外ですが、全ての幕府は天皇を上に頂き、天皇の委託によって政治を行って来たのです。ですから日本民族の中心は歴代の天皇にあったとも言えます。
これは世界の歴史を見ると実にまれな民族です。
中国でも朝鮮でも王朝が目まぐるしく交代するのに対して、日本では同じ血筋の天皇が脈々と続いて来たのです。これこそが日本民族の特徴ではないでしょぅか。

明治維新後、78年目に日本は敗戦により全てを失ったのです。78年間、えいえいと培ってきたすべてが灰燼に帰したのです。
この悲劇の幕引きは昭和天皇の玉音放送でした。この事実こそが日本民族の心の中心に天皇があったという証拠ではないでしょうか。
そして「忍び難きことをしのび、堪え難きことをたえ」日本民族は団結して復興に努力したのです。それは民族の存亡をかける経済復興の戦いでした。
昭和天皇は国民を勇気づけるために全国の津々浦々を回り、街頭で帽子を振り国民を激励したのです。結果、戦後75年間の経済の高度成長が進行し、現在に至っているのです。

このありさまを素直に見ると「日本民族とは天皇を中心にして努力する民族である」という言い方もできるのです。
私は右翼でも国粋主義者もありません。
単に日本民族の歴史と他民族の歴史を比較し文化人類学的に観察してありていに書いたに過ぎません。

さて皆様は日本民族と天皇制に関して如何なご意見をお持ちでしょうか? コメントを沢山頂けたら嬉しく思います。
今日の挿絵代わりの写真は海の写真です。私が由比ヶ浜と茅ヶ崎海岸と色丹半島を撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)