鎌倉は比較的に暖かい所なので11月下旬にならないと紅葉しません。
2018年の11月25日に円覚寺の紅葉の写真を撮って来ました。
円覚寺は私が好きな禅宗のお寺です。鎌倉五山第二の大きなお寺で、境内には総門、山門、仏殿、選仏場、方丈、国宝の舎利殿、12の塔頭(たっちゅう)など多くの建物があります。
円覚寺の紅葉の写真をお楽しみ下さい。
1番目の写真は境内の紅葉の写真です。この写真の出典は、http://www.engakuji.or.jp/blog/ です。
2番目の写真は山門の内側の紅葉です。この写真の出典は、http://www.engakuji.or.jp/blog/ です。
3番目の写真は山門の脇の大銀杏の黄葉の写真です。これと次の写真は自分で撮ったものです。
4番目の写真は坐禅堂の選仏場の写真です。この坐禅堂は元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の建物です。円覚寺では一般向けの座禅会や学生座禅会など毎日のように座禅会を開催していて誰でも気軽に座禅が組めます。
さて禅宗や座禅のことをごく簡単に書いて置きます。
禅宗はインドの大乗仏教の一つの宗派です。それを中国に来て伝承したのが達磨(ボーディダルマ478−528年)です。彼は、南インドの香至国(こうしこく)の国王の三男として生まれました。詳しいことは、https://true-buddhism.com/history/daruma/ をご覧下さい。
その後、中国でいろいろな禅宗の宗派が出来ましたが、日本に導入されたのは宋時代(鎌倉時代)の曹洞宗と臨済宗、そして江戸時代の黄檗宗の3つの宗派だけです。それぞれの開祖は、曹洞宗は道元さま、臨済宗は栄西さま、黄檗宗は隠元さまです。
禅宗の特徴はお釈迦さまの教えを理解するには経典を勉強することと座禅をすることの両方がもっとも重要だという教義にあります。
このように座禅を重要視する宗派は他にはありません。
しかし坐禅の持つ意味や目的の解釈は、曹洞宗と臨済宗では考え方が別れるようです。
曹洞宗は何かの目的のための手段として坐るのではなく、坐禅そのものが目的であり、坐ること自体に集中する禅の立場にとっています。
日本曹洞宗の祖の道元は、ただひたすら坐ることに打ち込む只管打座(しかんたざ)を唱えています。
只管打座が重要な理由が不立文字の故です。
不立文字とは、「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」の語句の始めの語句です。
その意味は、「経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって釈尊の悟りを直接体験する」という意味となり、禅宗の根本を示すものです。
禅は、インドで古くからある精神修行の方法で、それが仏教に取り入れられたものです。
「不立文字」は、中国の禅宗の開祖として知られるインドの達磨(ボーディダルマ)の言葉として伝わっており、「文字(で書かれたもの)は解釈いかんではどのようにも変わってしまうので、そこに真実の仏法はない。したがって、悟りのためにはあえて文字を立てない」という戒めです。
何が何だか煙に巻かれたような説明ですね。
宗教とは何が何だか分からない事を信ずることです。ですから禅宗には深い宗教性があるのでしょう。
さて円覚寺は1282年 中国から招かれた無学祖元により鎌倉で創建されました。
円覚寺は、無学祖元から夢窓疎石へと受け継がれ日本の禅の中心となったのです。
明治以降に禅を西洋に紹介した鈴木大拙は在家の居士として参禅しました。
また夏目漱石も円覚寺の座禅に参じており、その経験は「門」という作品に描かれています。「夢十夜」の第二夜の夢にも座禅の体験が書かれています。
それはそれとして紅葉の写真を見ながら禅宗や座禅のこともお考え下さい。
2018年の11月25日に円覚寺の紅葉の写真を撮って来ました。
円覚寺は私が好きな禅宗のお寺です。鎌倉五山第二の大きなお寺で、境内には総門、山門、仏殿、選仏場、方丈、国宝の舎利殿、12の塔頭(たっちゅう)など多くの建物があります。
円覚寺の紅葉の写真をお楽しみ下さい。
1番目の写真は境内の紅葉の写真です。この写真の出典は、http://www.engakuji.or.jp/blog/ です。
2番目の写真は山門の内側の紅葉です。この写真の出典は、http://www.engakuji.or.jp/blog/ です。
3番目の写真は山門の脇の大銀杏の黄葉の写真です。これと次の写真は自分で撮ったものです。
4番目の写真は坐禅堂の選仏場の写真です。この坐禅堂は元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の建物です。円覚寺では一般向けの座禅会や学生座禅会など毎日のように座禅会を開催していて誰でも気軽に座禅が組めます。
さて禅宗や座禅のことをごく簡単に書いて置きます。
禅宗はインドの大乗仏教の一つの宗派です。それを中国に来て伝承したのが達磨(ボーディダルマ478−528年)です。彼は、南インドの香至国(こうしこく)の国王の三男として生まれました。詳しいことは、https://true-buddhism.com/history/daruma/ をご覧下さい。
その後、中国でいろいろな禅宗の宗派が出来ましたが、日本に導入されたのは宋時代(鎌倉時代)の曹洞宗と臨済宗、そして江戸時代の黄檗宗の3つの宗派だけです。それぞれの開祖は、曹洞宗は道元さま、臨済宗は栄西さま、黄檗宗は隠元さまです。
禅宗の特徴はお釈迦さまの教えを理解するには経典を勉強することと座禅をすることの両方がもっとも重要だという教義にあります。
このように座禅を重要視する宗派は他にはありません。
しかし坐禅の持つ意味や目的の解釈は、曹洞宗と臨済宗では考え方が別れるようです。
曹洞宗は何かの目的のための手段として坐るのではなく、坐禅そのものが目的であり、坐ること自体に集中する禅の立場にとっています。
日本曹洞宗の祖の道元は、ただひたすら坐ることに打ち込む只管打座(しかんたざ)を唱えています。
只管打座が重要な理由が不立文字の故です。
不立文字とは、「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」の語句の始めの語句です。
その意味は、「経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって釈尊の悟りを直接体験する」という意味となり、禅宗の根本を示すものです。
禅は、インドで古くからある精神修行の方法で、それが仏教に取り入れられたものです。
「不立文字」は、中国の禅宗の開祖として知られるインドの達磨(ボーディダルマ)の言葉として伝わっており、「文字(で書かれたもの)は解釈いかんではどのようにも変わってしまうので、そこに真実の仏法はない。したがって、悟りのためにはあえて文字を立てない」という戒めです。
何が何だか煙に巻かれたような説明ですね。
宗教とは何が何だか分からない事を信ずることです。ですから禅宗には深い宗教性があるのでしょう。
さて円覚寺は1282年 中国から招かれた無学祖元により鎌倉で創建されました。
円覚寺は、無学祖元から夢窓疎石へと受け継がれ日本の禅の中心となったのです。
明治以降に禅を西洋に紹介した鈴木大拙は在家の居士として参禅しました。
また夏目漱石も円覚寺の座禅に参じており、その経験は「門」という作品に描かれています。「夢十夜」の第二夜の夢にも座禅の体験が書かれています。
それはそれとして紅葉の写真を見ながら禅宗や座禅のこともお考え下さい。