今日は北海道から九州迄晴れ上がり気持ちの良い天気になりました。でも昨日は冷たい雨が一日中降っていたのです。その昨日、秋雨が蕭条と降る深大寺と武蔵野公園の写真を撮りに行って来ました。
深大寺は733年に創建され、浅草寺と並んで東京では最も古いお寺の一つです。天台宗別格本山の寺です。武蔵国の国分寺は760年代始め頃に完成していますので、それより20年も古いお寺です。
昨日、撮って来た写真をお送りします。いつもは人や車で混んでいる門前の道もコロナと雨の影響でか閑散としていました。
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この深大寺には三つの重要なお堂があります。「深沙大王堂」と「元三大師堂」と「阿弥陀如来が本尊の本堂」です。
寺を創建した満功上人は玄奘三蔵法師の弟子がはじめた法相宗を学び、玄奘三蔵法師を深く尊敬していました。三蔵法師がインドへ旅した途中、西域の大河、流砂河を渡るときその河の砂の中に住む水神の深沙大王に助けられました。その経緯から満功上人はお寺の名前を深大寺として、650年には深沙大王の像を安置しました。現在は「深沙大王堂」に祀ってあります。「深沙大王堂」は本堂から離れた分かり難い場所にありますが、私は必ず車を寄せてお参りします。玄奘三蔵法師を尊敬しているからです。
その後、750年頃、このお寺は天台宗に変わります。その関係で、991年には天台座主、元三慈恵大師の像を本尊にし、「元三大師堂」を本堂の左に作りました。以後、江戸、明治、現在に至るまで「元三大師堂」は人々の信仰を集めています。ですから元三大師堂も深大寺で非常に大切なお堂でした。
深大寺の本堂は元三大師堂の右側にあります。それは江戸時代からあったものを大正時代に建てかえたものです。
深大寺の寺領は現在の神代植物公園も含めて広大であったといいます。多数の小作人を擁し、寺領の畑には蕎麦を栽培して来ました。江戸時代は代代の将軍へソバを献上し、元三大師堂への参拝客相手のソバ屋が多数あったと伝えられています。現在も参道にはソバ屋が並んでいます。
さてもう少し詳しい歴史を加えておきます。(https://www.jindaiji.or.jp/about/ )
(1)天台の法流を汲み、東国第一の台密道場へ
平安時代、清和天皇の貞観年中(八六〇年頃)、武蔵の国司蔵宗が反乱を起こし、この降伏を祈念するために、修験の達者である比叡山の恵亮和尚が勅命をうけ東国に下りました。特に恵亮和尚は深大寺を道場に定めて、逆賊降伏の密教修法を行ない、その平定の功により清和天皇は、近隣七ヶ村を深大寺に寄せられ、寺を恵亮和尚に賜りました。
(2)比叡山より「元三大師自刻像」を迎える
正暦二年(九九一年)第十八代天台座主、慈恵大師すなわち元三大師の自刻像が、大師の高弟である慈忍和尚、恵心僧都両師の意を受けた寛印により遥か叡岳より深大寺に遷座されました。
(3)「元三大師信仰」大いに振るう
徳川期、深大寺の元三大師像の開帳が明和二年(一七六五)七月と文化十三年(一八一六)六月の二回、両国の回向院で執行されています。江戸時代には元三大師堂へ参拝するのが重要だったのです。「元三大師信仰」大いに振るっていたのです。関東地方に比叡山の慈恵大師すなわち元三大師の信仰があるのは珍しいのです。深大寺はその意味で東京では特別な古刹なのです。
(4)銅造釈迦如来像(白鳳仏)の鑑定と国宝指定
像高 83.9㎝のこの釈迦如来像は明治42年(1909)に飛鳥時代7世紀~8世紀初と鑑定されました。そして大正2年に国宝指定となったのです。寺院伝来の仏像としては都内寺院唯一で東日本最古の国宝仏なのです。銅造釈迦如来像(白鳳仏)は「元三大師堂」の左にある特別な建物の中で一般公開されています。
昨日は秋雨の降る中、家内が車を下りてあちこちを歩いて深大寺の写真を撮ってくれました。
帰りに都立武蔵野公園の中を通ったら、公園の風景も晩秋の雰囲気です。何故か心打たれたのでその写真も撮りました。
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あの暑かった夏の間咲き誇っていたカンナもうらぶれた風情です。
こうして秋も過ぎゆきやがて霜が降り寒い冬がやって来るのでしょう。季節の移り変わりを沁みじみと感じた昨日の秋雨の風景でした。皆様、昨日はどのようにお過ごしたでしょうか。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
深大寺は733年に創建され、浅草寺と並んで東京では最も古いお寺の一つです。天台宗別格本山の寺です。武蔵国の国分寺は760年代始め頃に完成していますので、それより20年も古いお寺です。
昨日、撮って来た写真をお送りします。いつもは人や車で混んでいる門前の道もコロナと雨の影響でか閑散としていました。
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この深大寺には三つの重要なお堂があります。「深沙大王堂」と「元三大師堂」と「阿弥陀如来が本尊の本堂」です。
寺を創建した満功上人は玄奘三蔵法師の弟子がはじめた法相宗を学び、玄奘三蔵法師を深く尊敬していました。三蔵法師がインドへ旅した途中、西域の大河、流砂河を渡るときその河の砂の中に住む水神の深沙大王に助けられました。その経緯から満功上人はお寺の名前を深大寺として、650年には深沙大王の像を安置しました。現在は「深沙大王堂」に祀ってあります。「深沙大王堂」は本堂から離れた分かり難い場所にありますが、私は必ず車を寄せてお参りします。玄奘三蔵法師を尊敬しているからです。
その後、750年頃、このお寺は天台宗に変わります。その関係で、991年には天台座主、元三慈恵大師の像を本尊にし、「元三大師堂」を本堂の左に作りました。以後、江戸、明治、現在に至るまで「元三大師堂」は人々の信仰を集めています。ですから元三大師堂も深大寺で非常に大切なお堂でした。
深大寺の本堂は元三大師堂の右側にあります。それは江戸時代からあったものを大正時代に建てかえたものです。
深大寺の寺領は現在の神代植物公園も含めて広大であったといいます。多数の小作人を擁し、寺領の畑には蕎麦を栽培して来ました。江戸時代は代代の将軍へソバを献上し、元三大師堂への参拝客相手のソバ屋が多数あったと伝えられています。現在も参道にはソバ屋が並んでいます。
さてもう少し詳しい歴史を加えておきます。(https://www.jindaiji.or.jp/about/ )
(1)天台の法流を汲み、東国第一の台密道場へ
平安時代、清和天皇の貞観年中(八六〇年頃)、武蔵の国司蔵宗が反乱を起こし、この降伏を祈念するために、修験の達者である比叡山の恵亮和尚が勅命をうけ東国に下りました。特に恵亮和尚は深大寺を道場に定めて、逆賊降伏の密教修法を行ない、その平定の功により清和天皇は、近隣七ヶ村を深大寺に寄せられ、寺を恵亮和尚に賜りました。
(2)比叡山より「元三大師自刻像」を迎える
正暦二年(九九一年)第十八代天台座主、慈恵大師すなわち元三大師の自刻像が、大師の高弟である慈忍和尚、恵心僧都両師の意を受けた寛印により遥か叡岳より深大寺に遷座されました。
(3)「元三大師信仰」大いに振るう
徳川期、深大寺の元三大師像の開帳が明和二年(一七六五)七月と文化十三年(一八一六)六月の二回、両国の回向院で執行されています。江戸時代には元三大師堂へ参拝するのが重要だったのです。「元三大師信仰」大いに振るっていたのです。関東地方に比叡山の慈恵大師すなわち元三大師の信仰があるのは珍しいのです。深大寺はその意味で東京では特別な古刹なのです。
(4)銅造釈迦如来像(白鳳仏)の鑑定と国宝指定
像高 83.9㎝のこの釈迦如来像は明治42年(1909)に飛鳥時代7世紀~8世紀初と鑑定されました。そして大正2年に国宝指定となったのです。寺院伝来の仏像としては都内寺院唯一で東日本最古の国宝仏なのです。銅造釈迦如来像(白鳳仏)は「元三大師堂」の左にある特別な建物の中で一般公開されています。
昨日は秋雨の降る中、家内が車を下りてあちこちを歩いて深大寺の写真を撮ってくれました。
帰りに都立武蔵野公園の中を通ったら、公園の風景も晩秋の雰囲気です。何故か心打たれたのでその写真も撮りました。
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あの暑かった夏の間咲き誇っていたカンナもうらぶれた風情です。
こうして秋も過ぎゆきやがて霜が降り寒い冬がやって来るのでしょう。季節の移り変わりを沁みじみと感じた昨日の秋雨の風景でした。皆様、昨日はどのようにお過ごしたでしょうか。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)