昨日は秋晴れでした。そこで秋の陽に輝く相模湖と桂川の風景写真を撮りに行きました。
今日は相模湖と桂川の風景写真をお送りします。そして相模湖と桂川に沿った昔の甲州街道の小原宿、吉野宿、鶴川宿の歴史をご紹介したいと思います。
はじめに2枚の相模湖の写真と3枚の桂川の写真をお送りいたします。





さて昔の甲州街道は小仏峠を越すと相模川とその上流の桂川に沿ってありました。そこには東から西へ小原宿、吉野宿、鶴川宿がありました。
甲州街道は徳川幕府が設置した街道の一つで江戸と甲州を結んでいました。関東地方の五街道は甲州街道、奥羽街道、日光街道、中仙道、東海道で全て重要な街道です。
江戸から大月までの甲州街道の宿場を順に記せば、新宿、高井戸、布田、府中、日野、八王子、駒木野、小仏、小原、与瀬、吉野、関野、上野原、鶴川、野田尻、犬目、鳥沢、猿橋、大月となります。
歴史探訪が好きな私は以前から何度も旧甲州街道の小原宿、吉野宿、鶴留川宿の3宿を散策して来ました。本陣を保存し展示しているのです。
現在の甲州街道の大垂水峠を越し、相模湖町へ近づくと、右手に大きな「小原の郷」という歴史展示館がある。駐車場は無料で広いです。そこから100m位歩いたところに小原宿本陣があり、よく手入れされ、公開しています。展示館と本陣の2階部分も開放しています。

6番目の写真は小原宿本陣の江戸時代の建物です。
本陣には高島藩、高遠藩、飯田藩などの大名の泊まった奥の8帖の部屋と「控えの間」があります。随分と狭い所に泊まったものと感心します。
吉野宿は現在の藤野町にあり、JR藤野駅に近い所です。吉野宿の本陣であった吉野浦(はじめ)氏の家が右にあり、その向かいに「吉野宿ふじや」という看板の出ている歴史展示館があります。

7番目の写真は「吉野宿ふじや」という看板の出ている歴史展示館です。
展示館で出会った地方歴史家から話を聞きました。承久の乱(1221年)で鎌倉側に負けた後鳥羽上皇側の主な貴族や武将がこの桂川流域に配流されたので吉野のの地名が残ったとのです。
そして高尾、大原(現在は小原)宿、吉野宿、付近の嵯峨野、奈良本、などの地名は承久の乱の後に配流された人々がつけたという。
この歴史的検証を一番深くされた方が、現在でも本陣に住んでいる吉野浦氏と聞き、電話をし以上の歴史を確認しました。2008年6月のことでした。
鶴川宿は現在の甲州街道の上野原町を通り過ぎて上野原警察署の前の切通うしの坂を下り、左へ曲がるところで右折して鶴留川の川原の方角へ下るります。その下る道が旧甲州街道です。鶴川の橋を渡った処に「鶴川宿」という石碑が立っています。そこを上ると宿場町のような家並みが道の両側に続いています。
本陣の建物も、展示館も一切ありません。昔の、街道であった道が一本あるだけである。静かな町なのでしばらく散策していると当時の様子が何となく想像できる。
今日は昨日撮って来た秋の陽に輝く相模湖と桂川の写真をお送りしました。そして旧甲州街道の小原宿、吉野宿、鶴川宿をご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日は相模湖と桂川の風景写真をお送りします。そして相模湖と桂川に沿った昔の甲州街道の小原宿、吉野宿、鶴川宿の歴史をご紹介したいと思います。
はじめに2枚の相模湖の写真と3枚の桂川の写真をお送りいたします。





さて昔の甲州街道は小仏峠を越すと相模川とその上流の桂川に沿ってありました。そこには東から西へ小原宿、吉野宿、鶴川宿がありました。
甲州街道は徳川幕府が設置した街道の一つで江戸と甲州を結んでいました。関東地方の五街道は甲州街道、奥羽街道、日光街道、中仙道、東海道で全て重要な街道です。
江戸から大月までの甲州街道の宿場を順に記せば、新宿、高井戸、布田、府中、日野、八王子、駒木野、小仏、小原、与瀬、吉野、関野、上野原、鶴川、野田尻、犬目、鳥沢、猿橋、大月となります。
歴史探訪が好きな私は以前から何度も旧甲州街道の小原宿、吉野宿、鶴留川宿の3宿を散策して来ました。本陣を保存し展示しているのです。
現在の甲州街道の大垂水峠を越し、相模湖町へ近づくと、右手に大きな「小原の郷」という歴史展示館がある。駐車場は無料で広いです。そこから100m位歩いたところに小原宿本陣があり、よく手入れされ、公開しています。展示館と本陣の2階部分も開放しています。

6番目の写真は小原宿本陣の江戸時代の建物です。
本陣には高島藩、高遠藩、飯田藩などの大名の泊まった奥の8帖の部屋と「控えの間」があります。随分と狭い所に泊まったものと感心します。
吉野宿は現在の藤野町にあり、JR藤野駅に近い所です。吉野宿の本陣であった吉野浦(はじめ)氏の家が右にあり、その向かいに「吉野宿ふじや」という看板の出ている歴史展示館があります。

7番目の写真は「吉野宿ふじや」という看板の出ている歴史展示館です。
展示館で出会った地方歴史家から話を聞きました。承久の乱(1221年)で鎌倉側に負けた後鳥羽上皇側の主な貴族や武将がこの桂川流域に配流されたので吉野のの地名が残ったとのです。
そして高尾、大原(現在は小原)宿、吉野宿、付近の嵯峨野、奈良本、などの地名は承久の乱の後に配流された人々がつけたという。
この歴史的検証を一番深くされた方が、現在でも本陣に住んでいる吉野浦氏と聞き、電話をし以上の歴史を確認しました。2008年6月のことでした。
鶴川宿は現在の甲州街道の上野原町を通り過ぎて上野原警察署の前の切通うしの坂を下り、左へ曲がるところで右折して鶴留川の川原の方角へ下るります。その下る道が旧甲州街道です。鶴川の橋を渡った処に「鶴川宿」という石碑が立っています。そこを上ると宿場町のような家並みが道の両側に続いています。
本陣の建物も、展示館も一切ありません。昔の、街道であった道が一本あるだけである。静かな町なのでしばらく散策していると当時の様子が何となく想像できる。
今日は昨日撮って来た秋の陽に輝く相模湖と桂川の写真をお送りしました。そして旧甲州街道の小原宿、吉野宿、鶴川宿をご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)