後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「多摩の横山の風景写真を撮って来ました」

2020年10月29日 | 写真
多摩の横山とは府中市の多摩川西岸から稲城市、多摩氏、町田市と西方向にまっすぐ伸びた長い尾根です。
万葉集にも歌われた風光明媚な尾根です。今日は多摩の横山の風景写真を町田市の小山田緑地の近くで撮って来ました。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。









現在、我々が日常的に使っている武蔵野という地名が初めて記載されたのは万葉集です。第14巻「東歌」に出てきます。
そして武蔵野から相模に行く道として「多摩の横山の道」が書かれています。冒頭で説明した尾根の上を通る古い道です。
多摩の横山という名前が出て来る万葉集の歌をご紹介します。

「赤駒を山野(やまの)のはかしとりかにて 多摩の横山徒歩(かち)ゆか遣らむ」
万葉集 巻20 4417――― 宇遅部黒女

山野に放牧していた馬をどうしても捕まえることが出来なかったので、出征する夫を徒歩で出発させてしまった。
巻20には数多くの防人にちなんだ歌がありますが、上の歌は武蔵の国の防人(さきもり)の妻が作った歌です。
武蔵の防人は、まず現在の府中市にあった国府に集合し、多摩川を西岸へ渡り、相模の国の国府があった現在の平塚市へ向かったのです。その道筋は尾根の上の見晴らしの良い道です。
現在、この尾根道は遊歩道として10Kmも整備されています。この道は雑木林の中にありまり、歩いて見ると、西には相模平野の向こうに丹沢の山並、その後ろに高く聳える富士山がよく見えます。その右方向に目を転ずると武蔵の国が広がり、遠方に奥多摩の山々が見渡せます。
「多摩の横山の道」に平行して現在は「多摩尾根幹線自動車道路」が東西に出来ています。
今日はこの自動車道路を通って多摩の横山の風景写真を撮って来ました。