キリスト教では日曜日に教会に集まり神に祈ります。イエス・キリストへも祈ります。
プロテスタントでは礼拝と言いカトリックではミサと言います。
カトリックのミサは全世界の教会で同じ式次第で内容も同じです。
皆さまキリスト教をご存知と思います。
しかし礼拝やミサの式次第や内容はあまりご存知ないかも知れません。
そこで今日はカトリックのミサの様子をお送りいたします。
今日の年間第27主日のミサは、https://www.youtube.com/watch?v=0WGoev4Fhow にあります。是非一部でもご覧下さい。ミサの雰囲気が分ります。
写真はミサの始めの場面です。
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そして以下はタルチシオ菊地功大司教の話です。
(1)大司教からのお知らせ
10月はロザリオの月です。
10月7日にはロザリオの聖母の祝日があり、伝統的に10月にロザリオを祈ることが勧められてきたこともあり、教皇レオ十三世によって10月が「ロザリオの月」と定められました。
ロザリオの起源には諸説ありますが、十二世紀後半の聖人である聖ドミニコが、当時の異端と闘うときに、聖母からの啓示を受けて始まったと言われています。10月7日のロザリオの聖母の記念日も、1571年のレパントの海戦でのオスマン・トルコ軍に対する勝利が、ロザリオの祈りによってもたらされたとされていることにちなむものですので、そういったことだけを耳にすれば、ロザリオは戦いのための武器のようにも聞こえてしまいます。もちろん、ある意味、ロザリオは信仰における戦いのために道具とも言えるのかも知れませんから、歴史的背景が変わった現代社会にあっても、信仰を守るために重要な存在であると思います。とりわけ、現在のように、家に留まって個人的に祈る機会がふえていますから、ロザリオの祈りを持って、霊的共同体の絆を深めることは意味があることだと思います。
先日、ご案内の通り、ミサにおける年齢制限を解除しました。まだまだ慎重な行動が必要だと思いますので、健康に不安がある方はご自宅でお祈りくださって構いませんが、状況を見ながら、少しずつ、なるべく多くの方にミサに参加していただけるように、条件を見直していきたいと思います。それでも、原則としている三つの密を避けることや、マスクの着用を含めた咳エチケット、手指の消毒に関しては、大原則としてお忘れにならないようにお願いします。またミサにあずかる際には、それぞれの小教区独自の方法で、参加者の記録を残すようにしています。これは、クラスターなどが発生したと見なされた場合、その場にいた方々への連絡などをする必要性があるためです。ご協力をお願いいたします。
本日10月3日午後、東京教区には新しい司祭が誕生しました。夕方6時から行われた主日ミサの説教でも、そのことに触れています。以下、その主日ミサの説教原稿です。
(2)年間第27主日(公開配信ミサ)の大司教の説教
東京カテドラル聖マリア大聖堂、2020年10月3日
先ほど、10月3日の午後、この大聖堂で新しい司祭と助祭が誕生しました。東京教区は、喜びのうちに、ホルヘ・ラミレス神父と古市助祭を迎えます。
年間第27主日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=0WGoev4Fhow です。
教会において司祭になるとことは、就職とは全く違います。司祭への道は神からの呼びかけに応える道であり、その呼びかけに対して、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(イザヤ6・8)と応えたことに基づいて歩み続ける人生の旅路です。
さらにその召命は個人の問題ではありません。「召命を育てる義務は、キリスト教共同体全体にある」と、第二バチカン公会議の司祭の養成に関する教令は指摘しています。司祭は、自分たちと関係のないところで養成され、自動的に誕生して、小教区に与えられるような存在ではなくて、教会共同体が自ら生み出し育てていく存在です。そのために、同教令は、「共同体はとくにキリスト教的生活を十全に生きることによってその義務を果たさなければならない」と指摘しています。
ですから、今回新司祭が誕生したことも、それに続く助祭が誕生したことも、どこかで勝手に起こっている無関係な事柄なのではなく、教区共同体にとって、また小教区共同体にとって、自らの責任において関わっている大切な務めの結果であります。
もちろん教区には一粒会という存在があり、祈りと献金を通じて、神学生の養成を支えてきました。みなさまの寛大なご支援に、心から感謝いたします。同時に教区の全員が、一粒会の会員であり、神学生養成に責任を持って関わっていることも思い起こしていただければと思います。
さて、司祭への道は、冒頭で申し上げたように、会社への就職活動とは全く異なりますから、まさしく十人十色、一人ひとりに独自の物語が存在します。そして多くの場合、召命の道程は、人間が考え計画した通りには進まないことが多いのです。
以下は省略します。続きは、https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/?fbclid=IwAR3c11UmgCa6Bcdppo9Hq3D2yJpxy2y0UdP8OLpklznP-4zxywOVkHXnb4E にあります。
キリスト教のカトリックでは日曜日だけでなく毎日、朝か夕にミサがあります。
プロテスタント諸派の礼拝は日曜日だけの宗派が多いです。
皆さまは教養としてキリスト教をお存知と思います。しかし信仰の実態を知るには礼拝やミサの内容を理解するのが良いと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
プロテスタントでは礼拝と言いカトリックではミサと言います。
カトリックのミサは全世界の教会で同じ式次第で内容も同じです。
皆さまキリスト教をご存知と思います。
しかし礼拝やミサの式次第や内容はあまりご存知ないかも知れません。
そこで今日はカトリックのミサの様子をお送りいたします。
今日の年間第27主日のミサは、https://www.youtube.com/watch?v=0WGoev4Fhow にあります。是非一部でもご覧下さい。ミサの雰囲気が分ります。
写真はミサの始めの場面です。
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そして以下はタルチシオ菊地功大司教の話です。
(1)大司教からのお知らせ
10月はロザリオの月です。
10月7日にはロザリオの聖母の祝日があり、伝統的に10月にロザリオを祈ることが勧められてきたこともあり、教皇レオ十三世によって10月が「ロザリオの月」と定められました。
ロザリオの起源には諸説ありますが、十二世紀後半の聖人である聖ドミニコが、当時の異端と闘うときに、聖母からの啓示を受けて始まったと言われています。10月7日のロザリオの聖母の記念日も、1571年のレパントの海戦でのオスマン・トルコ軍に対する勝利が、ロザリオの祈りによってもたらされたとされていることにちなむものですので、そういったことだけを耳にすれば、ロザリオは戦いのための武器のようにも聞こえてしまいます。もちろん、ある意味、ロザリオは信仰における戦いのために道具とも言えるのかも知れませんから、歴史的背景が変わった現代社会にあっても、信仰を守るために重要な存在であると思います。とりわけ、現在のように、家に留まって個人的に祈る機会がふえていますから、ロザリオの祈りを持って、霊的共同体の絆を深めることは意味があることだと思います。
先日、ご案内の通り、ミサにおける年齢制限を解除しました。まだまだ慎重な行動が必要だと思いますので、健康に不安がある方はご自宅でお祈りくださって構いませんが、状況を見ながら、少しずつ、なるべく多くの方にミサに参加していただけるように、条件を見直していきたいと思います。それでも、原則としている三つの密を避けることや、マスクの着用を含めた咳エチケット、手指の消毒に関しては、大原則としてお忘れにならないようにお願いします。またミサにあずかる際には、それぞれの小教区独自の方法で、参加者の記録を残すようにしています。これは、クラスターなどが発生したと見なされた場合、その場にいた方々への連絡などをする必要性があるためです。ご協力をお願いいたします。
本日10月3日午後、東京教区には新しい司祭が誕生しました。夕方6時から行われた主日ミサの説教でも、そのことに触れています。以下、その主日ミサの説教原稿です。
(2)年間第27主日(公開配信ミサ)の大司教の説教
東京カテドラル聖マリア大聖堂、2020年10月3日
先ほど、10月3日の午後、この大聖堂で新しい司祭と助祭が誕生しました。東京教区は、喜びのうちに、ホルヘ・ラミレス神父と古市助祭を迎えます。
年間第27主日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=0WGoev4Fhow です。
教会において司祭になるとことは、就職とは全く違います。司祭への道は神からの呼びかけに応える道であり、その呼びかけに対して、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(イザヤ6・8)と応えたことに基づいて歩み続ける人生の旅路です。
さらにその召命は個人の問題ではありません。「召命を育てる義務は、キリスト教共同体全体にある」と、第二バチカン公会議の司祭の養成に関する教令は指摘しています。司祭は、自分たちと関係のないところで養成され、自動的に誕生して、小教区に与えられるような存在ではなくて、教会共同体が自ら生み出し育てていく存在です。そのために、同教令は、「共同体はとくにキリスト教的生活を十全に生きることによってその義務を果たさなければならない」と指摘しています。
ですから、今回新司祭が誕生したことも、それに続く助祭が誕生したことも、どこかで勝手に起こっている無関係な事柄なのではなく、教区共同体にとって、また小教区共同体にとって、自らの責任において関わっている大切な務めの結果であります。
もちろん教区には一粒会という存在があり、祈りと献金を通じて、神学生の養成を支えてきました。みなさまの寛大なご支援に、心から感謝いたします。同時に教区の全員が、一粒会の会員であり、神学生養成に責任を持って関わっていることも思い起こしていただければと思います。
さて、司祭への道は、冒頭で申し上げたように、会社への就職活動とは全く異なりますから、まさしく十人十色、一人ひとりに独自の物語が存在します。そして多くの場合、召命の道程は、人間が考え計画した通りには進まないことが多いのです。
以下は省略します。続きは、https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/?fbclid=IwAR3c11UmgCa6Bcdppo9Hq3D2yJpxy2y0UdP8OLpklznP-4zxywOVkHXnb4E にあります。
キリスト教のカトリックでは日曜日だけでなく毎日、朝か夕にミサがあります。
プロテスタント諸派の礼拝は日曜日だけの宗派が多いです。
皆さまは教養としてキリスト教をお存知と思います。しかし信仰の実態を知るには礼拝やミサの内容を理解するのが良いと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)