久しぶりに午後から三鷹の花と緑の広場に行きました。コスモスの花やいろいろな秋の花が綺麗に咲いていました。撮って来た写真をお送りします。お楽しみ頂けば嬉しく存じます。
今日の日曜日は年間第28主日です。主日のミサは動画配信で自宅で家内と一緒にあずかりました。
ミサの動画は、https://www.youtube.com/watch?v=yqUSn6PqNUg&fbclid=IwAR0KdQslsrIQ6PJte3H3Qhxdn7P5OBHs_uc6RbpGjAvnRrWXXDEspAsrOHM にあります。
そして今日の菊地功神父さまのお話と説教は以下にあります。
(1)菊地功神父さまからのお知らせ
東京は台風が近づいていることもあり、雨風の強い、寒い週末となりました。
先日相次いでいくつかの人事を公示しましたが、その中で、東京教区司祭の伊藤幸史師が、新潟教区へ移籍すると言う人事を発表しました。もともと東京教区と新潟教区は、同じ東京教会管区の仲間と言うこともあり、その中でも新潟教区が信徒数から言って一番小規模であることから、これまでも東京教区から司祭が出向の形で派遣されてきました。私が新潟の司教をしている間にも、東京教区の江部神父様が派遣され、新潟教会の主任司祭を務めてくださっておりました。伊藤幸史神父様は、やはり私がまだ新潟司教であった2013年に新潟教区へ派遣され、これまで糸魚川や新津などの教会で活躍されてきました。ご本人からはすでに数年前に教区移籍の打診がありましたが、このたび新潟に新しい司教が誕生したことから、早速両教区の司教同士で話し合い、移籍となりました。これからは伊藤幸史神父様は新潟教区司祭となります。新しく任命された成井司教様を助けて、新潟教区で活躍されることをお祈りします。
なお司祭は、教区とか属人区とか修道会や宣教会などと言った教会法上の独立した法人組織に所属していない限り、司祭としての職務を果たすことは出来ませんし、恒常的に使徒職を果たすためには、働こうとしている当該教区の司教から、司祭としての権能を文書で委任されていなければなりません。
さて、3月1日以来、コロナ禍で教会活動を制限せざるを得ない状況の中、主日ミサを日曜日または土曜日に、東京カテドラルから大司教司式ミサとしてネット配信してきました。お手伝いいただいている関口教会青年をはじめとするボランティアの皆さん、毎回聖歌隊を努めてくださっているイエスのカリタス会の志願者とシスター方には、本当に感謝しています。徐々に教会活動が再開してきており、諸行事も復活しつつありますし、またネット配信を始めている教会も増えています。そこで、カテドラルからの大司教ミサ配信は10月31日(土)をもって、いったん中断させていただきます。今後は状況を見極めて判断しますが、クリスマスなどの大きな行事や教区行事は配信をいたしますので、その際には、教区ホームページでお知らせいたします。なお、11月以降は、土曜日に大司教メッセージビデオを配信できるように、現在検討中です。
(2)年間第28主日A(公開配信ミサ)、東京カテドラル聖マリア大聖堂での菊地功神父さまの説教(2020年10月11日)
「諸民族の心と精神の和解によって最後には真の平和が世界に輝くよう、幸いなるおとめマリアの助けを願うために、十月にロザリオを唱えることを強く勧めます」
教皇パウロ六世が1969年に発表された使徒的勧告「レクレンス・メンシス・オクトーベル」は、そう始まっています。
あらためて言うまでもなく、10月はロザリオの月であります。10月7日にはロザリオの聖母の祝日があり、また教会は伝統的に10月にロザリオを祈ることを勧めてきたこともあり、教皇レオ十三世によって10月が「ロザリオの月」と定められました。
ロザリオの起源には諸説ありますが、十二世紀後半の聖人である聖ドミニコが、当時の異端と闘うときに、聖母からの啓示を受けて始まったと伝えられています。10月7日のロザリオの聖母の記念日も、1571年のレパントの海戦でのオスマン・トルコ軍に対する勝利が、ロザリオの祈りによってもたらされたとされていることに因んで定められています。そういったことだけを耳にすれば、ロザリオは戦いのための武器のようにも聞こえてしまいます。もちろん、ある意味、ロザリオは信仰における戦いのための道具とも言えるのかも知れませんから、歴史的背景が変わった現代社会にあっても、信仰を守り深めるために重要な存在であると思います。
とりわけ今年のように、感染症拡大の事態にあって、目に見える形で教会に集まることが出来なかったり、聖体祭儀に共にあずかることが適わないという非常事態においては、まさしく信仰自体が危機にさらされていると言っても過言ではありません。そういう信仰の危機にあるからこそ、祈りによる連帯と一致は重要ですし、その意味でロザリオは信仰の危機に立ち向かう武器であるとも言えるでしょう。
・・・以下は、https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2020/10/post-a8f40d.html へ続きます。アーメン。
ミサの動画は、https://www.youtube.com/watch?v=yqUSn6PqNUg&fbclid=IwAR0KdQslsrIQ6PJte3H3Qhxdn7P5OBHs_uc6RbpGjAvnRrWXXDEspAsrOHM にあります。
そして今日の菊地功神父さまのお話と説教は以下にあります。
(1)菊地功神父さまからのお知らせ
東京は台風が近づいていることもあり、雨風の強い、寒い週末となりました。
先日相次いでいくつかの人事を公示しましたが、その中で、東京教区司祭の伊藤幸史師が、新潟教区へ移籍すると言う人事を発表しました。もともと東京教区と新潟教区は、同じ東京教会管区の仲間と言うこともあり、その中でも新潟教区が信徒数から言って一番小規模であることから、これまでも東京教区から司祭が出向の形で派遣されてきました。私が新潟の司教をしている間にも、東京教区の江部神父様が派遣され、新潟教会の主任司祭を務めてくださっておりました。伊藤幸史神父様は、やはり私がまだ新潟司教であった2013年に新潟教区へ派遣され、これまで糸魚川や新津などの教会で活躍されてきました。ご本人からはすでに数年前に教区移籍の打診がありましたが、このたび新潟に新しい司教が誕生したことから、早速両教区の司教同士で話し合い、移籍となりました。これからは伊藤幸史神父様は新潟教区司祭となります。新しく任命された成井司教様を助けて、新潟教区で活躍されることをお祈りします。
なお司祭は、教区とか属人区とか修道会や宣教会などと言った教会法上の独立した法人組織に所属していない限り、司祭としての職務を果たすことは出来ませんし、恒常的に使徒職を果たすためには、働こうとしている当該教区の司教から、司祭としての権能を文書で委任されていなければなりません。
さて、3月1日以来、コロナ禍で教会活動を制限せざるを得ない状況の中、主日ミサを日曜日または土曜日に、東京カテドラルから大司教司式ミサとしてネット配信してきました。お手伝いいただいている関口教会青年をはじめとするボランティアの皆さん、毎回聖歌隊を努めてくださっているイエスのカリタス会の志願者とシスター方には、本当に感謝しています。徐々に教会活動が再開してきており、諸行事も復活しつつありますし、またネット配信を始めている教会も増えています。そこで、カテドラルからの大司教ミサ配信は10月31日(土)をもって、いったん中断させていただきます。今後は状況を見極めて判断しますが、クリスマスなどの大きな行事や教区行事は配信をいたしますので、その際には、教区ホームページでお知らせいたします。なお、11月以降は、土曜日に大司教メッセージビデオを配信できるように、現在検討中です。
(2)年間第28主日A(公開配信ミサ)、東京カテドラル聖マリア大聖堂での菊地功神父さまの説教(2020年10月11日)
「諸民族の心と精神の和解によって最後には真の平和が世界に輝くよう、幸いなるおとめマリアの助けを願うために、十月にロザリオを唱えることを強く勧めます」
教皇パウロ六世が1969年に発表された使徒的勧告「レクレンス・メンシス・オクトーベル」は、そう始まっています。
あらためて言うまでもなく、10月はロザリオの月であります。10月7日にはロザリオの聖母の祝日があり、また教会は伝統的に10月にロザリオを祈ることを勧めてきたこともあり、教皇レオ十三世によって10月が「ロザリオの月」と定められました。
ロザリオの起源には諸説ありますが、十二世紀後半の聖人である聖ドミニコが、当時の異端と闘うときに、聖母からの啓示を受けて始まったと伝えられています。10月7日のロザリオの聖母の記念日も、1571年のレパントの海戦でのオスマン・トルコ軍に対する勝利が、ロザリオの祈りによってもたらされたとされていることに因んで定められています。そういったことだけを耳にすれば、ロザリオは戦いのための武器のようにも聞こえてしまいます。もちろん、ある意味、ロザリオは信仰における戦いのための道具とも言えるのかも知れませんから、歴史的背景が変わった現代社会にあっても、信仰を守り深めるために重要な存在であると思います。
とりわけ今年のように、感染症拡大の事態にあって、目に見える形で教会に集まることが出来なかったり、聖体祭儀に共にあずかることが適わないという非常事態においては、まさしく信仰自体が危機にさらされていると言っても過言ではありません。そういう信仰の危機にあるからこそ、祈りによる連帯と一致は重要ですし、その意味でロザリオは信仰の危機に立ち向かう武器であるとも言えるでしょう。
・・・以下は、https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2020/10/post-a8f40d.html へ続きます。アーメン。
今日は日曜日なのでキリスト教の木造教会の写真をお送りします。宗教改革以前の中世の木造教会は幾つか現存していますが、その一覧は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E9%80%A0%E6%95%99%E4%BC%9A にあります。
それによるとノルウェーにも以下のように多くあります。
ウルネスの木造教会
カウパンゲル・スターヴ教会 Kaupanger stave church
ホッペルシュタ・スターヴ教会 Hopperstad stave church
ボルグンド・スターヴ教会 Borgund stave church
レインリ・スターヴ教会
ヘッダール・スターヴ教会
ゴル・スターヴ教会
ファントフト・スターヴ教会、などなど。
上にあるスターヴ教会とは 教会の荷重を支える太い支柱をスターブと言い、そのまま建築技術の名前になっているのです。かつてはヨーロッパ北西部に多く存在していましたが、現在ではほとんどが石造りの近代的な教会に建替えられ、もっとも多く残っているノルウェー国内でも、わずかに28棟を残すのみとなっているだけです。
これらの中から今日は3つの教会の写真をお送りいたします。
1番目の写真はノルウェーにあるヘッダール・スターヴ教会です。13世紀前半から中頃に建築されました。
2番目の写真は世界遺産に登録されているノルウェーのウルネスの木造教会です。教会が建築されたのは1130年前後と推測されています。
3番目の写真はノルウェーのセール・アウダールにある「さらし台」のついたレインリ・スターヴ教会です。レインリに位置する木造教会で13世紀後半に建設されたものです。
これらの木造教会の写真を見ると、ルネッサンス以前の中世の暗い雰囲気が感じられます。当時のキリスト教も暗く神秘的だったのでしょぅ。ルネッサンスや宗教改革によって社会の雰囲気が明かるくなった様子が感じられます。
一般的にヨーロッパの木造教会は宗教改革の前に建てられたので、中世のキリスト教の雰囲気を表しています。その意味で歴史的価値が大きいので大部分は世界遺産になっています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
それによるとノルウェーにも以下のように多くあります。
ウルネスの木造教会
カウパンゲル・スターヴ教会 Kaupanger stave church
ホッペルシュタ・スターヴ教会 Hopperstad stave church
ボルグンド・スターヴ教会 Borgund stave church
レインリ・スターヴ教会
ヘッダール・スターヴ教会
ゴル・スターヴ教会
ファントフト・スターヴ教会、などなど。
上にあるスターヴ教会とは 教会の荷重を支える太い支柱をスターブと言い、そのまま建築技術の名前になっているのです。かつてはヨーロッパ北西部に多く存在していましたが、現在ではほとんどが石造りの近代的な教会に建替えられ、もっとも多く残っているノルウェー国内でも、わずかに28棟を残すのみとなっているだけです。
これらの中から今日は3つの教会の写真をお送りいたします。
1番目の写真はノルウェーにあるヘッダール・スターヴ教会です。13世紀前半から中頃に建築されました。
2番目の写真は世界遺産に登録されているノルウェーのウルネスの木造教会です。教会が建築されたのは1130年前後と推測されています。
3番目の写真はノルウェーのセール・アウダールにある「さらし台」のついたレインリ・スターヴ教会です。レインリに位置する木造教会で13世紀後半に建設されたものです。
これらの木造教会の写真を見ると、ルネッサンス以前の中世の暗い雰囲気が感じられます。当時のキリスト教も暗く神秘的だったのでしょぅ。ルネッサンスや宗教改革によって社会の雰囲気が明かるくなった様子が感じられます。
一般的にヨーロッパの木造教会は宗教改革の前に建てられたので、中世のキリスト教の雰囲気を表しています。その意味で歴史的価値が大きいので大部分は世界遺産になっています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)