今日は少し壮大な想像力を働かせて恐竜と日本人の運命を考えてみましょう。そして皆様に良い気分になって貰いたいのです。
恐竜は約2億年前に出てきて非常に繁栄し、日本にも住んでいた動物です。現在の爬虫類を大型にしたような動物です。それが6600万年前に突然絶滅してしまったのです。
巨大な隕石がメキシコ湾に落ちて、その粉塵が地球の上空に長期間漂い寒冷化し、全ての恐竜が絶滅してしまったのです。それは全ての生物の進化の歴史において最大級のドラマチックな現象でした。6600万年以前には勿論日本にも恐竜が数多く闊歩していたのです。現在、日本では福井県から恐竜の化石が沢山出て来ます。
1番目の写真は福井県の勝山の恐竜博物館に展示されている草食恐竜の姿です。
2番目の写真は福井の山波を背景にした肉食恐竜の写真です。
恐竜の化石は全国で発見されています。特に福井県では非常に多数出土しています。恐竜の棲んでいた頃の古い地層が福井県だけで地表に露出しているからです。
写真に示したような草食恐竜や肉食恐竜が日本から消えたのは6600万年前です。それから気が遠くなるような長い長い年月が流れました。6600万年近くの年月が流れたのです。
そして遂にこの日本にも人間が現れたのです。日本に人間が住んでいた証拠は人の手で加工された石器です。それが多数、確実に出土するのは2万年、3万年前からです。それ以前の石器も少数ながら出土しているので4万年前から日本に人間が現れたのです。
ですから日本の時代区分は以下のようなものになります。
旧石器時代; 約4万年前ー 紀元前14000年頃 (16000年前)
縄文時代; 前14000年頃 – 前3世紀頃
弥生時代; 前3世紀頃 – 後3世紀中頃
旧石器時代が約24000年間、そして縄文時代が約14000年間も続いていたことになります。その後の歴史はたかだか2000年しかありません。
旧石器時代と、縄文時代と呼ばれる新石器時代の合計約38000年間がとてつもなく長い期間だったことがお分かり頂だけると思います。
旧石器時代には土器が一切無かったのが事実です。人々は獣肉やキノコなどを焚火で焼いて食べることは出来ても、木の実や食用の植物は煮ることが出来なかったのです。
3番目の写真は旧石器時代の日本に棲んでいた動物たちです。
当時の日本の人々は定住していないで写真にあるような動物を獲りながら食べていました。定住しないで獲物を焚火で焼いて食べていたのです。
戦前の学説では、日本の歴史は縄文時代に始まり、それ以前の旧石器時代は無かったと長い間思われていました。
それが終戦直後の群馬県みどり市の岩宿遺跡の発見で、数万年前にさかのぼる旧石器時代の存在が証明されたのです。旧石器時代では人々は定住しないで狩猟と採集の生活をしていたのです。
4番目の写真は旧石器時代の女性が木の実を採集している様子です。
5番目の写真は旧石器時代の男性が数人で協力し合って大ツノシカを狩っている場面です。大ツノシカとイノシシがよく食べられていたようです。
石器の出た地層の精密な年代調査と炭素同位体の分析から、日本には4万年から縄文時代が始まる16000年前までの後期旧石器時代が存在したと判明したのです。
ここで示した写真は神奈川県の相模川の東側の田名向原展示館のパネルを私が撮ったものです。
田名向原の展示館にある絵画では、人々の狩猟や採集の様子と獣皮で屋根を作った住居の前で作業している人の様子なども示してます。
私は時々日本の悠久の歴史を想像します。すると楽しい気分になります。毎日、新聞などに報じられる事件が全て取るにたらない小さなことに思えるのです。精神が健康になるように感じます。世の中に健康食品があるように楽しい想像は精神の健康食品のようなものです。皆様に良い気分になったでしょうか。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料:過去の関連記事の紹介============
過去の関連記事の一覧;
http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama の2013年1月と2012年12月に次の関連した記事が掲載してあります。
「相模川中流は考古学的史跡の宝庫・・・3層、4層と住居跡や古墳が集中」
「日本の旧石器時代・その悠久の歴史(1)2万年前の住居の発見」
「私の郷土史(2)旧石器時代から江戸時代までの小平市鈴木町の変遷」
「所沢市砂川遺跡と岩宿遺跡から出た旧石器時代の石器の写真と日本の旧石器時代」
恐竜は約2億年前に出てきて非常に繁栄し、日本にも住んでいた動物です。現在の爬虫類を大型にしたような動物です。それが6600万年前に突然絶滅してしまったのです。
巨大な隕石がメキシコ湾に落ちて、その粉塵が地球の上空に長期間漂い寒冷化し、全ての恐竜が絶滅してしまったのです。それは全ての生物の進化の歴史において最大級のドラマチックな現象でした。6600万年以前には勿論日本にも恐竜が数多く闊歩していたのです。現在、日本では福井県から恐竜の化石が沢山出て来ます。
1番目の写真は福井県の勝山の恐竜博物館に展示されている草食恐竜の姿です。
2番目の写真は福井の山波を背景にした肉食恐竜の写真です。
恐竜の化石は全国で発見されています。特に福井県では非常に多数出土しています。恐竜の棲んでいた頃の古い地層が福井県だけで地表に露出しているからです。
写真に示したような草食恐竜や肉食恐竜が日本から消えたのは6600万年前です。それから気が遠くなるような長い長い年月が流れました。6600万年近くの年月が流れたのです。
そして遂にこの日本にも人間が現れたのです。日本に人間が住んでいた証拠は人の手で加工された石器です。それが多数、確実に出土するのは2万年、3万年前からです。それ以前の石器も少数ながら出土しているので4万年前から日本に人間が現れたのです。
ですから日本の時代区分は以下のようなものになります。
旧石器時代; 約4万年前ー 紀元前14000年頃 (16000年前)
縄文時代; 前14000年頃 – 前3世紀頃
弥生時代; 前3世紀頃 – 後3世紀中頃
旧石器時代が約24000年間、そして縄文時代が約14000年間も続いていたことになります。その後の歴史はたかだか2000年しかありません。
旧石器時代と、縄文時代と呼ばれる新石器時代の合計約38000年間がとてつもなく長い期間だったことがお分かり頂だけると思います。
旧石器時代には土器が一切無かったのが事実です。人々は獣肉やキノコなどを焚火で焼いて食べることは出来ても、木の実や食用の植物は煮ることが出来なかったのです。
3番目の写真は旧石器時代の日本に棲んでいた動物たちです。
当時の日本の人々は定住していないで写真にあるような動物を獲りながら食べていました。定住しないで獲物を焚火で焼いて食べていたのです。
戦前の学説では、日本の歴史は縄文時代に始まり、それ以前の旧石器時代は無かったと長い間思われていました。
それが終戦直後の群馬県みどり市の岩宿遺跡の発見で、数万年前にさかのぼる旧石器時代の存在が証明されたのです。旧石器時代では人々は定住しないで狩猟と採集の生活をしていたのです。
4番目の写真は旧石器時代の女性が木の実を採集している様子です。
5番目の写真は旧石器時代の男性が数人で協力し合って大ツノシカを狩っている場面です。大ツノシカとイノシシがよく食べられていたようです。
石器の出た地層の精密な年代調査と炭素同位体の分析から、日本には4万年から縄文時代が始まる16000年前までの後期旧石器時代が存在したと判明したのです。
ここで示した写真は神奈川県の相模川の東側の田名向原展示館のパネルを私が撮ったものです。
田名向原の展示館にある絵画では、人々の狩猟や採集の様子と獣皮で屋根を作った住居の前で作業している人の様子なども示してます。
私は時々日本の悠久の歴史を想像します。すると楽しい気分になります。毎日、新聞などに報じられる事件が全て取るにたらない小さなことに思えるのです。精神が健康になるように感じます。世の中に健康食品があるように楽しい想像は精神の健康食品のようなものです。皆様に良い気分になったでしょうか。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料:過去の関連記事の紹介============
過去の関連記事の一覧;
http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama の2013年1月と2012年12月に次の関連した記事が掲載してあります。
「相模川中流は考古学的史跡の宝庫・・・3層、4層と住居跡や古墳が集中」
「日本の旧石器時代・その悠久の歴史(1)2万年前の住居の発見」
「私の郷土史(2)旧石器時代から江戸時代までの小平市鈴木町の変遷」
「所沢市砂川遺跡と岩宿遺跡から出た旧石器時代の石器の写真と日本の旧石器時代」