武蔵野は平野ですが土地が高低していて雑木林の中に幾つも泉が散在しています。その泉から清冽な水が湧き出ています。夜も昼も絶え間なく美しい水音が聞こえます。私はそんな泉が大好きです。時折り湧水の傍に行ってぼんやり眺めています。老境の幸せな時間が静かに流れていきます。
今日は武蔵野の泉をご紹介したいと思います。折に触れ訪れては家内が撮った写真でご紹介します。
まず国分寺崖線の下に湧き出ている泉です。泉とか湧水には何かロマンを感じます。
滔々と湧き出る清い泉は必ずや昔の縄文時代の人々を支えて来た筈です。奈良、平安、江戸と時代が流れ人々が農業をするようになると、これらの湧水はかけがえの無いものになりました。そのような泉の周りに集落が出来たに違いありません。姿見の池をご紹介します。
1番目の写真が国分寺市の「姿見の池」の風景です
かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵野路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えらています。文学作品にもよく登場する名所です。
平成10年度東京都と国分寺市は、池周辺地域を東京都指定「国分寺姿見の池緑地保全地域」 として整備しました。かつての武蔵野の里山風景を見ることができます。
次はお鷹の道にある「真姿の池湧水群」です。国分寺市東元町3丁目・西元町1丁目にあります。
1748年(寛延元年)から国分寺は徳川御三家尾張藩の鷹狩の狩り場となりました。
武蔵野台地の崖下の泉と清流の脇に小道が整備され、これを「お鷹の道」と呼ぶようになったのです。
2番目の写真はお鷹の道にある「真姿の池」の風景です。下流で野川に流入し多摩川へ流れ出ています。
さて国分寺市の東隣の小金井市には貫井弁天神社があります。その裏手で幾つかの泉があり湧き出していのが貫井弁天神社湧水群です。国分寺崖線が小金井まで延び、その崖下からコンコンと湧き出ているのです。
3番目の写真は小金井市の貫井弁天の裏で幾つかの泉からの湧水を集めて流れている水路です。
4番目の写真は貫井弁天の湧水で出来た深い池の風景です。
このような泉のそばに人が住みついたのです。畑作や稲作の時代になると湧水群の周囲に農地が出来、集落も出来ました。
国分寺市でも小金井市でも崖線の下側に昔から農村がありました。崖の上の台地には開発されない時代が長く続いたのです。
次に武蔵野台地の湧水で出来た善福寺池と富士見池をご紹介したいと思います。
現在の善福寺公園や武蔵関公園や石神井公園や井の頭公園などは皆湧水で出来た自然の池を中心にしています。
5番目の写真が善福寺池の風景です。
善福寺池は、古来より武蔵野台地からの湧水池として知られ、江戸時代には、貴重な水源ででした。またこの池は遅野井池とも呼ばれ付近一帯の上井草村は別名遅野井村とも言わていました。
善福寺の名の由来は、池のほとりにあった寺の名前に由来しています。しかし現在、近所に「善福寺」という寺がありますが、それは福寿庵という元々違う名前だった寺です。後年地名をとって改名したお寺です。
6番目と7番目の写真は武蔵関公園の富士見池の風景です。
武蔵関公園は大正時代に私設公園としてボート場や遊具施設などが整備され、1938年10月に東京市立公園として開園したそうです。
池には西側と東側に「葦の島」と「松の島」という島があり、葦の島は春先に花ダイコンが咲き一面紫色になります。
冬は青空ながら寒い北風が吹いていたので人影も少なく、静かな池の風景です。
今日は武蔵の泉と湧水で出来た池をご紹介いたしました。「姿見の池」、「真姿の池」、「善福寺池」、そして「富士見池」などをご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日は武蔵野の泉をご紹介したいと思います。折に触れ訪れては家内が撮った写真でご紹介します。
まず国分寺崖線の下に湧き出ている泉です。泉とか湧水には何かロマンを感じます。
滔々と湧き出る清い泉は必ずや昔の縄文時代の人々を支えて来た筈です。奈良、平安、江戸と時代が流れ人々が農業をするようになると、これらの湧水はかけがえの無いものになりました。そのような泉の周りに集落が出来たに違いありません。姿見の池をご紹介します。
1番目の写真が国分寺市の「姿見の池」の風景です
かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵野路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えらています。文学作品にもよく登場する名所です。
平成10年度東京都と国分寺市は、池周辺地域を東京都指定「国分寺姿見の池緑地保全地域」 として整備しました。かつての武蔵野の里山風景を見ることができます。
次はお鷹の道にある「真姿の池湧水群」です。国分寺市東元町3丁目・西元町1丁目にあります。
1748年(寛延元年)から国分寺は徳川御三家尾張藩の鷹狩の狩り場となりました。
武蔵野台地の崖下の泉と清流の脇に小道が整備され、これを「お鷹の道」と呼ぶようになったのです。
2番目の写真はお鷹の道にある「真姿の池」の風景です。下流で野川に流入し多摩川へ流れ出ています。
さて国分寺市の東隣の小金井市には貫井弁天神社があります。その裏手で幾つかの泉があり湧き出していのが貫井弁天神社湧水群です。国分寺崖線が小金井まで延び、その崖下からコンコンと湧き出ているのです。
3番目の写真は小金井市の貫井弁天の裏で幾つかの泉からの湧水を集めて流れている水路です。
4番目の写真は貫井弁天の湧水で出来た深い池の風景です。
このような泉のそばに人が住みついたのです。畑作や稲作の時代になると湧水群の周囲に農地が出来、集落も出来ました。
国分寺市でも小金井市でも崖線の下側に昔から農村がありました。崖の上の台地には開発されない時代が長く続いたのです。
次に武蔵野台地の湧水で出来た善福寺池と富士見池をご紹介したいと思います。
現在の善福寺公園や武蔵関公園や石神井公園や井の頭公園などは皆湧水で出来た自然の池を中心にしています。
5番目の写真が善福寺池の風景です。
善福寺池は、古来より武蔵野台地からの湧水池として知られ、江戸時代には、貴重な水源ででした。またこの池は遅野井池とも呼ばれ付近一帯の上井草村は別名遅野井村とも言わていました。
善福寺の名の由来は、池のほとりにあった寺の名前に由来しています。しかし現在、近所に「善福寺」という寺がありますが、それは福寿庵という元々違う名前だった寺です。後年地名をとって改名したお寺です。
6番目と7番目の写真は武蔵関公園の富士見池の風景です。
武蔵関公園は大正時代に私設公園としてボート場や遊具施設などが整備され、1938年10月に東京市立公園として開園したそうです。
池には西側と東側に「葦の島」と「松の島」という島があり、葦の島は春先に花ダイコンが咲き一面紫色になります。
冬は青空ながら寒い北風が吹いていたので人影も少なく、静かな池の風景です。
今日は武蔵の泉と湧水で出来た池をご紹介いたしました。「姿見の池」、「真姿の池」、「善福寺池」、そして「富士見池」などをご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)