もう1年ちかく続いているウクライナの戦乱はスペインの内戦やベトナム戦争を思い出させます。この3つの戦争は原因も経過もまったく違いますがある共通点があるのです。いずれもアメリか、英国、ソ連などを巻き込んだ国際戦争だったのです。ウクライナでは欧米諸国は派兵していませんがミサイルを供給し戦車まで送ろうとしています。
今日はスペイン内戦、ベトナム戦争、そしてウクライナの戦乱を振り返ってみたいと思います。人類の間で何故戦争が絶えないのでしょうか。
まずスペイン内線です。
1936年から1939年の3年間にわたってスペインで内戦が続き、国土が荒廃しました。左派の人民戦線派とフランコが率いる右派の軍人部隊が激しく戦ったのです。
ソ連やメキシコが左派軍を支援し、それに加えて欧米の自由主義者が数多く志願兵として人民戦線側に参加しました。
一方、独裁国のドイツとイタリアは軍人部隊の右派を支援し、1937年にはドイツの爆撃機が人民戦線側が占領していたゲルニカという町を徹底的に爆撃したのです。
結局、フランコ軍が勝利してフランコ独裁政治がその後1975年まで36年間続くのです。
これがスペイン内戦です。
ヘミングウエイはスペイン内戦で左派人民戦線側に志願した男の悲劇的なラブロマンスを書いた小説、「誰がために鐘は鳴る」を1939年に出版しました。
それは大戦中の1943年にゲイリー・クーパーとイングリット・バーグマンの主演で、アメリカで映画化され、日本では戦後に上映されました。以下にその一場面の写真を示します。
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1番目の写真は「誰がために鐘は鳴る」の一場面です。機関銃で独裁軍を打っているゲーリークーパーとイングリット・バーグマンです。
いろいろな勢力が外国から加わった1936年から1939年のスペイン内戦は複雑な事情があったのです。この内戦は第二次世界大戦の前哨戦として重要な意味を持っていたのです。
次にベトナム戦争です。ベトナム戦争の始まりはこうでした.
1962年2月、アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り1964年8月にトンキン湾事件を起こし、戦争に直接介入するようになります。
1965年2月、アメリカは北ベトナムの北爆を開始し本格的な戦争に突入しました。これがベトナム戦争の始まりでした
1968年1月、南ベトナム全土で解放戦線のテト攻勢により、アメリカは大打撃を受けます。
その結果、1968年5月には、パリ和平会談を開始します。1973年1月にパリ和平協定が調印されます。
1975年4月30日、北ベトナムと解放戦線が春の大攻勢を行うと、南ベトナムのズオン・バン・ミン大統領は全面降伏します。そしてサイゴンは陥落し、南ベトナム国は崩壊したのです。南ベトナムを北ベトナムが実権を掌握し、ベトナム戦争は終結しました。ベトナム戦争で南北ベトナムは統一され共産党独裁の国家になったのです。
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2番目の写真はアメリカ軍の航空母艦から邪魔になっている軍用ヘリを海上に投棄する場面を写した写真です。アメリカ軍の完全敗北を象徴した有名な写真になりました。
この戦争で58000人のアメリカ兵が戦死し数百万人のベトナム人が犠牲になったのです。
サイゴンからの脱出にあたって、アメリカ海軍の航空母艦はすでに多数のヘリを収容していました。後続の避難民を乗せたヘリをさらに着艦させるため邪魔になっている多数のヘリを南シナ海に投棄せざるをえなかったのです。
3番目はウクライナの戦乱です。ウクライナへ侵入したロシア軍を完全に駆逐出来るでしょうか?
NATO軍やアメリカ軍が軍機支援をしているので戦争は長期化するでしょう。ベトナム戦争と同じようになるのでしょう。ウクライナの戦乱の現状を写真で示します。
写真の出典は、https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230127/k10013954911000.html です。
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3番目の写真はミサイル攻撃を受けたウクライナの集合住宅です。
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4番目の写真はロシアのミサイル攻撃を受けて燃える火力発電所です。 2022年9月
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5番目の写真は戦乱の犠牲になり死んだ孫娘の墓の前で悲しむ祖母です。 マリウポリ郊外 2022年11月
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6番目の写真は集められた予備役の人と家族の別れです。
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7番目の写真は荒廃した首都キーウを歩く人たちです。 2023年1月
ベトナム戦争とベトナム訪問のことを思い出すと、ウクライナの戦争で心が痛みます。ベトナム戦争のように長期間の戦争になるでしょう。
しかしウクライナの戦争はベトナム戦争と違います。原因も背景も全く違います。しかし戦争の悲惨さ惨酷さは全く同じです。資本主義の欧米諸国と共産党独裁のロシアとの戦争ともなっています。資本主義と共産主義の争いという側面も持っているのです。こうなると長期化は避けられません。
しかしウクライナの国土に早く平和が訪れるように祈っています。祈らざるを得ないのです。
今日はウクライナ戦争が泥沼化し長期に続く様相を書きました。ベトナム戦争のように長い戦争になるのです。実に困ったものです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)