現在の東京都小金井市は明治22年に江戸時代の貫井村と小金井村が合併して出来ました。
明治政府は明治 21 年に市制・町村制を公布、翌 22 年に施行して明治の大合併と呼ばれる全国の自治体の大規模な編成取りまとめを行ったのです。
それ以前には小金井村と貫井村はそれぞれ別個に村でした。貫井村総鎮守は貫井弁天神社です。裏から豊かな湧水が出ていて大きな池になっています。
今日はこの貫井弁天神社の写真を撮って来ました。写真をお送り致します。
この貫井弁天神社近辺には貫井遺跡があり、後期旧石器時代および縄文時代の遺跡と分かっています。これまで24次にわたる発掘調査が行なわれ、縄文時代中期前半~末葉の住居跡が55軒検出された大規模な集落跡が見つかっています。
近隣には、国分寺崖線に面して西側に国分寺市東京経済大学構内遺跡、東側に小金井市はけうえ遺跡、南側の斜面下位の立川面には荒牧遺跡があり、野川流域遺跡群を構成しています。私の住んでいる場所には後期旧石器時代や縄文時代から人が住んでいたのです。嗚呼。
明治政府は明治 21 年に市制・町村制を公布、翌 22 年に施行して明治の大合併と呼ばれる全国の自治体の大規模な編成取りまとめを行ったのです。
それ以前には小金井村と貫井村はそれぞれ別個に村でした。貫井村総鎮守は貫井弁天神社です。裏から豊かな湧水が出ていて大きな池になっています。
今日はこの貫井弁天神社の写真を撮って来ました。写真をお送り致します。
この貫井弁天神社近辺には貫井遺跡があり、後期旧石器時代および縄文時代の遺跡と分かっています。これまで24次にわたる発掘調査が行なわれ、縄文時代中期前半~末葉の住居跡が55軒検出された大規模な集落跡が見つかっています。
近隣には、国分寺崖線に面して西側に国分寺市東京経済大学構内遺跡、東側に小金井市はけうえ遺跡、南側の斜面下位の立川面には荒牧遺跡があり、野川流域遺跡群を構成しています。私の住んでいる場所には後期旧石器時代や縄文時代から人が住んでいたのです。嗚呼。