雪国の人にとっては降雪ほど嫌のものが無いかも知れません。特に高齢者は屋根や家の周りの雪掻きもままならず、暗い家の中に閉じ込められる日々が続きます。しかし東京は毎日晴天つづきで寒い風だけが吹いています。そうなると人間は勝手なもので雪が恋しくなります。空から白い雪片がヒラヒラ舞い降りてきて全てが銀世界に変わるのです。
戦前、戦後のころに過ごした仙台の冬の日々を思い出していました。雪のある風景を思い出して懐かしいのです。
そこでそんな風景写真を探しました。そうしたら仙台の郊外や市内によく似た風景写真を見つけました。その写真を示します。写真の出典は以下の写真集です。
「豪雪地帯の風景写真」、https://stock.adobe.com/jp/search/images?k=%E8%B1%AA%E9%9B%AA%E5%9C%B0%E5%B8%AF&asset_id=321799242
1番目の写真は仙台市の西の郊外から奥羽山地の方向を見た風景によく似ています。親友の庄司君が住んでいた愛子という所の風景によく似ています。
2番目の写真は私が住んでいた向山の雪に覆われた木のように見えます。
3番目の写真は仙山線の作並の鉄橋の雪景色のようです。
4番目の写真は仙台市の西の郊外に広がる平野の風景に似ています。
5番目の写真は仙台市の夜の雪景色に見えます。
戦前、戦後のころに過ごした仙台の冬の日々はもっと寒々としていました。もっと貧しかったのです。
当時は日本中が貧しくて冬の寒さが一層厳しく感じられたのものです。家の暖房といえば火鉢の小さな炭火と練炭コタツしか無いのです。その上、外と家の中を仕切るガラス戸の立て付けが悪くて隙間風が入って来ました。
吹雪の夜に寝ていると枕もとまで雪片が入ってきたものです。
現在の日本の家はガスストーブや電気ストーブやエアコン暖房で温められていて冬の寒さなど怖くありません。
しかし時々は昔の冬の寒さを思い出した方が良いのではないでしょうか?
その冬の寒さを考えると春の有難味が一層深くなります。四季のあることに感謝したくなります。日本に生まれた幸せをしみじみと感謝します。
そこで今日は小泉八雲作、「鳥取の布団」という寒くて悲しいお話をお送りいたします。
以下は小林幸治さんの翻訳です。出典はhttp://bbs.yakumotatu.com/test/read.cgi/epublish/1407132963/n90-96 です。
全文は長すぎるので部分的に省略しました。
・・・ かなり昔、鳥取の町のとても小さな宿屋に、最初の客として行商人が泊りました。良い評判を立てようと宿の主はそのお客を大変親切に迎えたのです。
新しい宿ではありましたが、主人が貧乏なため大部分の道具─箪笥と調度品─は古物屋から購入したのです。しかし、なにもかもが清潔で快適できれいでした。お客は思う存分食べ、ほど良く暖められた酒を存分に飲んだ後で、柔らかい床に用意された寝床に倒れこみ眠るために体を横たえました。
さて、寝床がとても心地良ければ、暖かい酒をたらふく飲んだ後は、たいてい人はぐっすり眠るものです。
しかしその客は、部屋の中から声がしたので、ほんの少しの間眠っただけで目を覚ましたのです。
──いつまでも同じ問い掛けでお互い訊ね合う子供の声でした。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
寝ていた客は子供が何人か座敷へ迷い込んだに違いないと思ったのです。
しばらく沈黙があって、それから優しく、か細い、哀れな声が耳元でまた聞こえたのです。
「あにさん、寒かろう」
別の優しい声がなだめるように答えを返す「おまえ、寒かろう」
客は立ち上がり、行灯の中の蝋燭に再び火を灯し、部屋を見回した。誰も居ない。障子は全て閉まっている。
いぶかりながらも、灯りを燃えるまま残し再び横になると、すぐに枕元から再びぶつぶつと話す声がした。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
その時初めて、夜の冷え込みではない、忍び寄る寒気を全身で感じた。声は繰り返し聞こえ、その都度怖れは深まった。
声は布団の中からだと分かったのです。それは寝床の掛け布団が、このような呼び声を出していたのです。
彼は慌ただしく少ない所持品をかき集めて階段を降り、宿を飛び出します。
・・・宿の主はその布団をある貧しい家族の物で、その家族の小さな家の大家から買ったことを思い出します。
その小さな家の家賃は、月にたったの六十銭でしたが、これでも貧しい人が払うには大きな負担です。父親が稼げるのは月に二三円だけ、母親は病気で働けず、二人の子供がいた──六歳と八歳の少年です。
ある冬の日、父親が病気になり7日の間苦しんだ後に死んで埋葬されました。
それから長く病んだ母親も後を追い、子供達は身寄りも無く残されました。
彼らは助けを求める者を誰も知らず、家の中に売れる物が有れば生きるために売り始めたのです。
死んだ父母の着物、それと自分達の物のほとんどと何枚かの木綿の布団、僅かな貧しい家庭の調度品──火鉢、皿やお椀に茶碗、他の些細な物などです。
そうして毎日何かを売って終いには1枚の布団の他は何も残らないまでになりました。
そして食べる物が何も無く、家賃も払っていない日が来ます。
恐ろしい大寒、最も寒さの厳しい季節の到来、吹き寄せる雪が、小さな家を埋めます。そのため、1枚の布団の下で横になるしかできず、寒さに震え、子供らしいやり方でお互いにいたわり合ったのです──
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
火は無く、火を焚ける何物も無いまま闇がやって来て、凍える風がヒューヒューと小さな家の中まで吹き抜けます。
彼らは寒さを怖れたが、家賃の取り立て、乱暴に追い立てる家主がもっと恐ろしかったのです。
何も払えないと分かると、子供達を雪の中へ追い出し、1枚の布団を取り上げ、家に鍵をかけたのです。
それぞれ薄い着物しか持たず、他の全ての衣類は食べ物を買うため売ってしまったのです。
遠くない所に観音の寺は在るが、たどり着くには雪が激し過ぎます。仕方なく、大家が去ると 彼らはこっそり家の裏へ戻り、そこで寒さによる眠気を感じ、お互いに温まるよう抱き合って眠ったのです。
眠っている間に、神様が彼らへ新しい布団を掛けたのです──霊的な──白くてたいそう美しい物です。
彼らはもはや寒さを感じません。何日もそこで眠り、それから誰かが彼らを見付けたのです。
そして永遠の暖かい寝床が用意されたのです。それは千手観音の寺の墓場の中でした。
この事を聞いた宿屋の主人は、小さな魂のために経を読み供養して貰うため、その布団を寺の坊さんに渡しました。それから後、その布団は話しをやめたそうです。(終り)
昔の冬の寒さを考えると春の有難味が一層深くなります。四季のあることに感謝したくなります。日本に生まれた幸せをしみじみと感謝します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)