後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本の歴史(13)神武天皇と皇国史観の噓」

2023年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の高齢者は学校の歴史教育で神武天皇が日本という国を造り、神武天皇が初代の天皇だと教わりました。天皇が権力者になった奈良時代に書かれた日本書紀にそう書かれているのです。そして神武天皇の即位年は紀元前660年2月11日と考えられています。縄文時代の終わり頃です。
こういう日本書紀の記述は皇国史観というものです。
今日は神武天皇は架空の存在で皇国史観はまったくの噓であることを書きたいと思います。昔学校で神武天皇が日本を造ったと習ったので懐かしいのです。嘘でも懐かしい「神話」なので書きたいのです。以下は日本書紀に描かれている神話です。
(1)神武天皇の生まれた場所
神武天皇は九州の筑紫のくにの日向の高天ヶ原生まれました。
神武天皇は天照大御神の孫です。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)と玉依姫(たまよりびめ)の第四子として生まれたのです。『日本書紀』では兄に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命がいるというのです。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命は万葉仮名です。
そして神武天皇は15歳で立太子になります。現在の成人式に相当するのが立太子です。
吾平津媛を妃として手研耳命を生みました。
(2)神武天皇の東征と大和での即位
45歳のときに兄や子を集め東征を開始します。日向から宇佐、安芸国、吉備国、難波国、河内国、紀伊国を経て数々の苦難を乗り越え大和国を占領しました。
その大和では畝傍山の東南にある橿原の地に都を開いたのです。そして媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とし、翌年に即位して初代天皇に成ったのです。『日本書紀』に基づく明治時代の計算によると即位日は西暦紀元前660年2月11日です。
現在日本では2月11日が建国の日として祝日になっております。神話に基づく祝日なのです。
そして神武天皇は76歳で崩御します。
(3)神武天皇に関連した写真
以上は神話です。まったく架空の話です。しかし日本人はこの架空の神話が好きです。私も昔学校で習って懐かしい話です。そこで神武天皇に関連した写真をお送りしたいと思います写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87#%E8%80%83%E8%A8%BC です。

1番目の写真は『神武天皇御尊像』です。1940年(昭和15年)の北蓮蔵画です。

2番目の写真は大和にある橿原神宮です。

3番目の写真は奈良県橿原市にある神武天皇の畝傍山東北陵です。架空の人物でもこんな立派なお墓があるのです。

さて現在の「建国記念の日」は昔は紀元節でした。私は終戦前の国民学校での紀元節の式典を憶えています。校長先生が意味不明の勅語を読みます。我慢して聞いていると・・御名御璽。で終わります。紅白の饅頭を貰って、その日の学校は終わりです。早く学校が終わるのでその後はゆっくり遊べるのでした。子供にとって紀元節は楽しい思い出です。

しかし明治維新以来、「皇国史観」が富国強兵の思想的な背景になっていたのです。「皇国史観」に影響をうけた教育では国民は天皇陛下にために命を捧げることは尊いことだと教えました。兵は戦死する時、「天皇陛下万歳」と叫べと教えたのです。
暗い話になったので、このへんで止めます。

今日は架空の神武天皇と皇国史観にまつわる思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)