後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「忘れられない昭和20年前後の風景」

2024年12月22日 | 写真
昭和11年生まれの私は昭和時代の侘しい生活を体験しています。日本が高度成長する前の貧しい暮らしを経験しています。昭和20年前後の貧しい日本の風景が忘れられないのです。
そこで「昭和時代の生活の写真」を検索しました。そうしたら昭和時代の生活を伝える写真が沢山出て来ました。その中から六衛府さんのブログ、「カラー画像で見る昔の時代」を選び、以下にその写真の一部をご紹介したいと思います。(六衛府さんのブログは現在削除されています。)
1番目の写真は奈良市東向北町商店街です。1952年(昭和27年)撮影
2番目の写真は吉田茂です。1950年(昭和25年)撮影
3番目の写真は日本国憲法が公布された昭和21年の神奈川県の大磯です。
4番目の写真は昭和19年3月の出征記念写真 です。
5番目の写真は昭和26年(1951年)の秋葉原です。
6番目の写真は1951年・昭和26年の広島駅です。広島郊外バスは現在の広島交通。
7番目の写真は昭和20年9月の東京・銀座四丁目です。服部時計店が進駐軍に接収されPX(兵士用売店)になっています。
8番目の写真は昭和28年(1953年)の沖縄県石川市(現うるま市)です。

1番目の写真は私が若い頃よく見た地方の町の様子によく似た風景です。日本の地方の町々はこのようでした。こんな町は現在でも中山道の奈良井の宿に現存しています。
写真には高度成長が始まる前の町の様子があります。ビルが立ち始め自家用車が次第に多くなっております。いろいろな小売店が繁盛している様子にご注目下さい。この後の時代に大型量販店が沢山出来て繁盛していた小売店が消えてしまったのです。
これらの写真が示すように高度成長前の日本の暮らしは貧しかったのです。
こんな貧しい時代には家庭でクリスマスでを祝うことはあまり一般的ではなかったのです。
私が本気でクリスマスでを祝うようになったのは子供達が幼稚園の頃からです。
山から樅ノ木を取って来てクリスマスツリーを自分達で何度も作りました。それは家内と私の良い思い出になりました。

今日は昭和時代の終戦前後の侘しい生活の写真を示し、私自身のクリスマスの思い出を少しだけ書きました。使った写真は六衛府さんのブログから選びました。最後になりましたが六衛府さんへ感謝の意を表します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。