五重塔とか三重塔は日本にしか無い木造の仏塔です。お釈迦さまの遺骨が中心柱の下に埋めてあります。
ミャンマー、タイ、ベトナムなどの上座部仏教圏では石やレンガで作られれた円錐形の塔で、日本の五重塔とは全く違う形です。
中国でも長安の大雅塔などの様にレンガを円筒形や六角柱の形に高く積み上げた仏塔です。
従って木造の五重塔は日本にしか見られない美しい建造物なのです。
その美しさの故に多くの人々が国宝の五重塔を眺めに行きます。そしてお釈迦さまの遺骨(舎利)へ祈ります。
構造は中央に心柱とそのまわりの12本の柱で支えられ、中は部屋もなく空洞です。五重の屋根とてっぺんに相輪がついています。
国宝の五重塔は次のように9つあります。
東寺五重塔(54.8m)、興福寺五重塔(50.8m)、醍醐寺五重塔(38.2m)、法隆寺五重塔(31.5m)、瑠璃光寺五重塔(31.2m)、羽黒山五重塔(29.4m)、明王院五重塔(29.1m)、海住山寺五重塔(17.7m)、そして室生寺五重塔(16.1m)です。
それではこの中から5つを選んで写真で示します。
1番目の写真は羽黒山 五重塔 (国宝)です。
羽黒山参道の上り口の杉並木の中に静かに立っています。東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられています。
現在の塔は、約600年前に再建されたものと考えられています。高さが29.0mの三間五層柿葺素木造で、昭和41年には国宝に指定されました。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉“爺杉”があります。(http://kirakirauetsutabi.net/data/sight/000318.html )
2番目の写真は山口県山口市香山町にある瑠璃光寺五重塔です。高さは31.2メートルで1442年に建てられました。
現在の五重塔のある瑠璃光寺は、もともとは香積寺というお寺で、大内義弘が菩提寺として建てたお寺でした。大内義弘の死後、弟の盛見が、兄の菩提を弔うために、香積寺の境内に五重塔を建立に着手し、塔が完成したのは1442年で着工から30年後でした。
その後、寺の移転と同時に五重塔も解体され移築されるはずが、地元の人の嘆願書で塔が残ることが認められたのです。当時の地元の人の五重塔に対する愛情と気持ちが偲ばれます。
結果的に、五重塔だけが残ったのですが、1690年に山口市仁保というところから、現在の瑠璃光寺が移転され、瑠璃光寺の所有となったのです。瑠璃光寺の歴史も古く、曹洞宗の中国3寺のひとつで末寺も多くあったお寺でした。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=7 )
3番目の写真は、国宝の法隆寺五重塔です。日本三名塔のひとつで、日本最古の五重塔です。
建築年代は飛鳥時代(680年頃)で高さは32.5メートルあります。
この五重塔の仏舎利(釈迦の遺骨)は、瑠璃の小壺に納められ、それを純金の器に入れ、さらに銀器に入れて、銅碗の中におき、瑠璃小玉葡萄鏡とともに孔中に安置し、銅版のフタがしてあります。この安置法は、インド伝来の風習で、それが奈良に残っているのは奇跡と言われています。
法隆寺金堂と共に世界最古の木造建築物です。
法隆寺五重塔は、外観的にも安定した整った美しさがある。
形式は、飛鳥時代のもので、(エンタシス)柱に膨らみがあったり、軒下に木組みに雲型のときようが使われています。 五重塔には、その四面に土で須弥山を構え、諸種の泥象が置いてあります。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=7 )
4番目の写真は京都市にある醍醐寺 五重塔です。
高さは37.4メートルで、建築年は平安中期の952年です。
屋根の大きさの逓減率など非常によくバランスがとれて、相輪もどっしりしていて立派です。
醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工し、村上天皇の951年に完成しました。応仁の乱の時、醍醐寺の山全部が焼失しましたが、五重塔のみ奇跡的に残ったのです。京都府下最古の建造物です。
内部の壁画は日本密教絵画の源流をなすものといわれています。界曼荼羅と真言八祖を表した壁画は、平安絵画の遺品として重要であり、五重塔本体とは別に「絵画」として国宝に指定されています。
( http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=9 )
5番目の写真は広島県福山市草戸町にある明王院五重塔 です。
明王院は、807年空海により創設されたお寺です。南北朝時代を代表する和様の建築物です
高さは29.1メートルで南北朝時代の1348年に建てられました。
初層中央の仏壇には大日如来、不動明王、愛染明王が安置され周囲の壁面には金剛界37尊が極彩色で描かれています。内部の公開は33年に一度の機会しかなく、次は2024年の予定です。
明王院五重塔の建築は、純粋な和様建築の雄大な建築といわれています。
五重塔の前に流れている芦田川には古い町が埋もれてしまった「草戸千軒町遺跡」があります。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=12 )
さて私は次のように国宝の仏像の写真を沢山ご紹介して来ました。
「 国宝の仏像は日本が世界に誇れる宗教芸術」(2018年07月09日掲載)
そして今日は国宝の五重塔の写真をご紹介しました。
そのような記事を書くのが非常に楽しかったのです。歴史のある美しいものを一つ一つ選んで鮮明な写真を探す作業が楽しいのです。
そして何よりも心が躍るのです。昔の日本人の仏教に対する篤い信仰に感動するのです。そうしてそんな日本人は現在の日本人よりも幸福だったのではないかという感想が頭をよぎるのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
ミャンマー、タイ、ベトナムなどの上座部仏教圏では石やレンガで作られれた円錐形の塔で、日本の五重塔とは全く違う形です。
中国でも長安の大雅塔などの様にレンガを円筒形や六角柱の形に高く積み上げた仏塔です。
従って木造の五重塔は日本にしか見られない美しい建造物なのです。
その美しさの故に多くの人々が国宝の五重塔を眺めに行きます。そしてお釈迦さまの遺骨(舎利)へ祈ります。
構造は中央に心柱とそのまわりの12本の柱で支えられ、中は部屋もなく空洞です。五重の屋根とてっぺんに相輪がついています。
国宝の五重塔は次のように9つあります。
東寺五重塔(54.8m)、興福寺五重塔(50.8m)、醍醐寺五重塔(38.2m)、法隆寺五重塔(31.5m)、瑠璃光寺五重塔(31.2m)、羽黒山五重塔(29.4m)、明王院五重塔(29.1m)、海住山寺五重塔(17.7m)、そして室生寺五重塔(16.1m)です。
それではこの中から5つを選んで写真で示します。
1番目の写真は羽黒山 五重塔 (国宝)です。
羽黒山参道の上り口の杉並木の中に静かに立っています。東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられています。
現在の塔は、約600年前に再建されたものと考えられています。高さが29.0mの三間五層柿葺素木造で、昭和41年には国宝に指定されました。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉“爺杉”があります。(http://kirakirauetsutabi.net/data/sight/000318.html )
2番目の写真は山口県山口市香山町にある瑠璃光寺五重塔です。高さは31.2メートルで1442年に建てられました。
現在の五重塔のある瑠璃光寺は、もともとは香積寺というお寺で、大内義弘が菩提寺として建てたお寺でした。大内義弘の死後、弟の盛見が、兄の菩提を弔うために、香積寺の境内に五重塔を建立に着手し、塔が完成したのは1442年で着工から30年後でした。
その後、寺の移転と同時に五重塔も解体され移築されるはずが、地元の人の嘆願書で塔が残ることが認められたのです。当時の地元の人の五重塔に対する愛情と気持ちが偲ばれます。
結果的に、五重塔だけが残ったのですが、1690年に山口市仁保というところから、現在の瑠璃光寺が移転され、瑠璃光寺の所有となったのです。瑠璃光寺の歴史も古く、曹洞宗の中国3寺のひとつで末寺も多くあったお寺でした。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=7 )
3番目の写真は、国宝の法隆寺五重塔です。日本三名塔のひとつで、日本最古の五重塔です。
建築年代は飛鳥時代(680年頃)で高さは32.5メートルあります。
この五重塔の仏舎利(釈迦の遺骨)は、瑠璃の小壺に納められ、それを純金の器に入れ、さらに銀器に入れて、銅碗の中におき、瑠璃小玉葡萄鏡とともに孔中に安置し、銅版のフタがしてあります。この安置法は、インド伝来の風習で、それが奈良に残っているのは奇跡と言われています。
法隆寺金堂と共に世界最古の木造建築物です。
法隆寺五重塔は、外観的にも安定した整った美しさがある。
形式は、飛鳥時代のもので、(エンタシス)柱に膨らみがあったり、軒下に木組みに雲型のときようが使われています。 五重塔には、その四面に土で須弥山を構え、諸種の泥象が置いてあります。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=7 )
4番目の写真は京都市にある醍醐寺 五重塔です。
高さは37.4メートルで、建築年は平安中期の952年です。
屋根の大きさの逓減率など非常によくバランスがとれて、相輪もどっしりしていて立派です。
醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工し、村上天皇の951年に完成しました。応仁の乱の時、醍醐寺の山全部が焼失しましたが、五重塔のみ奇跡的に残ったのです。京都府下最古の建造物です。
内部の壁画は日本密教絵画の源流をなすものといわれています。界曼荼羅と真言八祖を表した壁画は、平安絵画の遺品として重要であり、五重塔本体とは別に「絵画」として国宝に指定されています。
( http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=9 )
5番目の写真は広島県福山市草戸町にある明王院五重塔 です。
明王院は、807年空海により創設されたお寺です。南北朝時代を代表する和様の建築物です
高さは29.1メートルで南北朝時代の1348年に建てられました。
初層中央の仏壇には大日如来、不動明王、愛染明王が安置され周囲の壁面には金剛界37尊が極彩色で描かれています。内部の公開は33年に一度の機会しかなく、次は2024年の予定です。
明王院五重塔の建築は、純粋な和様建築の雄大な建築といわれています。
五重塔の前に流れている芦田川には古い町が埋もれてしまった「草戸千軒町遺跡」があります。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=12 )
さて私は次のように国宝の仏像の写真を沢山ご紹介して来ました。
「 国宝の仏像は日本が世界に誇れる宗教芸術」(2018年07月09日掲載)
そして今日は国宝の五重塔の写真をご紹介しました。
そのような記事を書くのが非常に楽しかったのです。歴史のある美しいものを一つ一つ選んで鮮明な写真を探す作業が楽しいのです。
そして何よりも心が躍るのです。昔の日本人の仏教に対する篤い信仰に感動するのです。そうしてそんな日本人は現在の日本人よりも幸福だったのではないかという感想が頭をよぎるのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)