後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

楽しいメルヘンの世界へご案内します

2009年09月25日 | うんちく・小ネタ

83x83x83l82cc975b95e982ea1

今日は少し趣向を変えて、私のネット友人の、ことめ さんのイラストの世界をご紹介致します。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

横浜在住の虹河琴女(にじかわ ことめ)さんは、主婦で昼間の仕事をしながらイラストレーターとして活躍しています。

イラストの分野で数々の雑誌の記事や小説の挿絵を担当してきました。そして平成19年11月には銀座の「ぎおん石」4階ギャラリーで個展も開催しました。いくつかの受賞歴もあります。下記はご本人のごあいさつです。

ことめのHP: http://www.ac.auone-net.jp/~kotome/ へようこそお越しくださいました!こちらへ訪れて来てくださった皆様が

癒しや前向きな気持ちになれるようなイラストを目指して描いていきます。

主に幻想的なメルヘンイラストで「ひととき」の大切さを描いていくのが私流なのだと最近、思います。

「心を込めて」をモットーにしてゆきます。

どうぞ宜しくお願い致します

是非、ことめさんのHPを開いて数多くのイラストの世界をお楽しみください。

ここでは転載許可を頂いた3枚のイラストを掲載いたします。ことめさん転載許可を頂き有難うございました。(終わり)

8be082cc89b990f82g82o1 8fd28a9782cc8de782ad96e983r83s815b8


国連での日本のCO2削減・核廃絶演説と映画「おくりびと」の外国での評判

2009年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

鳩山首相が国連で日本がCO2を25%削減する方針と核兵器廃絶の外交を積極的に展開する方針を演説し大きな反響を得た。日本が理想主義的な主張を国連総会と安保理事会で演説したことは画期的なことと思う。それと娯楽映画の「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞し各国で上映され各国で観客賞を受け、人々の評判も良いという。例えば私のネット友人のアメリカ在住のShionさんがサンフランシスコの映画館で「おくりびと」の上演が終わった直後に観客が総立ちになって拍手を送ったと報じている。またフランスに住んでいるネット友人のParismidoriさんもパリのフランス人の友人が感動したというコメントも送ってくれた。

今日は、理想を語る「鳩山演説」と映画「おくりびと」の評判の関連を少し考えてみたい。一方は政治問題であり一方は娯楽映画だから関連がないと論ずるのは大きな誤りと思う。

世界中の多くの人々はベートーベンの荘厳な音楽もアマデュウス・モーツアルトの甘美な楽曲も好きである。その上、ジャズも各国の流行歌も好きなのが普通である。そして人々は環境問題や核戦争反対にも興味を持っている。その上、人々は芸術映画も娯楽映画もとにかく退屈しない程度に面白ければ観る。私のアメリカに住んでいる芸術家のAmadeusさんも観た。いささか感心しない部分もあったらしい。しかし今日の主題に関係がないのでその事は今日は論じない。

従って、「政治問題」と「娯楽映画の良し悪しの問題」は別々の問題ではあるが、同じ人間の心の中では隣り合わせて同居していて、お互いに影響をしあっているのだ。

簡単に言ってしまえば「おくりびと」で感動しや外国の人々は日本人に親しみを覚える。日本人が好きになる。その国の首相がいささか現実離れした理想論を国連で話しても好意的に聞く。好意が少し強くなると鳩山演説に協力する具体的な行動を起こす人々も出るだろう。

1990年まで続いた日本の高度成長期には、「工業製品の優秀さ」と「経済力」だけが日本の自慢であった。人類の理想を語って有名になったと自慢できる演説が無かった。世界中の多くの人々の家族生活の哀歓と共鳴できる映画作品が少なすぎた。

日本の変革が起きつつあると思う。民主党へ投票をした我々がその方向を支持しているのです。

今日、私の主張したいことは、「時事問題」と「人情」とは相互に深く関係していという現実を理解して欲しいということです。同じ人間の心の中に存在しているのですから。

貴方はどのようにお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。  藤山杜人


群馬のカヤシマさんのヨットの写真

2009年09月24日 | 写真

群馬のカヤシマさんは、私が1989年から1998年まで10年間乗っていたYamaha-19という国産ヨットを現在、偶然、霞が浦で丁寧に塗り替え、保守管理して乗っていらっしゃる方です。

昨日、あるマリーナの桟橋で御世話になり、今日は沖でセイリングしている時にお会いしました。波は静かでしたが北東の強風が吹く一日でした。お互いにメインとジブを縮帆して7ノット以上で走っていました。

写真を撮りましたので、郵送しますか?と聞きましたところブログに掲載して下さい。必要な写真は自分でプリントします。というお話なので写真を数枚掲載いたします。一番上の写真には群馬のカヤシマさんと家内が写っています。(終わり)

004 094

092 093 095 096

097_2 098 099 100 101


霞ヶ浦一泊2日のヨット遊びに行ってきました

2009年09月24日 | インポート

昨日と今日の一泊2日のヨットへ家内と行って来ました。風が強いので2枚のセイルを小さく上げて、それでも7ノット以上で快走して来ました。今年一番の快適なセイリングが出来ました。夜はヨットのキャビンに泊まりました。写真を数枚お送り致します。(終わり)

079 002 029 052 063 085 090 097


貴方が好きな田舎暮らしと戦争反対ーアメリカに散在するアーミッシュの村々

2009年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

アーミッシュとは、ペンシルバニア州、オハオ州などの中西部に散在しているキリスト教の一派。禁欲的な質素な生活を守り、職業は農牧業のみ。電気・ガス・水道、自動車、耕運機、電信電話など近代文明の産物は一切使用しない。義務教育はないし税金もない。

あるのは合衆国の徴兵のみ。それも看護などの後方勤務に限る。アメリカの市民権は認められ、白人ではあるが、異質の文化を守り、孤立した村として散在している。1989年にオハイオ州コロンバス市に住んでいた時、訪問音し一泊して来た。車で二時間の所にあるという。まったく想像を絶する原始キリスト教のような生活をしている。アメリカ人の「深い内面」の面白さの一つと思うので以下に探訪記を書く。

@「現存する中世の村人たち」ーーアーミッシュ村の風景ーー

アーミッシュの村に入ると、「路上で黒塗り箱型の馬車が近付いたら徐行すべし」という意味の絵看板が増えてくる。周りは一面の実り豊かな麦畑。その間に牛馬がのんびり草を食む牧場が散在し、素朴な木造一階建ての農家が栃の大樹の木陰に見え隠れしている。

看板通り、黒塗りの箱形馬車が近付いて来る。慌ててブレーキをかけ、徐行しながらすれ違う。手を挙げて挨拶をすると、黒いシルクハットをかぶり、襟の小さな黒い背広を着た老人が目を上げないで、手をわずかに振って挨拶を返す。

麦畑では刈り取った麦束を馬車に積み上げている。農夫はさすがに上着を脱ぎ、黒いチョッキ姿で汗を流しながら一心に働いている。

アーミッシュに車で観光に行った場合のマナーを大学の同僚が教えてくれた。

「御土産店、喫茶店、民宿の前以外の道端に絶対車を停めないこと。馬車が見えたら急いで減速し徐行せよ。必ず挨拶をすること。しかし相手の目を見たりしない。もちろん話し掛けてはいけない。女性は黒い長い服を着ているが、車と馬車がすれ違う時、前から覗き込んではいけない。アーミッシュ専用のスーパーマッケットがあり、黒い馬車がたくさん止まっているが、スーパー店内へ入ってはいけない。ソーッと遠方から眺めるだけにすること」「御土産店では村への入場料のつもりで多めにチーズやヨーグルトを買って上げなさい」

 @人生の豊かさの質とは

夜は木造2階建ての民宿に泊まる。部屋にはローソクしかないが、外の方が明るい。窓から見ると、満天の星空。星明りで外が明るい。「夕食ですよ」と呼びに来る。食堂には電気がついている。新鮮なホーレン草のサラダと鶏肉のソテーのみだが、自然栽培なので実に美味しい。もちろんビールや酒類は一切ない。

布に包んだ温かい焼きたてのパンが籠に入って出てくる。そばに座ってくれている女主人にいろいろ聞いた。電気は来ている。冷蔵庫、洗濯機、井戸水汲み上げポンプ、食堂と調理場の電燈に限って電気を使っているそうである。アーミッシュの人の職業は農牧業しか許されていないので、民宿やスーパーマーケット、御土産店などの経営者は普通のアメリカ人である。

「ところで、あすアーミッシュの人々の生活を見たいし話も聞きたいので、誰か紹介してくれませんか」と頼んだ。すると女主人が、「泊り客はそういうことをよく頼みます。でも丁重にお断りしています。アーミッシュの信仰中心の日常生活を邪魔しない。それが人として正しい接し方と思いますよ。」と答えた。そして続けて聞く、「日本にもキリスト教徒がいるのですか」

私は、五島列島の隠れキリシタン二百六十年の歴史や現在のキリスト教信者の話をした。ふと気が付いたらもう十時を過ぎていた。ローソクの炎の揺れる暗い部屋へ引き揚げ、星明りの窓の外をもう一度見てベッドへ潜り込む。アーミッシュの村は静けさに満ち、時がゆっくり流れている。ここには間違いなくクオーリテー・オブ・ライフの一つのタイプがある。しばらく帰っていない日本の人々の生活を想い、日本の「人生の豊かさの質」を考えている。尚、アーミッシュの村々の様子の写真はこの記事のすぐ下の「中世のヨーロパの農村生活を続けているアーミッシュ宗派の人々の写真」に御座います。あわせてご覧下さい。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人


中世のヨーロッパの農村生活を続けているアーミッシュ宗派の人々の写真

2009年09月22日 | 写真

アメリカの東部や中西部には自動車、電気、ガス、水道を拒否して、中世のヨーロッパの農村生活を現在でも続けているアーミッシュという人々が住む村が散在しています。ルターの宗教改革で生まれた純粋原始キリスト教の一派で絶対平和主義の信仰を守っている人々ですい。

その生活ぶりの写真をお送りします。特に3枚目の室内の写真を注意深くご覧下さい。部屋には電燈が無く、薪ストーブが中央にあるだけです。衣類も壁にぶら下がっているだけで、何枚もクローゼットに並べて吊るして仕舞うほど沢山持っていません。下着は箱に仕舞い、農作業と礼服を常に共用する服を毎日着ています。農作業にはトラクターは一切使いませんので、4枚目の写真のように馬車と人力だけで刈り取りを行います。関連の文章は明日掲載いたします。(続く)

上の3枚の写真の出典;http://en.wikipedia.org/wiki/Amish

4枚目の写真の出典http://en.wikipedia.org/wiki/Amish

Photo Photo_2 Photo_3

Amad0851_2


秋の夕暮れの稲田の風景

2009年09月22日 | 写真

この前の「黄金色に実った武川米の稲田の輝き」と題する写真の続編です。稲田と暮れなずむ甲斐駒のシルエットの写真と蕎麦の花と稲田の夕暮れの写真です。一昨日、家内が武川米の産地で撮った写真です。(終わり)

019 024


映画、「おくりびと」は一級の娯楽作品です

2009年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、テレビで「おくりびと」を2時間20分見ました。笑いあり、ペーソスあり、涙ありの娯楽作品です。娯楽作品としては「寅さんシリーズ」と同じくらいの一級作品です。とにかく、もう寝ようと思いつつストーリーの展開が奇想天外で、ついお終いまで見てしまいました。オーケストラでチェロを弾いていた主人公の本木雅弘が楽団の解散で職を失い、郷里の山形へ引き揚げ、そこで納棺師という仕事にいやいやながら引き込まれて行きます。お葬式の時、遺体を棺に収める前に体を拭き清めたり、お化粧をしたり、美しい着物を着せてから送り出します。遺族の悲しみを和らげるように丁寧に、愛情をこめて遺体を美しくして棺に収めるのです。別れた母子のお涙頂戴のエピソードも混じえて、父子物語が底に流れた人情話が主です。本木雅弘が6歳の時、家に奥さんを残して他の女と出て行ってしまった消息不明の実父がある漁港の番屋で死にます。警察から連絡があり、主人公がしぶしぶ遺体を引き取りに行きます。奥さん役の広末涼子が見守るなかで丁寧に納棺の準備をしていると憎んでいた実父の遺体の握りしめた掌の中から丸い可愛い小石が転げ落ちます。父が女と一緒に母と子を捨てて出奔する前に父と交換した小石です。それを握りしめながら実父が死んで行ったのです。一緒にいたはずの女とはずいぶん昔に別れたのです。ダンボール箱一個だけの遺品を残して、捨てた昔の妻や息子の思い出だけを大切にして侘しい漁港で雑役夫をしながら野たれ死ぬのです。父を憎んでいた本木雅弘が涙を流しながら遺体を清めて、死化粧をして行きます。その場面で映画は終わりになります。チェロの美しい曲を本木が弾く場面があちこちに挿入されていて美しい音響効果を上げています。カメラは丁寧に撮っていて、小津安次郎風のクラシックが撮り方をしています。兎に角、立派な娯楽作品です。さて宗教を信じている私としてはどうしても書きたいことがあります。それは主人公役をした本木雅弘さんが納棺師が書いた本を読んだ時、これは、必ず自分が演じて映画にしたいと考えたそうです。この感性がとても重要だと信じています。死んだ人を慈しみ、優しく、丁寧に送りだすことは残った家族の願いです。それを映画の主題にする。そして自分がそれを演じる。

本木雅弘さんの豊かな人間性が素晴らしいのです。

さて、皆様はこの映画をご覧になりましたか。娯楽作品としては見る価値があります。ご覧になった方々のご感想をコメントとして頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康をお祈り致します。     藤山杜人


日本人の高い民度と公共のマナーの良さ、車運転の礼儀の良さ

2009年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

古い話になりますが、1960年に初めてアメリカへ留学したとき打ちのめされたような気分を何度か味わいました。敗戦後の荒廃した貧しい日本からいきなり戦勝国のアメリカへ行き、その想像を遥かに超えた豊かな生活に完全に打ちのめされました。乗用車を8台も一台のトレーラートラックに積んで運んでいる光景に度肝を抜かれました。ああ、これでは戦争に負けるのが当然だ!と深く嘆胆したのです。

そして物質的な豊かさだけではないのです。車の運転マナーの良さにショックを受けました。信号は守る。人が横断しようとしていると車が止まる。ニッコリと笑って、ゆっくり横断しなさいと手で合図をしてくれる。そのうち自分で中古車を買い、運転を始めるとさらに驚く。下手な運転をしていると道を譲ってくれる。交通違反をして警官に止められても外国人の初心者と分かると許してくれる。このようなアメリカ人の心の豊かさにと、「民度」の高さに圧倒されたのです。

それがベトナム戦争で暗転するのです。その話は又別の機会にいたします。

今日は日本人の民度が1960年当時のアメリカ人の民度と同じになってきたという話を書きます。下の写真は先日、家内と行った昭和記念公園の水鳥の池のそばの野外レストランの光景です。自分で注文した食事のトレイを自分で運んで来て、食後は紙皿やプラスチックの食器を分別して自分で捨てに行きます。トレイだけはレストランへ返します。見ていると子供でも老人でも皆が完璧に行っています。誰一人テーブルの下に紙屑を捨てる人が居ません。

1960当時の日本人は紙くずはテーブルの下へ捨てます。こういう公園はゴミだらけで、毎日箒を持った何人もの掃除人が土埃を上げて掃いていたものです。民度が上がったとしか言いようがありません。

054

駅や列車内などの公共の場所での日本人のマナーの良さには感動的です。

この民度の良さは高速道路などでの車の運転のマナーの良さにも表れています。昨日午後に東京から山梨の北杜市まで140kmほど走り、今日は同じ道を帰って来ました。連休中なので車は数珠つなぎでしたが、皆が礼儀正しい運転をしています。従って車が多くても怖いような感じがしませんでした。

隔世の感です。昔はトラックやダンプカーが神風運転をするので乗用車の我々が逃げ回っていたものです。それでもクラックションで追いたてられ毎日怖い思いをしたものです。

戦前、戦後、現在と長い間生きて来た老人になった今、とても幸せに感じることは日本人の民度が高くなったことです。繰り返しますが、「隔世の感」です。

老人の皆様はどのようにお考えでしょうか?  (終わり)


淋しい山里の秋の夕暮れ

2009年09月21日 | 写真

皆様のお住まいの土地の秋の夕暮れ風景は如何でしょうか?

昨日泊まった山梨県北杜市の山里の夕暮れの写真をお楽しみ下さい。秋の夕暮れは何故か淋しい感じがします。(家内の撮った下手な写真です。)

005_2 030_3 033_3 020_2


別荘を持つことの厳しさと覚悟すべきこと(1)湿気とカビと虫対策

2009年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

046

別荘を持つことを憧れる人々も多いようです。 憧れているのは良いのですが、持ってみると現実の厳しさに辟易する人も多いようです。別荘地のある市町村の役所との関係も面倒なものです。私は上の写真にあるような ”山作業用の小屋” を1973年から所有していて毎年24回位通っています。上の写真の小屋は別荘ではありません。近所には「別荘」と「一般住宅」と「小屋」が散在しています。この三者の違いは地方自治体の規則で、役場が一方的に決めています。不動産税の金額が違います。

簡単に言えば「別荘」は豪華なもの、「一般住宅」はいわゆる別荘地ではない「宅地」に建てた住宅風の別荘です。小屋は山作業や農作業をするための道具置きや、宿泊に使うものです。電気・ガス・水道がついて居ません。しかし電気だけは電動工具のために必要なので引いて良いようです。上の写真の小屋を見に来た役場の人が、「これは山仕事用の小屋という種類になります」と言って山を降りて行きました。当時は周りは鬱蒼とした山林で、電気もありませんでした。成程、山林の中を散策する他、何もすることのない所です。それは現在でも同じですが。

しかし近所の丘に登ると甲斐駒や八ヶ岳の雄大な風景が広がっているので豪華な別荘や別荘風住宅が沢山建つようになりました。30年も通っていると別荘の持ち主とも親しくなり、色々な話や愚痴を聞いてきました。今朝もそんな話を聞いて来ましたので、別荘を持つとこんな大変なことが起きます、という話を書く決心で車を運転して帰ってきまた。

まず第一に泊まりに行く場合は自宅から布団や衣類を車に積んで持って行く必要があります。湿気を含んだ空気が別荘の中にしみ込んで、布団はシットリと湿っています。カビも生えます。別荘に布団を置いておくと着いたら早速、布団乾燥機で乾燥し、カビを叩いて落とす作業があります。カビの匂いはみじめな匂いです。布団だけでなく壁から床まで掃除をしてカビを落とします。不動産屋さんは購入の時、「ここは高原で湿気の少ないところです」と強調します。しかしどんな高原でも梅雨の時期と夏の間の湿気は高いものです。夏は気温も上がるのでカビが繁殖します。虫が住みつきます。家の中にカマドウマや得体の知れない虫がいっぱい住み着いています。

別荘番の人を雇って置かない限り、カビと湿気と虫との戦争を避けることが出来ません。賢い奥様族はこの事態をあらかじめ、よく聞いて、知っています。ですから別荘へは絶対に行かず、素敵なホテルに泊まります。それでもロマンチストの夫が別荘を買うと言えば反対はしません。しかし自分は一緒に別荘に行きません。行けばカビの匂いの中で眠る羽目になります。この苦労は「別荘」でも「一般住宅」でも「山作業の小屋」でも全く同じです。

今朝、小屋へ遊びに来てくれた別荘の持ち主が、延々とカビの話をしていました。夏の間来なかったら、新品の畳の上に6cm位のカビが生えていたと何度も話していました。夏の間は電気代を気にしないで除湿機と冷房装置を連続運転して帰るそうです。

愚痴話をすると、我ながら張り切り過ぎて、長話しになりますので今回は一旦終わりとします。続編で色々な厳しい現実を書いて、別荘を持つとき覚悟すべきことなどを述べる予定です。下の写真は退院後はじめて家内と一緒に昨夜泊った「小屋」の様子です。電気だけはあります。別荘を購入することをお考えの方々のご参考になれば嬉しく思います。(続く)

011 008


テレビの酒井法子さん事件報道のあり方を非難する

2009年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

酒井法子さんという女優が覚せい剤を使っていた。逮捕され、取り調べが終わったので釈放された。謝罪会見をした。それだけの事です。

それなのに日本のマスコミ、特にテレビは連日のように酒井さんの知られたくない個人情報を微に入り、細に入り暴きだして得意顔で報道している。その上、コメンテーターという得体の知れない人々が何やら賢げな評論をしている

他人の個人情報なんか知りたくないのです。人間の低俗な感情を掻き立てるような報道ぶりに怒りすら感じます。もっとありていに言えば自分の心に巣くっている低俗な趣味を掻き立てないで下さい!と叫びたいのです。

先日、酒井法子さんの謝罪会見をこのブログの記事として掲載しました。色々なご意見を頂きました。本人が誤っているのだから許してやれ。他の若い人々覚せい剤を使うようになるから芸能人の犯罪は特に厳しく罰っするべきだ。などごく良識的なご意見を頂きました。その他にマスコミの馬鹿騒ぎを非難するご意見も多くありました。以下にPOOさんと言う方からのコメントを、ご本人の承諾を頂きましたので、掲載します。(終わり)

====POOさんからのコメント=============

いつも、芸能界で麻薬、覚せい剤事件が出てくるたびに、ワイドショーのコメンテーターという人物が出て来て、「この人(覚せい剤を使用した人々)は芸能界を引退すべきだ」、(厚化粧しているので、)「反省の色が全く見えない」などと言う。
しかし、カメラの前で、芸能に携わった人は、カメラの前で全く化粧しない顔を見せることはあり得ないはずであるし。カメラと言うフィルタを通して見ているうちは、当の本人が喜んでいるのか、悲しんでいるのか、分かりにくくなるのが普通です。
一層分かりにくくしているのが、言っているコメンテーターという人種。サラダの中に色々なドレッシングをごちゃ混ぜに入れて、さあ食べてみろと言っているようなものです。
自分たちは、見るものの代弁者として、ここにいるだと言うような顔をして、視聴率アップしか考えていない番組スタッフの顔色をうかがうのだったら、それこそあなたたちこそ芸能界辞めなさい、と言いたい。
それに覚せい剤所持などで逮捕になった芸能界の有名人はたくさんいます。コメントが欲しいならその人たちのコメントを取ってきてみたらいいとおもいます。どうせ、取れないでしょうけども。本人のことを本当に考えるならば、一番いい事は何も映さないことです

芸能界というのは、それ自体が、普通の世界と違うと思います
十代そこそこの女の子が何千人もの人の前で半裸で見られることを良しとする訳ですから
歳を重ねてもその他大勢に潜り込むことはできない、オンリーワンであることを続けなければならないプレッシャーはあると思います
もちろん、薬物を是とすることはできません。しかし、芸能界を引退するというのも難しい事だと言いたいのです。普通の会社なら懲戒免職だと誰かが言っていました。たしかにそうです。でも普通の人は、職業を変えれば済むことです(日本のモラルはそれすら許されない一面がありますが)
芸能界に足を踏み入れた人は、「引退」 というのがものすごく難しいのです。これは、世論もそうですが、マスコミそのものに問題があるとしか、言いようがありません。
その証拠が、戦後一世を風靡して姿を消した女優さん、数年に一度、週刊誌に都市伝説のように載りますね。山口百恵さんに至っては、言うまでも有りません。
マスコミは、大衆が見たいから取材していると誤解し、大衆も一部がその騒ぎに乗り、その悪循環が続いていく。

みんな、心から薬物を憎み、その一掃をはかろうとしているのでしょうか。薬物に手を出した人物の更生を願っているのでしょうか。私はみんながそうであってほしいと願ってやみません。(終わり)


善光さんが建てた善光寺、そして三つの善光寺の関係

2009年09月20日 | インポート

今から1400年ほど前、現在の飯田市郊外(信州麻績の里)に本多善光(よしみつ)さんという人が住んでいた。

ある時、善光さんが都へ帰る国司について行った。ところが難波の堀の中から一光三尊の像を見つけて、それを拾い上げ、持ち帰った。

自宅の臼の上に像を祀り、拝んでいたところ、台座の臼が光り輝いた。それで座光寺(善光寺)を作ったという(推古天皇10年)。

それから41年ほどして皇極天皇元年に勅命によりご本尊を長野へ移し、現在の長野、善光寺が出来た。

移転した善光寺のあとには以前のご本尊と同じ形の木像をつくり、座光寺を存続させた。そのような経緯から、座光寺は元善光寺とも呼ばれるようになった。長野へ引っ越したご本尊は毎月15日には飯田の元善光寺へ帰り、麻績の里人を守ると信じられている。

簡略に言えば、善光さんが偶然、難波の堀から拾ってきた仏像で座光寺を作った。人々はその寺を善光さんが作ったので善光寺と呼んだ。ところが41年後、勅命によって善光寺は長野へ引越ししてしまった。残った寺には以前と同じ形の木像を祀り、元善光寺と呼ぶようになった。(現在はその付近の地名を座光寺という)

さて甲府市にも立派な本堂を誇る善光寺がある。この三つ目の善光寺は長野の善光寺が出来てから、約800年位後に武田信玄が長野を攻略、占領したときに権力を用いて善光寺をご本尊とともに甲府に持ってきたものである。しかし、武田家の滅亡後、ご本尊や数々の寺宝は長野の善光寺へ返された。

甲府の善光寺誕生の経緯はあまり自慢に出来ないようなことではあったが、甲州の人々の仏様を信仰する篤い気持ちによって甲府の善光寺も立派に存続しています。三つの寺とも善光さんの木像が安置されていますが、珍しく思ったのはどれにも夫人の像が同じ大きさで並べられていることです。

三つの善光寺を廻り終わって、色々な感慨を持ちます。その一つは素朴な信仰心の美しさが三つの善光寺を支えてきたということです。善光寺は仏教のどの宗派にも属せず、人々の信仰だけで存続してきたのです。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人

148 146 160


南国、タイ、チェンマイ市の鮮明な風景写真をお楽しみ下さい

2009年09月19日 | インポート

ネット上の友人にGAKUさんという方がいます。ご夫婦で2008年5月から猫と共にタイのチェンマイ市に住んでいます。悠々自適の境地です。以前からGAKUさんがタイの人々を愛し、チェンマイの風土、人情を好意的に書いた文章に心を癒されてきました。チェンマイの写真も南国のみずみずしい感じが良く出ています。何故かとても新鮮な生活、質の高い人生を続けている様子です。

今回は、そのような感じの写真を数枚、GAKUさんのブログから転載させて頂きました。転載の許可は昨日、快く頂きました。

ブログは、「WOOたんのチェンマイ通信」(http://gaku404.exblog.jp/ )です。

他にチェンマイ観光を動画で紹介したコマーシャライザー、WOOたんのチェンマイ紹介」http://cmizer.com/movie/10276もどうぞ。

下の写真は緑多いチェンマイ市の街の風景です。他の写真は愛猫の写真、市場の新鮮な野菜の写真、タイの仏教寺院の写真、花の写真などです。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。尚、GAKUさんのブログを開けて、心温まる文章も是非お読みください。(続く)

F0178278_18441131 F0178278_18240291 F0178278_18343501 F0178278_104528701 F0178278_184317781