敬語や丁寧語は何故重要なのでしょうか?深く考える手掛かりとして、若い人のブログを丁寧に読んで考えてみました。皆様もぜひご覧になって若い人々の言葉の使い方を好意的に理解することをお勧め致します。
ちびたさんのブログ、 http://chibita.blog.tsuge.jp/ を開けて、試しに1年前の記事(2008年7月15日)を読みました。さらに、それに対する16人からのコメントの日本語を再度、丁寧に読みなおして見ました。さらに、16人の人々のブログも開けて、使われている日本語を精読して見ました。最近の記事も2つ、3つ読んでみました。若者特有の言葉使いは1年前も現在も変わっていません。
そこで以下に私の感想を述べます。
成る程、敬語も丁寧語も、一切使われて居ません。(小生のブログでは敬語・丁寧語をたくさん使います。) しかし、ちびた さんも、それにコメントする人々も全員が実に礼儀正しい会話をしています。
相手の気持を傷つけないように、そして、さりげなく勇気づけ合っています。ブログの上での会話には友情すら感じられます。その友情はこの世の利害とは一切関係のない、清明な水の交わりです。上の掲げた挿絵の写真の風景のような心境で会話を楽しんでいます。( 写真は2008年4月24日の記事で使った月ヶ瀬公園の写真です。)
使われている言葉は、親しい人と話しているように「くだけて」います。が、下品ではありません。16人のプロフィールを調べると年齢は20歳から50位で、色々なようです。
主婦専門の人も居れば、毎日通勤している人々もいるようです。忙しい人々もブログを書いているのかも知れません。
今回、言いたいことは、敬語・丁寧語の一切使わない日本語も、礼儀正しさがあれば、「不愉快な感じ」がしない。と、いう事です。
結論を言えば、ブログ文化圏に居る若者の間では、敬語・敬称を使わないのが原則です。例外はありますが。もう一つの若い人のブログを見てみましょう。hisami さんの「海と酒と美味しい物」というブログです。(http://hello.ap.teacup.com/inthesea/ )
hisami さんへ何故、敬語を使わないのですか?と聞いて見ました。
hisami さんからのご返事を前半分と後半分に分離して分析します。すると2つの理由からと分かりました!
(1)ブログでは相手の年齢・立場が一切不明なので敬語は使わない。
(2)老人でもよく考えて見ると尊敬出来ない人がいるので老人へ敬語を使うときは尊敬できる人と判断してから使う。
筆者は73歳の老人男性です。上の二つの理由は論理的に考えると実に合理的です。このコメントを頂いてから深く考え込んでしまいました。そうか!若者は敬語というものを論理的に考えて、自分が納得出来なければ敬語・敬称は一切使わない。その合理性に感動するとともに吃驚しました。これはこれで一つの考え方です。非難すべきではないと思います。
老人の自分は、
(1)相手の年齢・立場が不明の時は、とりあえず敬語を使う。
(2)年上や初対面の人へは形式的に敬語を使う。尊敬できるか否かは考えない。
言語表現の合理性をある程度犠牲にして、日本語を使う。それが伝統的な日本文化だから。敬語・敬称を適切に使った日本語が美しく感じるから使う。自分の国の言語を美しい状態で子孫へ残したいからと思う。
しかし若い人々がそのように感じないなら、それは仕方の無いことで、強制はしないほうが良いのです(強制すると自分がイライラします)。
この現象は人は皆平等に取り扱うべきという根本的な考えに影響を受けているのかも知れません。若者へ影響の大きいアメリカではどんな偉い人でも始めからファーストネームで呼び合い、絶対に部長とか先生とかいう尊称を使わない文化になっています。幼児でも青年でも老人でも、トムは差別なくトムと呼びますし、バーバラは小学生でも大臣の奥さんでも同じようにバーバラと呼びます。
日本のネット社会では、奇妙なハンドルネームを使い本人の偉さは無視して完全に平等に考えて意見の交換をしています。敬語の無い日本語の裏には新しい異質の文化が潜んでいます。ですから若者を軽々しく非難しても変化しないのは色々な深い理由があるのでしょう。
(尚、上記の、hisami さんから、ブログでも相手によっては、実社会と同じように、敬語と丁寧語を使いますという、補足的なコメントを後に頂きました。)
さてさて老人の方々はどうのようにお考えでしょうか?御意見を頂ければ嬉しく思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人
このブログに8月28日掲載しました、「甲斐駒山麓で偶然見つけたターシャ」という記事でご紹介した美しい庭のオープンサロンが9月18日、19日、20日、21日の10時から開催されます。この期間は庭の可憐な秋の草花を楽しむことが出来ます。陽賜里(ひだまり)工房です。桜を使った草木染めの体験教室も19日と21日に御座います。草木染め教室に参加ご希望の方は白いハンカチやTシャツをご持参下さい。なお草木染めは1人300円です(コーヒー付き)。参加希望者は、090-4170-0370(原田さん)へ予約して下さい。ただ見学する方ももちろん大歓迎です。
場所は北杜市武川町の真原桜並木の東端で、並木道の南側に隣接しています。下の写真の小屋の後ろがわが真原桜並木です。上の写真をご参考にして見つけて下さい。桜並木から少し入り込んだ所に星山荘という民宿があります。お楽しみ頂ければ嬉しいです。(終わり)
私の推薦するブログにmikaさんのブログ(http://koto-dama.cocolog-nifty.com/blog/)が御座います。内容が多岐にわたり魅力的なブログです。特に感動的なものは朗読です。mikaさんの朗読を聞いていると日本語ってこんなに美しかったのだ、と感心します。日常、私の乱雑な言葉の使い方が恥ずかしくなります。
宮沢賢治の詩の朗読は以前にも2、3度ご紹介しました。最近の「コスモス」や「ルーアン海岸」という詩の朗読の言葉の一語一語の美しさに圧倒されます。是非、短い朗読ですからお聞き下さい。
mikaさんのブログ内容は色々ですが、私が特に読んでいるのは父上や一人の息子さん、そして今年のはじめ頃なくなった母上へ対する家族愛に満ちた美しい文章です。そして活動的にあちこちを旅して写真も多数掲載しています。
以下に勝沼のブドウの丘にハイキングにらっしゃった時の写真を転載させて頂きました。
mikaさんのブログをお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)
皆様はブログをどのような場所で書いていらっしゃいますか?お互いにその写真を交換すると親しみが湧いて来ると思います。上の写真はこの場所から見える窓の外です。見事なムクゲの花が夏の間中咲き続けています。
左の写真が窓の下にあるコンピューターの写真です。自分自身の写真は容貌に自信が無いので勘弁して下さい。このキーボードの前に毎日数時間座っています。
昔、手動式のタイプライターを使っていたのでキーボードを力いっぱい打つので、家内が触るだけで良いと言います。しかし昔の癖が直りません。昔の手動式のタイプライターは打ち方の力によって文字の濃さが決まるので、まんべんなく力強く打つ必要があったのです。そのうち電動式になりましたが若い時覚えた打ち方はいまだに変えることが出来ません。皆様は静かにキーボードを打っていらっしゃることと思います。つまらない話で済みませんでした。(終わり)
海外にお住まいの方はあまりご存じないと思いますが、2ケ月程前に酒井法子という美形の女優が麻薬を使用していた嫌疑で逮捕され、41日の取り調べの後、昨日、保釈されました。その間、マスコミは連日のように大騒ぎです。捕まる前までは美人だ、清純だ、努力する人だ、とさんざん褒めていながら、一旦捕まると麻薬まみれで清純などとは飛んでも無い、大体育った家庭が悪い、などと悪しざまな報道ぶりです。「罪を憎んで、人を憎まず」という精神をすっかり忘れたような報道ぶりです。一般的には若い女優が会見に出るテレビを見ていると何となくよそよそしくなる家人でさえ、今回は酒井さんの出る場面を一緒に見ながら、かなり好意的な意見をつぶやいています。今朝は保釈後の謝罪会見を見て感じたことを二、三、書いて見ます。
1)41日も麻薬を止めていたので健康をとりもどし元気そうでした。表情も人間らしく善くなり ました。良かった!41日泊めてくれた警察へ感謝すべきです。
2)保釈謝罪記者会見には感動しました。女優としてのプロ意識に感動したのです。500人もの記者を相手に、言語明瞭、目配りも公平にあちこちの記者を見て、心から謝っているようです。普通の市民ではとてもあのようには出来ません。
3)鳩山新内閣名簿の発表の後に保釈日を決め、更に麻薬を勧めた悪い夫の釈放のあとに出てきたという日どりの決め方が、偶然にしては出来すぎているようです。女優としての再出発にに有利にしようと考えなかったと言ったら嘘になるでしょう。
4)世間の同情をもっと集めたかったら、麻薬で息子が逮捕された三田佳子のお化粧もしない取り乱した顔での涙ながらの謝罪会見のようにしたほうが良かったと思います。しかし酒井さんはそれをするには気持の上で若すぎたのです。出来なかったのでしょう。
5)さて、万事塞翁が馬という通り今回のことは酒井さんにとっては大変良い事だったと思います。まだまだ若い女優です。薬物依存の専門病院に入院するようです。退院後は、麻薬と縁を切るには麻薬依存者の会に入ると良いと思います。麻薬依存もアルコール依存もそのような会に所属すると止まる確率が非常に高いようです。依存症の会で検索すると詳しい情報があると思います。
今回、逮捕される前までは私は酒井法子さんを知りませんでした。お陰で彼女のプロとしての良い一面も見ることが出来ました。さて皆様はどのようなご感想をお持ちだったでしょうか?
今日も気持の良い一日をお過ごしになられますようにお祈り致します。 藤山杜人
空が底なしの透明な青色になっていると、ヨットが宇宙へ落ちて行くような錯覚に襲われます。そして、強風で船が揺れ、舞うように走ると、この世と、あの世のことか判然としません。高齢になると次第に色々な病気になり、このような,あの世とこの世の間を行ったり来たりします。ヨットに乗っていると、こんな事をしながら自分も底なしの宇宙の中に消えて行くのだなあ、と心が静かになります。不安も恐れもない不思議な平安が身を包みます。若い時にヨットに独り乗っていた時も同じような感慨にとらわれました。ヨットに独りで乗っていると人間は哲学的になるのでしょうか?今日も気温も風も最適で感慨深いセイリングをしてきました。写真を少し掲載します。(終わり)
長野県、塩尻から木曾谷へ国道19号線を木曽福島の方向へ20km位走る。昔の中仙道の奈良井宿が右手に見えて来る。奈良井へ入る道の案内看板があり、駐車場がある(一回500円)。車を預け、江戸時代の宿場町を再現し、保存している900m位の通りを散策する。
奈良井宿は鎌倉時代から宿駅として栄えた。木曽路の分水嶺、鳥居峠の北側のこの付近に土豪奈良井氏が居館を構えた。
戦国時代は木曽一族と甲斐の武田一族の戦いの場所であった。付近には多数の戦死者を葬った沢が「葬沢」という名前で残っている。
江戸時代になり徳川家康により慶長7年(1602年)中仙道の宿駅が決められた。それ以来、260年間、中仙道は江戸と京都を結ぶ重要な街道であった。
奈良井宿は木曽11宿で一番大きな宿であり、中山道、全67宿の中でも有数の規模を誇っていた。
幸い火災にもあわず江戸時代の家屋が残っていた。戦後、昭和30年台から、修理、復元の努力を続けて来た。昭和53年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定される。
同じ木曽路の馬籠宿と妻籠宿ほど有名でないので観光客も少なく落ち着いた雰囲気である。人影まばらな宿場町を風が通り過ぎて行く。
静かな木曽蕎麦の「盛り」と五平餅の昼食をとって帰って来た。
撮影日時:2008年6月1日午前11時から午後1時、撮影場所:長野県塩尻市大字奈良井にて。
(奈良井宿の観光情報のURL:http://www.naraijyuku.com は良く出来ているので是非ご覧下さい。特に建物の特徴が面白いです))
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人
従来の自由民主党ー大企業ー中央官僚機構の協力関係が日本の高度成長をもたらした歴史的事実は高く評価すべきです。しかし1990年のバブル経済の崩壊後はこの政治経済発展図式は機能しなくなったのです。自民党でない村山首相や細川首相が誕生したのはその苦しみの結果と思います。しかし従来の成功体験から、どうしても根本的改革へ踏み出せなかったのです。それが一昨年以来の金融危機と経済不況によって国民は決心しました。新しい政治経済体制を作らないと日本はこのまま下降し、ますます暗い不況の底に沈んでしまうと理解しました。この国民の不安感を理解しないで、何時までも従来型の利権政治を続行しようとした自民党に怒りが爆発したのです。民主党が衆議員選挙で308議席という圧倒的多数を取り、先程の国会で鳩山首相が誕生しました。中央官僚制度の打破や自民党の従来の利権政治が無くなる可能性を持つ新しい政府が出来上がることを私は心から嬉しく思います。
公平に言えば自民党は1990年頃までは国民に支持され良い政策を実施してきました。経済の高度成長は民間の努力だけでなく、このような自民党の政策に助けられ、支えられてきたのも歴史的事実です。しかし自民党の今回の悲劇は1990年以降の自民党の失敗の連続によって起きたのです。民主党がなにか良い政策を提案・実行したからではありません。
今回の鳩山政府の誕生は政治の世界の変革だけではすみません。日本の学術や芸術そして文化一般のあり方が変わると思います。欧米にあっては学術や芸術は政治組織とは距離をおいて個人の才能と努力によって展開してきました。日本の学術の多くは国立大学が担い、芸術分野でさえ上野の国立芸術大学が広く、深く関係してきました。学者になるためには旧帝国大学の有名教授の弟子にならなければなれない。一流の芸術家になるには上野の芸大を出なければいけない。このような社会風土が根本的に変革すると信じています。芸術の分野では1980年頃から日本の有名な大学を卒業しない音楽家や画家が欧米諸国で伸び伸びと活躍しています。ケーキを作るパティシエもワインのソムリエも全て個人的に外国でも活躍しています。あるいは個人の趣味としてネパールやタイに住み着いて、質の高い人生を送っている人々もいます。その上、海外ボランティアとして個人のリスクで活躍している人々も少なくないのです。
この様な人々は従来、決して日本の社会で尊敬され、丁重に扱われてきませんでした。鳩山政府の誕生でこれもすっかり変わります。従来は自由民主党の国会議員や中央省庁の国家公務員、そして大企業の社員だけが社会的に優遇されてきました。それが変るのですから、革命的な事態です。個人のリスクで学問や芸術に生涯を捧げている人々。そして高度な技術や良い趣味を持って個人的に活躍している人々が高く評価される社会になると信じています。
このような理由で私は「鳩山政府の誕生」が嬉しくで仕方がないのです。皆様はいかがお考えでしょうか? テレビによると、只今国会で鳩山さんが首相に選ばれたので一筆したためました。(終わり)
ある体験をするまでの私は、クリスチャンが嫌いでした。何かお高くとまっていて、他人を見下げたような態度です。それに何かウサン臭さげでもあります。要するに、“くさい人”で、無理してお付き合いしたくない人種です。ところが若い時、留学をするために英会話を習っていたアメリカ人の態度を見てから考えが変ったのです。
昭和32年頃、仙台にウイリアムスさんという、大柄で陽気なアメリカ人宣教師がいました。説教をしたり、賛美歌を教えるようなことはしないで、英会話を教えてくれました。気さくな人だったので、大学生達が彼の家によく行って、遊んでいました。
ある時、学生6、7人と一緒に郊外の田園地帯ヘハイキングへ行きます。秋の青空が広がり、水田には黄色の穂波がゆれていました。爽快な秋の風につられ、つい早足になり、かなり歩きました。 疲れたので道端で休むことになり、見ると見事な平らな大岩があります。学生達はアメリカ人宣教師へ椅子代わりに座るように言いました。自分達は草の上に座ります。
そこへ野の花の束を持った、着物姿の小さな老婆が1人現れたのです。彼女はウイリアムスさんが座っている大岩を、意味ありげに見つめます。
と、途端に大柄な宣教師が飛び上がって、岩から離れました。顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしています。我々は何が起きたか分からないで呆気にとらわれていました。ウイリアムスさんが10mくらい走って行き、老婆の方へ向いて、「すみません」とお辞儀をしています。老婆は「いいよ、いいよ」と言って、岩の陰に立っていた2本の竹製の花筒へ花を入れ、跪いて、両手を合わせて、お祈りをし始めました。そして、短いお祈りのあと、何事も無かったようにトボトボ帰って行きます。
後で大岩をよく見ると、岩の稲田へ向いた側面になにやら字らしいものが彫ってあり、花筒が2本立ててあるのです。道路側から見ると何も見えない、単なる大岩です。でも先祖代々、稲田の守神として一家の信心を注いできた自然神だったのです。宣教師のウイリアムスさんは瞬間的に気がつき、恥じ入りながら飛退いたという訳です。
彼は学生達に偉そうな説教を一度もしませんでした。学生とのピクニックの時、偶然にも自然神を拝む老婆へ最高の敬意を表したのです。その礼儀正しさに我々学生は「本物の宣教師だったのだ」と深く感動し、後でその事を話し合いました。本物のクリスチャンとはウイリアムスのような人物なのです。あれから50余年経ちますが、あのときのウイリアムさんの恥で真っ赤になった顔を、時々、鮮明に思い出します。日本人が岩や、大きな樹木や。山川草木すべて自然のものに神が宿るとして拝むのを、本物のキリスト教信者は決して軽蔑しないのです。いや、尊敬すらしているのです。よく、「洗礼を受けると仏教徒の先祖様と別れなければいけないのですか?」と聞かれることがあります。別れようとしなければイエス様は何も言いません。それは自分が決める問題で、イエス様とは関係が無いのです。私は洗礼を受けましたが、相変わらず先祖の墓参りもしますし、先祖を大切に思っています。洗礼を受けたら人生が窮屈になると思う人がいますが、私の場合は逆に自由に、広々とした人生になりました。
仏教には神様は居ません。お釈迦様は人間が慾から離れ解脱すれば苦しみも消え極楽往生すると教えます。偶像崇拝は禁止しましたが、神様については言及しなかったのです。ですから仏教とキリスト教は相矛盾しないのです。
人間はお互いにウサン臭いと思った瞬間から争いが始まると思います。どのような宗教を信ずる人でも、あるいは無宗教の人でも違いはありません。お互いを尊敬して、理解しようとすれば必ず平和が続くと思います。私は色々な信仰のあり方を欧米人へよく説明したほうが良いと思っています。国際相互理解と平和のためにも。最後に、ついでに言えば、玄奘三蔵法師は欧米人へ自慢の出来る偉大な宗教人であり、空前絶後の学者であり冒険家だったと信じています。そのような偉大な人間の前には国境や人種などは全く無意味なものなのです。皆様はどのようにお考えでしょうか?
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人
左の写真の石塔の基部には高さ9cm直径8cmの水晶の壺が埋めてあり、玄奘三蔵法師の頂骨が入っているという。埼玉県にある慈恩寺が建てた塔である。しかし、遺骨が三蔵法師のものという学問的な証明がされていない。その可能性を完全に否定は出来ないが、本物でない可能性が大きい。まあ、これが常識的な理解です。学問的に証明されないので偽物と思う人々も多いに違いない。ところで分骨を願い出て、受け取った奈良の薬師寺のHPには三蔵法師の遺骨についての紹介が一切ない。学問的に証明されていなので慎重を期して紹介していないものと推察される。
話は変わりますが私はカトリックの信者です。従って新約聖書に書かれているイエス・キリストの行った奇蹟は全て信じています。学問的には不合理な現象ばかりです。この学問的に起きえないと証明される現象でも聖書に書いてある奇蹟は信じています。この体験から埼玉県にある三蔵法師の遺骨を本物と信じている仏教徒も多いに違いないと思います。自分で自分を賢いと思いこんでいる知識人が、「そんな物は偽物だから信じるのは止めなさい」と言いそうです。賢いということは他人へ賢げに忠告することではなく、何故、本物と信じている人々が居るのかを深く考えることです。他人を批難するのではなく理解する努力をすることです。それが人間の賢さの源と信じています。
先日、岩槻の慈恩寺を訪問して少し調べてみました。第50世住職の見道さんと51世の見順さんの2人の仏教徒としての情熱に圧倒されました。仏教連盟の幹部を説き伏せて遺骨を慈恩寺へ迎え、東武鉄道の社長にお願いをして13重の石塔を建てたのです。自分たちだけの所有物では無い、日本の仏教徒の宝としています。寺から1kmも離れた別の土地に建てたのです。この2代の住職様は遺骨を100%本物と信じていたのです。南京から埼玉県へ来る紆余曲折を読んでみると親子2代の三蔵法師へ対する敬慕と信仰の厚さに驚きます。それを知ると、私のカトリックの信仰も一層強くなります。
慈恩寺は824年に長安へ留学した慈覚大師が開山しました。三蔵法師の経典の翻訳事業に使った長安の大慈恩寺にちなんで慈恩寺という名前にしたと伝えられています。
左の写真は824年以来の歴代の住職のお墓です。勿論824年の墓石ではなく江戸時代に改修復した墓石のようです。
この写真の右のお墓が50代目住職の見道さんのお墓で、左のお墓が51代目住職の見順さんのお墓です。
この2人の生涯の大きな仕事は三蔵法師の遺骨を南京から埼玉県へ持ってきて、立派な玄奘塔を建てることでした。仏教徒として幸多い一生と思います。彼らにとっては学問よりも信仰が重要だったのです。そのような人生もあることを皆様へご紹介したいと思います。(続く)