古い人間の私は昔の律令国家が大好きです。ですから住んでいる所を「むさしのくに小金井村」と江戸時代までの呼び名で呼んでいます。
そして現在の都道府県と律令国家の国境との関係を調べては、成程、成程と独りで秘かに楽しんでいます。
今日は皆様へもこの楽しみをお送りしようと思います。あなたの住んでいる所は律令国家の何という邦でしょうか?それを口に出して呼んでみると何故か豊かな気分になりませんか?悠久の歴史を感じませんか?今日はそんな話です。
さて律令国家の制定は大化の改新(645年)に始まり確定したのは大宝律令(701年)と言われています。この律令国家は最近では「令制国」と書くのが普通です。
この令制国のそれぞれの国の名前は明治維新までの1166年間(1867年から701年を引いた年数)日本人が使って来た名前なのです。
日本人は何と1166年間もの長きにわたって、地方、地方の名前を変えずに使っていたのです。
律令国家の名前は日本人の心に無意識のうちに焼き付いていても不思議ではありません。
それでは律令国家の全国地図を見て楽しみたいと思います。
1番目の写真は全国の律令国家の地図です。出典は、https://www.sekainorekisi.com/%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA です。
この地図こそ奈良時代から明治初期まで、1166年間も日本の地理的区分の基本的な地図だったのです。
江戸時代以前の歴史を少しでも考える場合には律令国の名前と場所を考える必要があるのです。
それだけではありません。現在の日本の地方文化の中にも生きた言葉としてよく使われているのです。
皆様は阿波踊りや讃岐ウドンという言葉をご存知でしょう。美濃紙や越後米、丹波栗などもあり、 出羽三山という山々や飛騨山脈もあります。伊予ミカンや伊賀忍者という名前もあります。古来の井戸掘り方法に上総(かずさ)掘りというものもあります。
このように1100年以上も続いた律令国家の名前と現在の地方文化との間には深い関係があるのです。
皆様が現在住んでいらっしゃる場所は律令国家は何という名でしょうか?
その首都の国府や役所(国衙)は何処にあるのでしょうか?
その国府や国衙(こくが)跡をご覧になったことがありますでしょうか?
そんなことを考えていると、自分が「いにしえの世界」に帰って遊んでいるような気分になります。
私の住んでいる所は武蔵国です。武蔵国は現在の東京都と埼玉県でした。
ついでに言えば相模国は神奈川県です。
安房、上総、下総がまとまって千葉県です。常陸が茨城県で下野が栃木県で上野が群馬県です。
このように現在の都道府県は律令国家に密接な関係があるのです。
それでは武蔵国の国府と国衙は何処にあったのでしょうか?
奈良や京都から東山道(中山道)を東に歩き、現在の埼玉県で脇道の武蔵路に曲がり、南下した所の現在の東京都府中市に武蔵国の国府と国衙があったのです。以下は私が2年前に撮った写真です。
2番目の写真は府中市の国衙の再現展示物の説明板の写真です。広さ、200mX300mの広場に太い柱を持った立派な役所の建物(国衙)があったと説明してあります。場所は現在の大國魂神社の境内に隣接した東側です。
3番目の写真は発掘された国衙の建物の柱の基礎工事跡を復元し展示したもの写真です。
4番目の写真は国衙の建物に立っていた柱です。後ろに発掘品の展示館があります。
柱は朽ちてしまっていたので高さが分かりません。しかしその太さと本数から相当大きな役所の建物があったことが推定されています。
なお後ろの林は現在の大國魂神社の境内になっています。
5番目の写真は国衙に隣接した大國魂神社の写真です。
大國魂神社の写真を示したのはこの神社が古墳時代から関東地方の重要な神社だったからです。府中市には大熊神社古墳もあり古代から重要な集落だったのです。その理由で大和朝廷がここに国府を置き国衙を建てたのです。そして国分寺や国分尼寺も作ったのです。
江戸時代も甲州街道の重要な宿場として非常に繁栄していた所だったのです。
ところが明治時代に鉄道の中央線が府中を通らなかったので往時の隆盛ぶりが消えたのです。
今日は皆様へ私が棲んでいる武蔵国の国衙の場所とその様子を説明しました。
皆様も自分の住んでいる場所の律令国家の名前はご存知と思います。その国衙をいろいろ調べると興味が尽きないと思います。是非皆様の国衙の様子をコメントとしてお送り下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=================================
令制国一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E5%88%B6%E5%9B%BD%E4%B8%80%E8%A6%A7
明治初期の令制国の配置
令制国一覧(りょうせいこくいちらん)は、7世紀後半からの日本国内の地方行政区分、国(令制国)の一覧である。
令制国の改廃は、奈良時代までと明治時代になされ、その間の平安時代から江戸時代には長期にわたって変更がなかった。
この一覧では、五畿七道に従って配列し、廃止・消滅したものや一時的に存在した諸国はその中に字下げして付ける。この一覧が、すべての国を列挙するためのもので、多くの改廃を記していないことに注意されたい。それらの詳細は、各国の項目に記す。
日本全体を総称する際には、「日本六十余州」などと表現することもあった。
五畿
畿内
1、山城国 やましろ(山州、城州、雍州)
2、大和国 やまと(和州)
3、河内国 かわち/かはち(河州)
4、和泉国 いずみ/いづみ(泉州)
5、摂津国 せっつ(摂州)
七道
1、東海道
伊賀国 いが(伊州)
伊勢国 いせ(勢州)
志摩国 しま(志州) - 8世紀初めまでに伊勢国より分立。
尾張国 おわり/をはり(尾州)
三河国 みかわ/みかは(三州、参州)
遠江国 とおとうみ/とほたふみ(遠州)
駿河国 するが(駿州)
伊豆国 いず/いづ(豆州) - 680年に駿河国より分立。
甲斐国 かい/かひ(甲州)
相模国 さがみ(相州)
武蔵国 むさし(武州) - 771年、東山道から東海道に所属変更。
安房国 あわ/あは(房州、安州) - 718年に上総国より分立。741年に上総国に併合されるも757年再分立。
上総国 かずさ/かづさ(総州)
下総国 しもうさ/しもふさ(総州)
常陸国 ひたち(常州)
2、東山道
近江国 おうみ/あふみ(江州・近州)
美濃国 みの(濃州)
飛騨国 ひだ(飛州)
信濃国 しなの(信州)
諏方国 すわ/すは - 721年に信濃国より分立。731年に再統合。
上野国 こうずけ/かうづけ(上州)
下野国 しもつけ(野州)
陸奥国 みちのおく/みちのく/むつ(奥州/陸州) - 陸奥国は7世紀に常陸国より分立。
石背国 いわせ/いはせ - 718年に陸奥国より分立。数年後に再統合。
石城国 いわき/いはき - 718年に陸奥国より分立。数年後に再統合。
出羽国 でわ/では(羽州;山形県、秋田県の一部) - 712年(和銅5年)に越後国出羽郡を割いて出羽国を建てる。
陸奥国 (1869-) りくおう/むつ - 陸前・陸中等を分割後の部分。
陸前国 りくぜん - 1869年に陸奥国より分立。
陸中国 りくちゅう/りくちゆう - 1869年に陸奥国より分立。
岩代国 いわしろ/いはしろ(岩州) - 1869年に陸奥国より分立。
磐城国 いわき/いはき(磐州) - 1869年に陸奥国より分立。
羽前国 うぜん - 1869年に出羽国より分立、現山形県に相当。
羽後国 うご - 1869年に出羽国より分立、現秋田県に相当。
3、北陸道
若狭国 わかさ(若州)
越前国 えちぜん/ゑちぜん(越州)
加賀国 かが(加州) - 823年に越前国より分立。
能登国 のと(能州) - 718年に越前国より分立。741年に越中国に併合されるも、757年に再分立。
越中国 えっちゅう/ゑつちゆう(越州)
越後国 えちご/ゑちご(越州)
佐渡国 さど(佐州、渡州) - 743年に越後国に併合されるも、752年に再分立。
4、山陰道
丹波国 たんば(丹州)
丹後国 たんご(丹州) - 713年に丹波国より分立。
但馬国 たじま/たぢま(但州)
因幡国 いなば(因州)
伯耆国 ほうき/はうき(伯州)
出雲国 いずも/いづも(雲州)
石見国 いわみ/いはみ(石州)
隠岐国 おき(隠州)
5、山陽道
播磨国 はりま(播州)
美作国 みまさか(作州) - 713年に備前国より分立。
備前国 びぜん(備州)
備中国 びっちゅう/びつちゆう(備州)
備後国 びんご(備州)
安芸国 あき(芸州)
周防国 すおう/すはう(防州、周州)
長門国 ながと(長州)
6、南海道
紀伊国 きい(紀州)
淡路国 あわじ/あはぢ(淡州)
阿波国 あわ/あは(阿州)
讃岐国 さぬき(讃州)
伊予国 いよ(予州)
土佐国 とさ(土州)
7、西海道
筑前国 ちくぜん(筑州)
筑後国 ちくご(筑州)
豊前国 ぶぜん(豊州)
豊後国 ぶんご(豊州)
肥前国 ひぜん(肥州)
値嘉島 ちか - 876年に肥前国より分立。数年後に再編入。 現在の長崎県平戸島及び江島、平島を除く五島列島及び附属島嶼。
肥後国 ひご(肥州)
日向国 ひゅうが/ひうが(日州、向州)
大隅国 おおすみ/おほすみ(隅州) - 713年に日向国より分立。
多禰国 たね - 702年に日向国より分立。824年に大隅国に併合。
薩摩国 さつま(薩州) - 702年に日向国より分立。
壱岐国 いき(壱州) - 古代は「壱岐嶋」[1][2]。
対馬国 つしま(対州) - 古代は「対馬嶋」または「対馬国」