後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「イグナチオ教会の今日の復活祭のミサ動画配信と実際のミサの風景」

2022年04月17日 | 日記
今日は復活祭です。

4月17日朝10時以後でしたらミサの動画配信で何時でもミサにあずかることが出来ます。

イグナチオ教会の今日の復活祭 のミサ の動画配信は以下にあります。
https://www.youtube.com/watch?v=uznx1YhNZwY

なお関口教会の動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=Pq9ZNrV5i5g です。

写真はカトリック小金井教会の今朝の実際のミサの風景です。

れはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈りきたします。後藤和弘(藤山杜人)





「神代植物公園の近隣の三鷹花と緑の広場の花々」

2022年04月16日 | 写真
神代植物公園の近隣の三鷹花と緑の広場の花々です。自分が撮った写真をお送り致します。
■開園時間
 午前9時~午後5時
 (11月~2月は午後4時30分まで)
■休園日
 12月28日~1月3日
■住所
 東京都三鷹市牟礼1‐11‐26(駐車場、駐輪場あり)
■アクセス
 小田急バス(吉02系統)利用 吉祥寺駅南口~千歳烏山駅北口
 牟礼前下車、徒歩1分





「東京の観光(1)美しい花々が咲いている神代植物公園」

2022年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム
地方の方々が東京に観光に行くとき何処を訪れるでしょうか?多分、皇居や銀座、そして原宿、新宿、渋谷、浅草などと思います。しかしもし一泊なさるなら翌日は郊外にある興味深い観光名所を是非訪れるのも良いと思います。
今日から「東京の観光」と題する連載で東京の郊外にある面白い、そして感動的な観光名所をご案内したいと思います。例えば都立神代植物公園、都立薬用植物園、深大寺、夕焼け小焼けの里、高尾山と薬王院、御岳と玉堂美術館、奥多摩湖と奥多摩周遊道路などなどです。

今日は連載の第一回目として都立神代植物公園をご紹介したいと思います。
神代植物公園は都内で唯一の植物公園です。1961年10月に開園しました。東京の郊外にある調布市にあり、園内には約4,800種類、10万本、株の植物がブロックに分かれ植えてあります。サクラ、ハナミズキ等の花木をはじめ巨大なカツラ、クヌギ、ケヤキなどの武蔵野の雑木などもあります。
四季折々美しい花々も咲いています。特にバラ園は、2009年に世界バラ会連合優秀庭園賞(WFRS Award of Garden Excellence)を受賞しました。広大でバラの種類も充実しています。春と秋にはバラフェスタが開催され夜のライトアップもあります。
毎年、家内と一緒に春と秋のバラのフェスタを見に行ったものでした。
バラ庭園に植えれたバラは種類が多く、春バラは409品種5,200余本もあり、秋バラは約300品種5,000余本が植えてあります。
下手な写真ですが私が撮りましたバラの花の写真を3枚お送り致します。



バラの花も良いものですが植物が好きな方々には南洋の熱帯植物に憧れている人も多いと思います。神代植物公園には特に大きな温室があります。

4番目の写真はバラ園の向こうにある大温室の写真です。

5番目の写真は大温室の内部の様子です。
私は戦前生まれ戦後育ちです。幼児のころから絵本や物語で熱帯の南洋はすばらしい所だと教わって来ました。そこには見たことも無い熱帯の花々が咲き乱れ、食べたことの無いマンゴーやパパイアが実っているのです。私は幼い頃から熱帯植物に強い憧れを持っていたのです。
それで神代植物公園の大温室にひどく感動するのです。入ると実に幸せな感じがします。
神代植物公園の大温室は日本でも最大級です。広さは3200平方メートル、約1000坪もあります。
サボテン類などの貴重な乾燥地の植物や、世界自然遺産である小笠原諸島の植物も含めて、色鮮やかな花を咲かせる熱帯植物や、食虫植物など、世界中の珍しい植物を収集し、合計約1,300品種も展示しているのです。
その上、チリのビーニャ・デル・マル植物園との協定でチリ植物のコーナーもあるのです。それは世界中の熱帯植物を展示してある大温室なのです。
植物のお好きな方が見たら必ずや感動すると思います。
写真にこの大温室に咲いている花々を示します。全て自分で撮った写真です。





さて温室と言えば新宿御苑にも大温室があります。多数のランの品種を収集してあることで有名な温室です。
その他、都立夢の島公園内にも大温室があります。伊豆七島の八丈島にも都立の熱帯植物園があります。勿論、全国には数多くの熱帯植物の温室があり公開しています。
熱帯の花々や観葉植物が好きな人が多いのです。熱帯植物は人間を情熱的し幸せにしてくれるのです。何故か頭(こうべ)の下がる思いがします。

今日は「東京の観光」という連載の第一回目として都立神代植物公園をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「遥かなる故郷、仙台の青葉城の石垣の写真」

2022年04月14日 | 写真
仙台は何時も懐かしく想っている私の故郷です。仙台の青葉城の石垣の写真をお送り致します。若い頃、何度も見上げた光景でした。

1番目の写真は青葉城の石垣です。城の建物はすべて戊辰戦争のおりに焼かれてしまいこの石垣だけが残ったのです。この石垣の下を右方向に車で登ると見晴らしの良い城跡に上がれます。伊達政宗の騎馬像があります。

2番目の写真は城跡にある伊達政宗の騎馬像です。

3番目の写真は城跡から見下ろした現在の中心街の風景です。昭和20年の大空襲で一面の焼け野原になった町がこのような風景になったのです。夢を見ている心地です。

皆様の故郷には昔の城の石垣が残っていますでしょうか?
遠方にある故郷は懐かしいものですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「ドッグウッドが美しく咲く季節です」

2022年04月14日 | 写真
ドッグウッドは日本語では花水木と言います。
「花水木」 が日本に入って来たのは、東京市の市長だった尾崎行雄氏が1912年にアメリカのワシントン市に贈った“ソメイヨシノ”のお礼として、1915年アメリカから贈られたのが最初だそうです。 
アメリカから渡来した時にはまだ名前が無く、 日本の山法師に似ているので、とりあえず 「アメリカ山法師」 の名前が付けられたのだそうです。その後この名は「花水木」とつけられました。この季節になると庭の大木の「花水木」が綺麗に咲きます。
「花水木」の花の写真をお送り致します。
1番目の写真の出典は、https://hananokotoba.com/hanamizuki/ です。
2、3、4番目の写真の出典は、






「戦乱のウクライナへ平和を!多彩なネット情報」

2022年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
ウクライナへのロシア軍の侵攻は日本人の心にも深い憂慮感を与えています。私もウクライナ人へ同情し虚脱感に襲われています。
インターネットを見るとマスコミには出てない多彩な意見や現地の情報が溢れるように出ています。
その中から3つだけを選んで以下にご紹介いたします。
(1)Yumiko Nanba、「犬猫を100%救い隊」3月1日  ·https://www.facebook.com/.../%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9...
ウクライナ情報です、
兵士が 猫を守っています
ウクライナ 動物病院
今ダメみたいですが
ポーランド国境動物病院
あるそうです
飛行機に乗って わんちゃんと
避難している方も
います
受け入れしてくれるポーランドは
とても素晴らしいです
日本では ありえないだろうなと
思いました
災害の時 ペットは
いつも後回し……
ウクライナは
フードも寝袋も
用意
避難してください
ペットと
そしてそれをラジオで放送する。

1番目の写真は兵士が 猫を守っています写真です。
参考文献
https://twitter.com/Naturew.../status/1498351803624214530...
#戦争反対
#ウクライナ

(2)「武力に対してはNO」 
Toshi Yoroizuka、2月26日  、
https://www.facebook.com/.../%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9...
ロシアの言い分もあるでしょう
国際情勢について素人の私がコメントするべき事ではありません。
でも武力で解決しようとする事に対しては「NO」と言い続けたい
何も出来ない私の様な一庶民ですがはっきりそれを意思表示する事は大切だと思います
ニュースで出ていましたウクライナ、キエフで国際NGO連合代表として紛争予防と平和構築活動に取り組むアンドレ・カメンシコフ氏(54)の文書を添付します
長期的に見れば、この戦争でロシアは負ける。軍事対立の行方を左右する主な要素は、経済・軍事力や人口ではなく、心理的なものだ。国民が自分たちの大義のために命を捨てる覚悟があるのなら、それは巨大な利点だ。ウクライナは軍事的には不利だが、人々は国を守るために抵抗している。ロシア軍が首都や軍事拠点を制圧したとしても、国を完全に征服することはできない。
 ―国際社会ができることは。
 ロシアの人々は物価が急上昇するなど、既に痛みを感じており、制裁強化で打撃を与えられるのは確かだ。ただ制裁は長期的には効果があるが、短期的には効果を望めない。(制裁以外にできるのは)各国指導者が直接ロシア国民に向けて、「あなた方は敵ではない。犯罪的な戦争をしているのはあなたの政府だ」とメッセージを発すること。それにより人々の目が政権へと向き、プーチン氏に対する(国内的な)圧力となり得る。

2番目の写真はウクライナの国旗を振るウクライナ兵たちです。
#toshiyoroizuka #鎧塚俊彦 #ウクライナ #ロシア 
#平和 #戦争

(3)「武力で解決しようとする事に対しては「NO」と言い続けたい」
高垣 典哉、4月6日 1:29  · 
本日5日キエフ郊外ブチャに行ってきました。余りにも悲惨な惨劇でした。ウクライナの人が可哀想で涙が出そうになりました。ロシア軍の悪行、プーチンの悪行絶対に許してはいけません。沢山の現地の人々の証言を取ってきました。翻訳したらYouTubeチャンネル #ウクライナ情報局 に上げますのでご覧ください

3番目の写真はキエフにある戦災を受けなかった修道院の写真です。

4番目の写真はキエフ郊外ブチャの悲惨な情景です。
#ウクライナ情勢 #ウクライナ #キーウ #ブチャ #bucha #ukraine

今日はマスコミには出てないインターネットにある多彩な意見や現地の情報から3つだけを選んでご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「友遠方より来たる有り、また楽しからずや」

2022年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム
春になりました。何か楽しいことが起きそうです。例えば、「友遠方より来たる有り、また楽しからずや」。昔の懐かしい友人が突然やって来るのです。そんな想像をすると訳もなく楽しい気分になります。春ですね。
今日は昔学校で習った論語を思い出そうと考えました。紀元前551年 に生まれた孔子の言葉を弟子が書いた書物です。その幾つかを示します。
子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。 

子曰く、学びて時に之(これ)を習ふ。
亦(また)説(よろこ)ばしからずや。 

子曰く、朋(とも)遠方より来たる有り、亦楽しからずや。 

子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり

考えて見ると論語は70年近く前の高校時代の漢文の時間に教わったのです。それ以来、論語の言葉が心に住みついて時々脈絡もなく出てくるのです。
「論語」は日本書紀の記録では応神天皇の時代(紀元後285年)に朝鮮半島の百済から日本に伝わったとされています。
応神天皇の時代とは伝説でしょうが、歴史上日本人が初めて手にした書物とされており後世の日本の文化に大きな影響を与えました。数例を上げてみます。
1、飛鳥時代⇒聖徳太子の十七条の憲法「和をもって貴しとなす」の語源
2、江戸時代⇒武士必読の書として幕府の正式学問に採用
3、明治時代⇒明治天皇の勅語「教育勅語」にも反映

現在でも「温故知新」は額に入れてあちこちに掲げてあります。
子曰、温故而知新。可以爲師矣。からの言葉です。
意味は、先生はこう言われた「古人の書物に習熟し、現代に応用できるものを知る。そういう人こそ人々の師となる資格がある。」です。
この様に日本人の心に住み着いた言葉が沢山あります。
現在の日本人は論語は意識していませんが人々の行動の規範になっているのです。
この論語を現在も専門に教えている学校があります。栃木県、足利市の足利学校です。訪問してみました。2009年7月のことでした。
足利学校では現在でも論語を教えている専門学校のような教育を続けています。それはさておき、昔の足利学校は日本へキリスト教を伝えたザビエルが、「日本にも大学がある」と称賛した大規模な学校でした。
訪問してみたらその学校は堀に囲まれた平安末期の足利氏の館の跡地にありました。
お堀にかかった橋を渡り正門から入ると足利学校の復元された校舎、施設などがあります。
早速ですが綺麗に復元してある足利学校の周囲の堀や正門や教室としていた母屋などの写真を示します。最後の写真は足利学校の校内にある立派な孔子廟です。1と2番目の写真は2009年7月に自分で撮った写真です。
3、4、5番目の写真の出典は、https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/ashikagagakko です。





足利学校の創建年代についてはいろいろな説あります。
平安時代の小野篁の創建、鎌倉時代の足利義兼、そして室町時代の1487年、時の関東管領、上杉憲実による創建など3説があります。
室町時代の前期には衰退していましたが1432年(永享4年)上杉憲実が足利の領主になって再興に尽力しました。
鎌倉円覚寺の僧快元を校長に招いたり蔵書を寄贈したりして学校を再興したのです。
その成果が上がって北は奥羽、南は琉球にいたる全国から学生が集まり、代々の校長も全国各地の出身者に引き継がれて行きました。
足利学校は間違いなく日本で最古で最大の学校でした。

ついでに言えば、足利学校と足利尊氏と現在の足利市民の三者にはほとんど関係が無いのです。現在の足利市民は足利尊氏を尊敬したり、親しく感じてはいないのです。
足利氏の先祖は代々は足利市に住んでいましたが足利尊氏は京都で生まれ育ちました。足利市には来ていません。足利学校とは終生無関係でした。

いずれにしても、堀に囲まれた広い敷地に、平安時代からあった学校を見るのは初めてなので感動しました。感慨深いものでした。
この学校では論語に関する数多くの本を出版し一般人に論語の教育活動をしています。
例えば『論語体験プログラム』では孔子の教えである論語を、参加者全員が大きな声を出して読む素読(そどく)体験プログラムを行っています。
また出版物の論語抄は論語の全499章のうち63章を厳選し分かり易く説明してあります。私も買って帰り、折に触れて読み返しています。
栃木県、足利市は遠方ですが車で行くと便利です。「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されている鑁阿寺(ばんなじ)とともに訪問すると面白いと存じます。鑁阿寺は真言宗大日派の本山です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「ネモフィラとコキアが一面に広がるひたち海浜公園の絶景」

2022年04月10日 | 写真
ネモフィラで有名な国営ひたち海浜公園は、干し芋などで有名なひたちなか市にある広大な公園です。ネモフィラが見頃を迎えるのは4月中旬~5月中旬です。絶景です。

ネモフィラの時期が終わると、みはらしの丘にはコキアの苗木が植えられます。コキアは別名ほうき草と呼ばれるユーラシア大陸原産の植物。夏はライムグリーンの丸いフォルムを、そして秋になると、赤く色付いたコキアの姿を楽しめます。絶景です。
写真の出典は、https://www.premiumoutlets.co.jp/column/ami/200 です。





「箱根湿生花園のミズバショウ、カタクリなどの花」

2022年04月10日 | 写真
箱根湿生花園は、神奈川県の箱根の仙石原温泉にあります。
仙石原は、火打石岳・金時山などの山麓に広がる標高650メートルほどだそうです。
現在はミズバショウ、カタクリなどの花が綺麗だそうです。その写真をお送り致します。
写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/article/20732/ です。





「イエスに棕櫚の葉、ピラトの裁判、十字架にかけ死刑、(これがイエスの受難です)、しかしイエスは復活します」

2022年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム
2000年前の話です。
イエスに人々は棕櫚の葉を振って歓迎します。しかしその後、反対派によって逮捕されます。そしてローマ総督ピラトの裁判にかけられます。
判決は十字架にかけ死刑にすることでした。
死刑になり絶命し葬られます。
しかし3日後によみがえり復活します。生き返ったイエスは弟子たちの前に現れます。これがイエスの復活なのです。
以下にピラトの裁判の経過を示します。今日の聖書の朗読です。
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受難の朗読 マタイによる主・キリストの受難 (マタイ27章11~54章)
(そのとき、)イエスは総督の前に立たれた。
総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。
それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。
ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。
そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」
人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。
「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。
そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。
ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、
皆は、「十字架につけろ」と言った。
ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。
ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」
そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。
そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。
このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。
兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。
そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。
彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。
ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
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いかがでしょうか。
キリスト教の聖書の描写はこのように写実的なのです。説得力があるのです。
今日はピラトの裁判の経過をご紹介いたしました。
写真は今日のカトリック小金井教会受難の主日のミサの風景です。