後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「師走の風物詩「歳の市」」

2024年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム
師走になると全国の町々に「歳の市」が開かれお正月用品がいろいろ売っています。この頃はスーパーマーケットにお正月用品のコーナーが出来て色鮮やかな一角になっています。何故か心が楽しくなりお正月になるのが待ちどうしくなります。お節料理の材料を買って台所が忙しくなります。
今日は松本市の縄手町の「歳の市」の風景の写真をお送り致します。
1番目の写真は松本市の縄手町です。いろいろな商品が並んでいて楽し気な商店街です。師走になるとここに「歳の市」がたちます。
2番目の写真は玄関などに飾る注連縄です、。

3番目の写真はいろいろなお正月用品を売っている光景です。
4番目の写真は神社の入り口に並べて売っているお正月用品です。
さて皆様の地方の「歳の市」はどんな光景でしょうか。私は今日スーパーの「歳の市」に門松などを買いに行きます。

今日は松本市の縄手町の「歳の市」の風景の写真をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「春の日の森戸、葉山、逗子、鎌倉、江の島、茅ケ崎の風景写真」

2024年12月27日 | 写真
何年か前に暖かい春風に誘われて湘南海岸のドライブを楽しんだ折りに撮った写真です。
これらの写真に写っている海は、50年ほど前に妻と一緒に小型ヨットのデンギィで走り回った海です。葉山マリーナのデンギィのクラブの会員でした。江の島ヨットマリーナのヨットスクールでも帆走の訓練をしました。
あの頃の元気さが懐かしいです。
家内と葉山マリーナのカフェでのんびりと昔の思い出を話し合ったりしたのも思い出しました。こうして老境の日が過ぎ行きます。
1番目の写真は森戸大明神の沖にある灯台と鳥居です。
2番目の写真は森戸から葉山マリーナ方面を見た風景です。
3番目の写真は葉山の鐙摺港の沖に係留されているヨットです。ヨットの右奥には逗子の海水浴場が広がっています。
4番目の写真は逗子沖を帆走している2人乗りのデンギィの姿です。
5番目の写真は葉山マリーナのカフェの窓から見た浮桟橋とクルーザーヨットです。
6番目の写真は鎌倉の材木座の砂浜です。
7番目の写真は夕日に輝く片瀬海岸の風景です。

「お正月と百人一首」

2024年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム
お正月になると百人一首のかるたを出して遊びます。我が家では以前に妻が百人一首のかるたを出して遊んでいました。最近は聞きませんが百人一首が懐かしいです。お正月の風物詩の一つです。
懐かしいので以下に掲載いたしました。
 
1. 秋(あき)の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)を荒みわがころも手は露に濡れつつ(後撰集 秋 302)    天智天皇(てんぢてんのう 626~672 第38代天皇)

2. 春(はる)すぎて夏来にけらし白たへのころもほすてふあまの香具山(新古今集 夏 175)    持統天皇(じとうてんのう 645~702 第41代天皇 天智天皇の皇女 天武天皇の皇后)

3. あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(拾遺集 恋 778)    柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ 生没年不詳 万葉集の代表的な宮廷歌人 人丸とも 三十六歌仙)

4. 田子(たご)の浦にうちいでて見れば白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ(新古今集 冬 675)    山部赤人(やまべのあかひと 生没年不詳 万葉集の代表的な宮廷歌人 三十六歌仙)

5. 奥(おく)山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき(古今集 秋 215)    猿丸太夫(生没年不詳 奈良~平安初期(?)の伝説的人物 三十六歌仙)

6. かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける(新古今集 冬 620)    中納言家持(大伴家持 おおとものやかもち 718~785 旅人の子 万葉集の撰者)
7. あまの原ふりさけ見ればかすがなる三笠の山にいでし月かも(古今集 覊旅 406)    安倍仲麻呂(あべのなかまろ 698~770 遣唐留学生 唐の役人となり唐土で生涯を終えた)

8. わが庵(いほ)は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人はいふなり(古今集 雑 983)    喜撰法師(きせん 宇治山の僧とされる伝説的な歌人 六歌仙の一人)

9. 花(はな)の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(古今集 春 113)    小野小町(六歌仙・三十六歌仙の一人 伝説的な美女とされてきた 各地に伝説が残る)

10. これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関(後撰集 雑 1089)    蝉丸(せみまる 生没年不詳 琵琶の名手とされる平安初期の伝説的人物 逢坂山に住んだという)

そして最後の」100首目は、100.ももしきや古き軒ばの忍ぶにもなほあまりある昔なりけり(続後撰集 雑 1205)
    順徳院(1197~1242 第84代天皇 承久の変で佐渡に遷る)

百人一首とは今から約730年もの昔、鎌倉時代の歌人である藤原定家がまとめたものです。 藤原定家が京都嵯峨の小倉山の別荘で屏風(襖)に書き写したことから小倉百人一首と呼ばれています。
 小倉百人一首はすべて「古今集」や「新古今集」などの「勅撰和歌集」から集められています。 
百人一首の歴史は「かるた」から始まると言われていますが、カルタの始まりは平安時代に遊ばれていた「貝合わせ」というものだと言われています。
「貝合わせ」とは、二枚貝をふたつに分けて、その片方を探すといった単純な遊びですが、やがて宮廷の人々のあいだでは、貝に歌や絵を書いて遊ぶようになります。 

以上は、https://hyakunin.stardust31.com/ に掲載されている文献から抜粋しました。なお添付の写真はインターネットからお借りしました。

今日は小倉百人一首の冒頭の10首を紹介し、百人一首の歴史を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「小金井公園での新春凧揚げ大会の写真」

2024年12月26日 | 写真
小金井公園での新春凧揚げ大会の写真をお送り致します。
小金井公園では毎年1月中旬に新春凧揚げ大会があります。
以前の大会の写真をお送り致します。
出典は、https://koganei-kanko.jp/maron/archives/8113 です。

「ドイツでの凧揚げの思い出」

2024年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
ドイツでの凧揚げの思い出です。
ドイツには1969年から1年余住んでいました。子供がいたので凧揚げをしました。その凧は洋凧の「ゲイラカイト」でした。

それまで当然だと思っていた和凧の四角とは異なる三角の形状でした。
このゲイラカイト、とにかく飛んだのです。日本の凧はなんだったのかと思うほど、圧倒的な飛行力を持っていたのです。

ビニールとプラスチックのフレームという軽量なボディは、ひとたび風をつかむと、あっという間に雲に届くほど飛び上がりました。
写真は「ゲイラカイト」の写真です。
 

「凧揚げの歴史」

2024年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
凧揚げの歴史については、https://kitediy.com/?p=469 に実に詳しい解説が掲載されています。
その冒頭だけを以下に示します。

「凧が発明された時期ははっきりしていないが、紀元前の中国書物「事物紀源」に「韓信が凧を使って相手の城までの距離を測り、トンネルを掘って侵入して相手を攻め落とした」とあり、この頃には既に凧が存在したことが分かる。

いずれにしても、凧の発祥の地は中国であることが定説となっており、それが日本や欧州や米国にまで伝えられ、それぞれの特徴ある発展を遂げた。

日本には、中国から直接渡来したもの、沖縄を経由してもたらされたもの、朝鮮半島を経由して伝わったものなどがある。

代表的な日本の凧といえば、四角形の江戸凧であり、江戸を中心に発達し、庶民の遊びとして定着していた。」

写真は和凧です。
 

「タイの国際凧揚げ大会」

2024年12月26日 | 写真
タイの国際凧揚げ大会の写真をお送り致します。
大きいものやデザイン性の高いもなど多種多様な凧で空が彩られます。タイの伝統的な凧”チュラー”や”パクパウ”を見ることができるかもしれません。
その写真をお送り致します。写真の出典は下記です。7https://www.istockphoto.com/jp/search/2/image-film?phrase=%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%87%A7%E6%8F%9A%E3%81%92%E5%A4%A7%E4%BC%9A
 

「山林と小屋の雪景色の写真」

2024年12月25日 | 写真

2014年の2月14日は大雪でした。山梨県は50年ぶりの大雪で甲府市内でも積雪が1m位までになりました。

小生が趣味として通っている甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋の付近も深い雪です。その様子は近所の山荘に独り住んでいる木内正夫さんのブログに出ていました。

大雪の日から10日も経過した後にその雪景色を見に行ってきました。小屋から1.5Kmほど下の松尾さんの家の前に車を駐車させてもらい、そこから杖をついて徒歩で登りました。往復3Kmほどの雪中の散歩でした。

その折に撮った雪に埋もれる山林と小屋の写真をお送りいたします。新鮮な空気の雪の雑木林を散策している気分で写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。  

この地域は標高約900mの寒冷地です。気温が低いので雪が融けにくい地域です。たぶん3月末頃までの根雪になるでしょう。

山林の中の小屋の大雪は懐かしいので当時の写真を掲載いたしました。 


「ドイツ、フィンランド、アメリカ、イギリスの美しい雪景色」

2024年12月25日 | 写真
ドイツ、フィンランド、アメリカ、イギリスの美しい雪景色の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://karapaia.com/archives/52183333.html です。
1番目の写真はドイツ、バイエルンです。
2番目の写真はフィンランド、Kuusaankoski, Laukaa です。
3番目の写真はアメリカ、ニューヨーク州、スカネアトレスです。
4番目の写真はイギリス、ロンドン近郊のリッチモンドパークです。

「奥多摩に咲く花々の写真」

2024年12月25日 | 写真
数年前に奥多摩の山に咲く花々の写真を撮りに行きました。青梅から御岳駅そばの国際フィッシングセンターにかけて山沿いに車を入れて、山に咲く花々を探して写真を撮りました。曇天だったので鮮明な写真にはなりませんでしたが、お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。

「私のゴッドファーザーの思い出」

2024年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム
映画の『ゴッドファーザー』は、1972年に公開されたアメリカ映画です。監督はフランシス・フォード・コッポラでした。
家族の愛と絆、義理と人情、忠誠と裏切り、金と権力などが交錯するなかで揺れ動く人生の機微や人間社会の模様をイタリア系移民の裏社会を通して描き出した映画でした。私は映画に描かれた愛と人間の絆に感動しました。
当時多くの日本人もこの映画を絶賛していました。私の忘れえない映画です。
それ以来、ゴッドファーザーという言葉を知りました。

そこで今日はカトリック宗派におけるゴッドファザーと神父の役割について具体的な実例を用いて説明しようと思います。
ゴッドファザーは日本語では代父と言います。男性が洗礼を受ける時の付添人であり洗礼の証人でもあります。女性が洗礼を受ける場合はゴッドマザー、代母が付添います。
1971年に私は洗礼を受けました。カトリック立川教会の塚本金明神父さまから受けました。そのときの代父、ゴッドファーザーは山本大二郎氏でした。
山本氏は東京のある大学の教授をしていた化学者でした。多くの専門書を書かれた学者でした。
この代父の山本氏の趣味は奥多摩の花の写真を撮ることでした。その写真を毎年、年賀状につけて送ってくださっていました。山本氏が1982年に講談社から出版した「奥多摩の花」という本の表紙を示します。
1番目の写真は山本氏の「奥多摩の花」という本の表紙です。
偶然のことですが山本大二郎氏のご子息の山本量太郎氏が2000年に私どもの小金井教会の主任司祭として着任なさったのです。
山本量太郎神父さまは2010年まで10年間、小金井教会の主任司祭をして、その後はカトリック関口教会の主任司祭になりました。現在は成城教会の司祭です。
その彼が2015年の11月23日の小金井教会40周年記念ミサに来てくださったのです。

2番目の写真は聖なるパンを信者に渡してる山本量太郎神父さまです。

3番目の写真は関口教会で山本神父司式によるある結婚式の写真です。

4番目の写真はカトリック成城教会です。
私どもは2019年の10月13日に成城教会の山本量太郎司祭のミサに参加しました。
山本神父はお茶目で親しみやすい神父でした。以下のお言葉をご覧下さい。

・・・ところで私は、司祭になって今年で38年になります。区切りとなるような年数には達していませんが、それでも自分の叙階記念日がやってくると、司祭にしていただいた日のことを思い出します。1977年11月3日、文化の日、その日は確か木曜日でしたが、私はここ東京カテドラルの大聖堂で白柳大司教さま(当時)から、岩崎尚師(故人)、門馬邦男師とともに司祭に叙階されました。そして、三日後の日曜日、出身教会の立川教会で初ミサがあり、お祝いの席には、その前年まで立川教会の主任司祭を長く務められた塚本金明神父さまも来てくださいました。
塚本神父さまからその時いただいたお言葉が今でも忘れられません。神父さまはこうおっしゃったのです。
「山本君、君は学生の頃、パチンコが大好きだったね。もしかしたら、自分でもうまいと思っていたのではないかな。でもね、パチンコが本当に上手だったのは神さまなんだよ。神さまは、君という玉をはじいて司祭という穴に見事入れたんだからね」。
その時は正直なところみんなの前で旧悪をあばくようなことを言わなくてもいいのにと思いましたが、年を経るほどにありがたさを強く感じるようになりました。・・・以下省略。

今日説明したかったことはカトリックの代父、ゴッドファーザーと神父の役割の重要性を指摘したかったのです。そして名作映画の題名の「ゴッドファーザー」の意味を説明したかったのです。
この代父、ゴッドファーザーと神父はプロテスタント系のキリスト教では重要視されていません。
ロシア正教やイギリスの聖公会のような伝統的な宗派では重要な存在なのです。
プロテスタント系の新しい宗派では神やキリストと人間との直接的な関係を重要視するのでゴッドファーザーや神父のような介在人を重要視しなのです。一言でキリスト教徒と言っても違いもあるのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「冬の西洋の花の写真」

2024年12月24日 | 写真
冬の西洋の花の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://shikinobi.com/shikinohana_huyu です。
1番目の写真は八重咲きのクリスマスローズです。
2番目の写真はメキシコが原産のポインセチアです。和名はショウジョウボク(猩々木)です。
3番目の写真はヨーロッパが原産の葉牡丹(はぼたん)です。日本には江戸時代に食用としてやってきたのが最初です。
4番目の写真はアフリカ・ヨーロッパが原産のエリカです。エリカ属には740種があるといわれています。