おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「落語鑑賞教室」。その9。四代目三遊亭圓歌「やかん」。+三代目三遊亭圓歌「授業中」。

2021-08-10 18:40:07 | 落語の世界

こちらが聞き知っている「やかん」。「Wikipedia」風のものですが。(以下「Wikipedia」より)

岩田の隠居がおを飲んでいると、そこへ八五郎がやってくる。

        

「おぉ、現れたなグシャ」
「へぇ」
「マァ、上がれグシャ。お茶でもどうだグシャ」
「な、何ですか、その『グシャ・グシャ』っていうのは。ぬかるみを歩いているんじゃ無いんですから」
「あぁ、グシャとは愚か者の事だ、愚者」
「愚か者…そうですか。おれぁそんな事とは気づかず返事しちゃった」

カチンとなった八五郎。如何してやろうかと考え込み、あるアイディアが…。

「隠居は、何でも知っているんですねぇ」
「その通りだ。森羅万象・神社仏閣、この世に知らぬものは無い」
「そうですか。じゃあ聞きますがね…」

のっぴきらない状況に追い込み、八五郎の逆襲が始まった。

まずは、お魚の由来で小手調べ。

「じゃあ、魚の名前なんかどうです? まずはマグロ
「真っ黒だからマクロだ」

コチは?」
「こっちへ泳いでくるからコチだ」
「向こうへ行く事もあるでしょ?」
「お前が向こうに回ればコチになる」

「じゃあ、平目は?」
「平たいところに目が付いてるからヒラメだ」
「詰まんない事聞いちゃったな。じゃあは? カレーライスなんて言ったら怒りますよ?」
「うーん、あれはヒラメの家来で、家令をしている」

は?」
「昔はヌルヌルしていたのでヌルといった。あるときがヌルをのみ込んで、大きいので全部のめず四苦八苦」
「へぇ」
「鵜が難儀したから、鵜、難儀、鵜、難儀、鵜難儀でウナギだ」

「ウーン…。じゃあ、は?」
「イワシは『下魚』といわれるが、あれで魚仲間ではなかなか勢力がある。だから鰯が魚たちの名付け親になったんだ」
「ですから、その鰯自身は誰が名づけたんですか?」
「うー。ほかの魚が名をもらった礼に来て、「ところであなたの名は?」と尋ねられて「わしのことは、どうでも言わっし」と答えた。これでイワシだ」

「では、次は日用品ではどうでしょうか? まず土瓶
「土でこさえた瓶だから土瓶。鉄で作れば鉄瓶だ」
茶碗は?」
「置くとちゃわんと動かないから茶碗だ」

「手ごわいな。じゃあ薬缶は?」
「や()で出来て…いないか」 隠居はダンマリ。八五郎はニマニマ…。

「答えてやろう。昔は…」
「ノロと言いました?」
「いや、これは『水わかし』といった」
「それをいうなら『湯わかし』でしょ」
「水を沸かして、初めて湯になるのではないのか?」
「はあ、それで、なぜ水わかしがやかんになったんで?」
「これには物語がある」

川中島の合戦で、片方が夜討ちをかけた。
かけられた方は不意をつかれて大混乱。

ある若武者が自分のをかぶろうと、枕元を見たが何故かない。
あるのは水わかしだけ。そこで湯を捨て、兜の代わりにかぶった。

この若武者が強く、敵の直中に突っ込む。
敵が一斉に矢を放つと、水わかしに当たってカーンという音。

「矢があたって…」
「矢が当たってカーン…だから薬缶か」
「その通りだ」
「でも、蓋が邪魔になりませんか?」
「ボッチをくわえて面の代わりだ」
「つるは?」
「顎へかけて緒の代わり」
「じゃあ薬缶の口…」
「昔の合戦には『名乗り』があった。聞こえないと困るから、穴があったほうが好都合だ」
「あれ、かぶったら下を向きます。上を向かなきゃ聞こえない」
「その日は大雨。上を向いたら、が入ってきて中耳炎になる」
「耳なら両方ありそうなもんだ」
「ない方は、をつけて寝る方だ」

という具合で、「やかん」の話は実に面白いところでした。

しかし、当代の圓歌師匠。そんなパターンに添った(古典)落語ではありません。

 

             

イカとタコの違いは? ハブは冬眠しないのか? カメは万年、ツルは千年とは? 水洗トイレの起源は? ・・・

フランス語から韓国語までダジャレづくし。 

「やかん」にいたっては、夜間工事現場で、必ずカアンと音がするものにあたる。夜間工事のたびにだ、そこで「やかん」といった。というぐあいに、ダジャレもダジャレ、素人でも思いつきそうなダジャレが次々と。子どもが「してやったり」というような仕草、くりくり目玉が愛嬌があって、笑いを誘います。

先代の圓歌(歌奴)師匠は、『授業中』のくだり、「山のあな、あな、あな、あなたもう寝ましょうよ」のフレーズが今でも印象に残っています。但し、師匠自身が「吃音」を直すために落語家になった、とのこと(立川談志によれば、吃音ではなかった、と)です。

自らの生い立ち、新大久保駅員の頃の話し、同居していた爺さん、婆さんの話し(真偽はまったく不明)などを語った「中沢家の人々」も秀逸。

その後を継いだ現圓歌さん。独特の味わいで楽しめました。

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「落語鑑賞教室」その8。五街道雲助。

2021-08-01 18:52:13 | 落語の世界

                    五街道雲助。

                          

吉原の、お客を相手に世辞を旨く使いこなして男を骨抜きにしてしまうお話を枕に。

大金を無尽で手に入れた男。行きつけの女郎にこれで夫婦仲になろうと持ちかける。だまされたに違いないという叔父さんから一芝居を打つように仕向けられた源さん。

酒の席で人を殺してしまった、一緒に死んでくれ、と頼まれた、お玉。二人で大川(隅田川)にやってくるが、二人とも身投げをする気はさらさら無い。女は、男をせかせて飛び込むように差し向けるが、男もその気はまるでない。女は焦れて先に石を身代わりに投げ込む。

男は女が身投げしたと思って、続いて、大きな石を投げ込み、成仏してくれ! 

ところがお茶屋に男は羽織を女はかんざしを置いてきた。それを取りに戻って、二人は出くわす。

驚いた二人、「いやだね、さっき娑婆で会ったばかり」。

五街道雲助師匠。当代は六代目となっているが、明確な資料が残っておらず、名跡であることに変わり無いのだが代数がはっきりしていないため、当代の師匠である10代目金原亭馬生が六代目と付けた。

自身が珍しい名前を名乗っていることから、弟子には真打昇進と同時に珍しい名前を名乗らせている。

雲助師匠は1948年に墨田区本所の生まれ。1968年に十代目金原亭馬生に入門。1972年の二ツ目昇進で五街道雲助と改名、1981年に真打。古き良き江戸落語を今に伝える「通好みの本格派」。

「落語は江戸東京の感覚に根ざした地域芸能であるという一面を残しておきたい」という五街道雲助師匠。その武骨な演出・話風には「江戸の風」が吹いているようです。

なお、この出演後(5月上席)、新型コロナ感染症の陽性反応が出たため、その後は、休演しました。ワクチンを接種したあとの発症のようです。

 

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「落語鑑賞教室」その7。浅草演芸ホール。アサダ二世、三増紋之助、林家正楽、林家あずみ・・・。

2021-07-29 20:23:33 | 落語の世界

                   アサダ二世。         

昔懐かしい古典的なマジック・手品ですが、話芸がみごと。1966年(昭和41年)アダチ龍光に弟子入りした。

趣味 

磯釣り 囲碁(三段) マージャン(元プロ) ジャズと演芸テープ収集 朝顔の栽培 小鳥飼育 モダンバレー タップダンス スキー スケート ウィンドサーフィン 乗馬 殺陣 ギター  ウクレレ

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芝居を長く演ってきたので、それを奇術に取り入れ、新しい分野を開拓し、寄席芸としての奇術を確立したい。
アダチ龍光に近づきたい。

注:「アダチ龍光」さんは、一世を風靡した奇術師。タキシード姿で、活弁、声帯模写、漫談をバックボーンとした軽妙な語り口を交えつつマジックを披露し、人気を博しました。初代江戸屋猫八譲りのウグイスなどの動物の鳴き真似でも知られています。

このように、「浅草演芸ホール」の舞台も落語ばかりではありません。漫才の他に、「色物」と言われるマジック、紙切り、漫談などがあります。

            

               三増紋之助「曲ゴマ」。

1982(昭和57)年 フランス座に入座
1985(昭和60)年 曲独楽 三増紋也に弟子入り
1992(平成4)年 落語協会に林家こん平一門として入会

漫才 ホンキートンク。

ロケット団ナイツ宮田陽・昇を加えた4組で「漫才協会の四天王」と呼ばれる。

           林家正楽「紙切り」。

趣味

散歩 スポーツ観戦 クロスワードパズル

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寄席紙切りの第一人者。気負いを見せない淡々とした芸で、客の注文に応じて、確実にそして綺麗に切り抜いていく。
短いが洒落の利いた言葉の数々、注文から出来上がりまでの流れの組み立てなど、そのセンスの良さと共に今後の活躍が期待されている。
日本で一番元気な紙切りです。

この方も話芸が達者。語りを交えて、熟達した技を見せてくれます。

林家あずみ「三味線漫談」。

                  

主にバラエティ番組のアシスタントやリポーター業を行なっていたが、自身がリポーターで出演していた『テリー伊藤のってけラジオ』内で共演した林家たい平に2010年6月に三味線漫談家として弟子入り。

同年9月「林家あずみ」として前座修業を開始。2014年2月1日、鈴本演芸場2月上席でデビューし、落語協会が公認した初の直弟子(色物)として扱われた。その後も、主にニッポン放送のラジオ番組で中継リポーター業も行ないつつ、寄席で漫談を披露している。

皆さん、多士済々でした。

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「落語鑑賞教室」その6。柳家喬太郎「転宅」。

2021-07-27 19:41:30 | 落語の世界

                         柳家喬太郎。

今回は、「浅草演芸ホール」。2021年5月5日 夜の部。緊急無料生配信アーカイブより。

多士済々の登場ですが、トリ(主任)は、柳家喬太郎師匠。喬太郎さんは、人気絶頂の落語家。なかなかチケットが取れません。一昨年、とあるホールで聴きました。

新作から古典まで幅広く持ちネタがある方。

枕の話がけっこう面白い。中には、半分くらいそれで、お客を抱腹絶倒させて、本題に入ることも。表情、仕草が軽妙です。

 日本橋浜町の妾宅。50円置いて帰った旦那を、お妾のお菊さんが見送りに出てきた。これを見聞きしていた泥棒がその隙に座敷に入り込み、残りの料理と酒を飲み食いし始める。

 そこへ戻ったお菊さんに泥棒は、さっきの50円を出せとおどす。あわてず騒がず泥棒をおだて上げ、もとは自分も仲間で、高橋お伝の孫で「はんぺん」というなんて泥棒をからかう。

 もう旦那には愛想が尽き、こんな暮らしは飽き飽きしたから一緒に逃げて夫婦になろうと持ち出す。色仕掛けにすっかり舞い上がった泥棒、その気になって「今夜は泊っていく」と。

 困ったお菊さん、「旦那が焼き餅屋なんで、用心のため二階は剣術と空手の先生に貸してある」と切り出すと、泥棒は大慌て。

「今夜は帰って明日また来て頂戴、三味線を弾くからその合図で家に入って」と泥棒を帰す。

 おまけに泥棒の紙入れから、「亭主の物は女房の物」、「女房の物は女房の物」なんて丸め込んでお金も巻き上げる。

泥棒は浮き浮きして、じゃあ明日と出て行く。

 翌日、待ちかねた泥棒、妾宅にやって来たが、雨戸が閉まっていて、三味線の音も聞こえない。そこらを一回りして来るがやっぱり同じだ。

 向いの煙草屋で尋ねると、「昨夜、お菊さんの所へ間抜けな泥棒が入った。お菊さん、色仕掛けでせまって泥棒と夫婦約束までさせ、泥棒の財布からお金まで巻き上げた。すっかりのぼせ上がった間抜けな泥棒がいるものんだね。泊まっていくとか言うんで、二階には用心棒がいるとか言って脅かし、追い返した。見て御覧、あそこは平屋、二階なんてないでしょう。」

ビックリ仰天した泥棒。「で、どうしましたか? 」

「泥棒が帰った後、さすがお菊さんも怖くなって、今朝早く若い者が来て荷物をまとめてご転宅、つまり引っ越して行った。町内の者はその間抜けな泥棒が現れるのを今か今かと待っている」という。

茫然自失の泥棒。

泥棒 「一体、あの女は何者です」

煙草屋 「もとは義太夫の師匠だったそうだ」

泥棒 「道理でうまく語り(騙り)やがった」

「浅草演芸ホール」と「鈴本演芸場」の席亭のお二人。

のんきに落語を楽しんでいるうち、今日の東京都のコロナ感染者数が3,000名近くになった、と。

ここ1週間で、身近でも3人感染し、それぞれ、ホテル療養、入院、自宅療養となってしまいました。

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「落語鑑賞教室」その5。春風亭一之輔「あくび指南」。

2021-07-23 18:40:12 | 落語の世界

                                                        春風亭一之輔「あくび指南」。

                 

トリは春風亭一之輔師匠。まくらで「本来は、トリは林家正蔵師匠だったんですが、今日は行けない、と。寄席がなくなると、すぐ別の仕事が入る、家の力というかパワーというか、・・・」「寄席は足湯みたいのもので、お気軽にお越し下さい。不要不急なこと、不謹慎なことが楽しみに。」と。

柳家小三治の噺、「欠伸指南(あくびしなん)」によると。
 

  昔はいろいろ変わった商売があった。猫の蚤取りとか耳掃除だとかあった。稽古所なども盛んに開かれていた。釣り指南所と言って、部屋の中で教えたり、ケンカ指南所などもあった(?)。

 モテたくて、裏の若い衆が新しい稽古を始めたいので、一緒に来てくれと友達に頼み込んで”欠伸指南所”を訪れた。

 欠伸指南の教えを請うと、心やすく入門を許された。友達を入り口に待たせ、指南が始まった。
「下地はありますか」と、問われたが「欠伸に下地があるとは思わなかった。どっちにしても、あの『あ~あぁ』と言うヤツでしょ」、「いえいえ、その様な”駄欠伸”とは違います」、「”駄欠伸”・・・?」。
 「ごく、実のある欠伸の中から、”四季の欠伸”から始めるのが、初心者には良いでしょう。秋の欠伸は名月を眺めていたら欠伸が出てきた。冬の欠伸は炬燵から顔を出した猫が、つっぱらかって欠伸をしているところを見ていて、つられて欠伸が出てしまうという。これらは難しいので、後でするとして、今回は夏の欠伸を稽古しましょう」、「『夏だから、ぽかぽかっときて、欠伸が出る』、というヤツですか」、 「それも駄欠伸ですからやりません」。

 「場所は隅田川の首尾の松辺りで、もやった船で船頭と二人っきり。タバコに火を付けて、身体が揺れるような揺れないような、『船頭さん、船をうわてにやっておくれ、船から上がって一杯やって、晩には仲に行って、新造でも買って粋な遊びでもしましょうか。船も良いが一日船に乗っていると・・・、退屈で・・・タイクツで・・・あぁ~~あ(と欠伸)・・・ならない』とな」。「上手いもんだな」、「では、私について、覚えてください」。
 タバコを師匠から借りて、一服どころか充分堪能してから始めたが、大旦那風情どころか、職人風の”べらんめぇ”で感じが出ない。吉原に上がって浮いた話になったり、欠伸をかみ殺せなくて、「ハクシッ」とクシャミをしてしまったり様にならない。

 それを見ていた友人が「何を馬鹿な事をやってるんだ。習う方も習う方だが、教える野郎もナンだよ。お前らは良いよ、こっちの身になって見ろよ・・・。退屈で・・・、タイクツで・・・、あぁ~~あ (と欠伸)・・・ならない」。「お連れさんの方が上手だ!」。

(この項、「」HPより)

稽古事というとすぐ飛びつく男。兄貴分に「この間普請している家の前を通ったら乙な年増が竹箒で家の前を掃いている、ここは何ですか、と聞くと、あくび稽古指南所です。待っていますわ、って色っぽい目で。」

期待を込めて、いやがる兄貴分を誘って出かけることに。ところが、稽古を付けてくれるのは、その女の旦那。やる気をまったく無くした男だが、結局、稽古を付けてもらうハメに。

さっそく稽古が始まる。ところがやる気がまったく失せた男。師匠の指南通りの口調を真似しようとするがなかなかできない、このあたりのやりとりが巧みで、面白い。

      

              

一之輔師匠の語り口はなかなかみごと、本人も言っていますが、「芸人はどうも目が笑っていない」と。たしかにっちょっと強面な印象ですが、次第に話に引き込まれます。

 

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「落語鑑賞教室」その4。上野「鈴本演芸場」2021年5月3日 5月上席 昼の部。そして、「大暑」。

2021-07-22 18:43:03 | 落語の世界

                   

実際の寄席では、喬太郎さんの師匠・柳家さん喬さんなどそうそうたる落語家が次々と演ずる他に、様々な芸が披露されます。かつてはTVでもやっていたことがありますが、残念ながら、現在はまず放映されません。

「鈴本演芸場」緊急生配信 2021年5月3日 5月上席 昼の部では、そのすべて(3時間40分ほど)をyoutubeに配信しています。 そのいくつかを。

    無観客での上演です。

演者もやりにくいと思いますが、そこは芸人根性を見せてくれます。

           

拍手や笑い声はスタッフのみ。TV番組のように演出で笑いなどをかぶせることはありません。

久々に江戸屋小猫さん。

紙切りのこの方も。

             

春風亭一之輔師匠と席亭社長。

昨年来、演じる場・生活の場が失われた芸人の方々。

寄席は何とか再開されたようですが、東京は「緊急事態宣言」中。お客さんの入りはどうでしょうか? 

オリンピックの無観客と同じ扱いにはできませんね、まったく・・・。

「(開催を)やめることは一番簡単なこと、楽なことだ。」と菅さんが発言。

飲食店を含め、生活の場を「やめる」(奪われる)ことになって、国民が四苦八苦している現在。どうして「一番簡単」で「楽なこと」なのか? 

国民の生命と生活を守るためには、様々な政治的思惑を捨て、「困難だけれども」オリンピックを中止にすることが最善の選択肢ではなかったか?  

(写真は、「youtube」より)

そして、今日は「大暑」。 


快晴が続き、気温が上がり続けるころ。『暦便覧』には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。

まさにそんな言葉にぴったりの今日この頃。本格的な暑さはもう少し先になるが、梅雨明けで体が馴れていないので、暑さが身に応える時期。「梅雨明け10日」というごとく、晴天が続く。

今日・明日、大型で非常に強い台風も沖縄地方を襲う。その後は中国大陸へ。このところの豪雨で大きな被害が出ている中国に追い打ちをかけることに。

小暑と大暑の一か月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。立秋以降は残暑見舞いになる。

「大暑」の期間を三つに分けると(七十二候)
桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ))

桐が花を咲かせる頃。盛夏を迎える頃には、卵形の実を結ぶ。桐は、伝統的に神聖な木とされ、豊臣秀吉などが好んだ。日本国政府の紋章として使用されている。首相の記者会見などでの演台の正面のエンブレムに。

桐の紋(五三の桐)

・土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)

熱気がまとわりつく蒸し暑い頃。打ち水の習慣も暑さしのぎとしてこの頃に。木や草花の緑はますます濃くなってきます。
・大雨時行(たいうときにふる)

夕立や台風などの夏の雨が激しく降る頃。今まさに沖縄地方がその真っ只中。

東京では、青空に湧き上がる入道雲。夕立を知らせる雲でもあるが、その兆しは、なし。

ところで、「土用の丑の日」。今年は、7月28日。

「万葉集」に


石麻呂に吾れもの申す夏痩せによしといふものぞむなぎとり召せ   大伴家持

という歌がある。8世紀頃にも、夏やせにはウナギを食べたようです。

本格的にこの日にウナギを食べる習慣は、1700年代後半、江戸時代から。

一説によれば「夏に売り上げが落ちる」と鰻屋から相談を受けた蘭学者の平賀源内が、店先に

「本日丑の日」土用の丑の日うなぎの日食すれば夏負けすることなし

という看板を立てたら大繁盛したことで、ほかのウナギ屋もマネするようになったとか。

(葛飾区四つ木「魚政」HPより)

この店には一度行ってみたい。京成電車「四ツ木駅」から至近距離。

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「落語鑑賞教室」その3。林家つる子「反対俥」。

2021-07-20 22:39:37 | 落語の世界

林屋つる子「反対俥」。

 (中央大学 文学部人文社会学科 中国言語文化専攻)
2010(平成22)年9月林家正蔵に入門
2011(平成23)年3月 前座となる 前座名「つる子」
2015(平成27)年11月1日 二ッ目昇進

さて「反対俥」。

 桂文治の噺、「反対俥」によると。
 

 今は無くなってしまった人力車だが、その当時の話です。
 今川(いまがわ)橋で客待ちの居眠りをしている車夫に声をかけた。「万世橋から上野までやってくれ」の注文で、とろりとろりと走り始めた。と思ったが、かじ棒が上がりすぎ車夫は空中で足をばたつかせ、走り初めても提灯が借り物だからと、丁寧にゆっくりと走らせて(歩いて)いる。若い車夫に抜かれると「若い者に花を持たせやしょう」と動じない。今度は年取った車夫に抜かれて「年寄りにも花を持たせましょう」。心臓が悪いので、走ると死んじゃうかも知れません。その時は身寄りがないので、お弔いをお願いします。
 急いでいるので降ろしてもらった。
 「そこにいる若いの、早そうだな」。俺は早いよ、と言うなりかけだした。まだ乗っていないのに・・・。角を曲がって戻ってきた「道理で軽かった」。乗るから「万世を渡って北へ真っ直(つ)ぐやってくれ」、アラよっ、アラよっと走り始めた。風を切って走った。土管を飛び越え、しゃべる車夫の唾が風に飛ばされ客に飛んだ。土手に突き当たり俥はやっと止まったが、そこは埼玉県川口と書いてあった。「『北に』と言われたのでここまで来たが、上野なら戻ります」。
 またアラよっ、アラよっと走り始めた。「こないだは急行列車を追い抜いた」。今は汗が目に入って前が見えない。「止めてくれ」、「勢いが付いているので止まらない。トラックが来たら避けてください」。「お客さん、保険に入っていますか」、「そんなのには入っていないヨ」。「奥さんはいますか」、「二十八だよ」。「二十八で後家さんにしては可哀相。奥さんだけでも私が引き取りましょう」、「冗談言っちゃいけねェ~」。

(この項、「」HPより)

「落語芸術協会」HPでは、

あらすじ

日本橋あたりで上野の駅まで人力に乗った男。最初に乗った俥は遅くてしょうがない。乗り換えると、今度は威勢がよくて早い俥。どんどん飛ばして気持ちいいが、そのうち止まらなくなってしまう。やっとのことで止まると、そこは仙台だった。あわてて引き返すと今度は小田原。「これでは終列車に間に合わない。」「なぁに、明日の一番には間に合いますよ。」

・・・

しかし、今回、かなり改作しています。前半の車夫の話は短くして後の車夫が話の中心に。客の言動を主にして、人力車のとてつもない早さを表現。この落語は、耳で聞くよりも実際に演じる姿を見るのが魅力。

そして、つる子さん。口角、泡を飛ばしての熱演。喬太郎師匠だったら腰をひねってリタイヤーになるに違いなさそう。

ドラム缶を飛び越える仕草、3つ並んでいるのも飛び越える。・・・

ようやく着いたところがなんと「鎌倉」。そのかんに川にそのまま突っ込んで水中を。

「行きたいのは大宮だ」そこで北に引き返す。後ろ向きになって走る。

途中で芸者衆にぶつかり、池に落としてしまう。「芸者を上げなよ」「芸者を上げるくらいなら車引きなんぞやってない」というオチ、で終わらず、また走り出しやっと大宮に。

「いけねえ、土産買うのを忘れた」「ではまた」「待て、懐に生きのいいうなぎが付いてきた」とやっとオチに。

大熱演でした。

(写真は「youtube」より。「鈴本演芸場」緊急生配信 2021年5月3日 5月上席 昼の部)


 人力車(じんりきしゃ)とは、人の力で人を輸送するために設計された車。

日本では、主に明治から大正・昭和初期に移動手段として用いられたが、現在も観光地などで用いられている。人力俥とも表記する。

(「」HPより)

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「落語鑑賞教室」その2。古今亭まめ菊「転失気」。

2021-07-19 20:53:18 | 落語の世界

                   古今亭まめ菊「転失気」。

暑い、暑い! 隣の空き地、更地になって何ヶ月。いつしか一面に雑草(という名の草花はないのですが)。その中に、紫の花を咲かせた草が2本、黄色の花を咲かせた草が1本。すっかりカラカラに乾いた土、そして炎天下の中で可憐な花を咲かせています。どこからか種が飛んできたのでしょう。地植えのものではなさそうで、鉢の砂が運ばれてきて、その中にあった種が芽吹いたらしい。何という名前の花でしょうか? じりじり照りつける太陽の下で、頑張っています。

 

ペチュニア                        キンギョソウ 

地を這うように。これは、「スベリヒユ」。

さて、今回登場のまめ菊さん、菊之丞師匠の前座として登場。第一夜は、「元犬」、今夜はお馴染みの「転失気」。

どちらもネタおろし(即ち初演の舞台)。師匠から教わって初めての高座。観客がいない中での口演というのも珍しい。

緊張感が切々と伝わってきて一生懸命さが如実に。時々とちるところもご愛敬です。

女性の落語家も今はけっこういます。

まめ菊さん。大学の落研出身。

2017(平成29)年4月 古今亭菊之丞に入門
2018(平成30)年3月21日 前座となる 前座名「まめ菊」

あらすじ

体調のすぐれない寺の和尚が、往診に訪れた医師の問診を受け、「てんしき」があるかないかを尋ねられる。和尚は「てんしき」が何なのかわからないが、教えを乞うのを恥ずかしがり、知ったかぶりをして「ございません」と答えてその場をとりつくろい、医師が帰ったあとになって小僧の珍念を呼んで、それとなく尋ねることでなんとか「てんしき」について知ろうとするが、珍念も「てんしき」を知らなかった。和尚は「先日教えたことを忘れたのか。ここで『てんしき』についてまた教えてもよいが、それではお前のためにならない」とうそぶき、珍念を医師宅へ調合薬を取りに向かわせるついでに、近所に「てんしき」を借りてくるように命じる。

ところが聞いた人もみな何のことか分からないのに知ったかぶりをして「棚の上から落ちて割れてしまった」「人に持って行かれた」「たくさんあったが、わるくなる前に味噌汁の実にして食べてしまった」などと、バラバラの言い訳をして貸すのを断るため、「てんしき」が何であるのか珍念にはわからない。ようやく訪ねた医師宅で、医師に問うて医学でいう「転失気とは『気を転(まろ)め失う』と書き、のことである。『傷寒論』にあり、腸の働きを診るため、有無をたずねたのだ」と聞き出す。

和尚が「てんしき」を知らないことを悟った珍念は、寺に帰って「『てんしき』とはさかずきのことです」と和尚に嘘を言うと、和尚は「その通りだ。『呑む酒の器』と書く 」と答えた。和尚は「これから来客の折は、大事にしている『呑酒器(てんしき)』を見てもらおう」と言い、珍念にさかずきを出しておくよう命じる。

医師がふたたび寺に問診に訪れた際、和尚は「実は『てんしき』がありました」と言うので、医者が「それはよかった」と案じてみせると、和尚はさかずきを自慢したくてたまらず、「自慢の『てんしき』をお目にかけましょう」と言って医師を驚かせる。「三つ組の『てんしき』でして、桐の箱に入れてある」「ふたを開けた途端に臭うでしょうな」

珍念は笑いをこらえかねながら、桐の箱を運び入れ、ふたを取ってみせる。医師は「これはさかずきではありませんか」と問い、和尚は珍念に一杯食わされたことを知る。和尚が「こんなことで人をだまして恥ずかしいと思わないのか」と珍念を叱ると、「ええ、屁でもありません」

サゲのバリエーションは多岐にわたる。

  • 医師が「寺方では古くからさかずきのことを『てんしき』と?」と尋ねると、和尚が「ナラ、屁ェあんの昔から」と洒落るもの。上方で多く用いられる。
  • 医師が「なぜさかずきが『てんしき』なのか」と問うと、和尚が「さかずきを重ねると『ブーブー』が出る」と言うもの。「さかずきを重ねる」は酒を飲むことの慣用表現で、酔って不平を言う擬態語と放屁の擬音語をかけている。
  • だまされたと知った和尚が「どおりで臭い話だと思った」と言うもの。
  • 和尚が「どちらもつまみが必要ですな」という酒のつまみと鼻をつまむことをかけた洒落を言うもの。
  • 立川談志は転失気(放屁)ではなくセコ(落語家の符丁で大便)とし、オチを「これは酒坏ではありませんか」「ええ、これをやりすぎるとクソ坊主と呼ばれます」と演じた。

(この項、「Wikipedia」より)

知ったかぶりの和尚と、いたずら好きな小坊主の掛け合いが見もの。和尚の生半可な貫禄と、小坊主の茶目っ気を演じるところがポイント。

その使い分けを身体全体を駆使し、必死に演じていました。これからの精進が楽しみです。

師匠の横でかしこまる。

 

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「落語鑑賞教室」その1。古今亭菊之丞「火焔太鼓」。

2021-07-18 21:30:35 | 落語の世界

                    古今亭菊之丞「火焔太鼓」(「youtube」より)

4回目の「緊急事態宣言」が発出。首都圏でも感染者が増え続け、、政府の方針も二転三転、出しては引っ込め、責任を互いになすりつけ、知らんふり、・・・。

オリンピック開会が目前になっても「ぼったくり男爵」の言動にアタフタ。バブル方式も何だか穴だらけ。そのバブルの選手村で海外選手2人が感染した、とか。入国から14日は経っていない選手だったらしい。

菅さんは、こからかの入れ知恵(甘い見通しをもとにした)で、「10月から11月までの早い時期にワクチン接種を希望するすべての方の接種を終えたい」と前倒しを宣言、それを受けて絶句した河野さんは、「まぁ、頑張るしかない」と。

今、1回目の予約も取れず、2回目も先行き不透明。「2回目が1ヶ月以上、間を空けてもかまわない」・・・。

「時事通信」の世論調査で、内閣支持率が30%を切ったとか。それでも次期総裁選出馬を言明する菅さん。

それにしても、梅雨明けした関東エリア。堰を切ったように熱波が押し寄せてきています。「梅雨明け10日」とか言われていて、しばらくは猛暑が続きます。

南方海上では台風が次々と発生しつつあって、虎視眈々と日本列島を窺い、オリンピックの最中にやってくる?

それにしても暑い、暑い。

ということで、趣向を変えて、しばらくは落語の世界に。

最近は、やっと寄席も開かれたり、ホールでの落語会なども開催されるようになって、まことにけっこうなことです。

去年の夏時分には、まったく寄席が開かれず、他の会場も自粛、自粛で、落語家さんなど芸能関係者は出番がないまま年を越したようです。そんな中で、昨年は、デジタル配信がかなり多くありました。

そうした取り組みの中から数編。

これを機会に寄席などに足を(愛を)運べるようになるといいのですが。

古今亭菊之丞さん。(同上)

「自己PR」によれば、

中・高6年間、寄席に通ったおかげですっかり脳から口調まで毒された学生生活でしたが、
おかげ様でお客様からは「江戸・明治を感じさせる噺家」と呼ばれております。やはり寄席で
育った人間ですから、舞台・高座を大切につとめていきたいと思います。

いなせな雰囲気で、語り口もなめらか、この高座でも、枕で、さまざまな物売りの声色をみごとに使い分けます。

たしかに子供の頃には、豆腐屋さんとか焼芋屋さん、鋳掛屋さん(金属器の修理業者)などが声を出しながら街中を歩いていたような気がしましたが(落語の世界だったかも? )、今のようにテープを流して通ることもなかったですね。

それらを彷彿とさせる、とてもいい雰囲気でした。

この演目は、5代目志ん生のほか、3代目古今亭志ん朝が持ちネタとしていたようで、なかなか他の方は演じなかった、とか。

作中に出てくる太鼓は「楽太鼓」と呼ばれる雅楽に使う打楽器で、平たい形状を持ち、垂直に立てて演奏する。けっこう大がかりなものらしく、大八車で運ぶような代物ですが、落語では、風呂敷に包んでいく、という趣向。相当小ぶりですね。

(「太鼓の里浅野」HPより)

さて、「道具屋」さんが主人公。商売っ気がない主人としっかり者のおかみさんのお話。

五代目古今亭志ん生の噺、によると(台本)、

 「何だいじゃないでしょ。お客さんは買う気で入ってきたのに、『この箪笥は6年もあるんですから』。それじゃぁ、6年も売れ残っていると言うもんじゃないか。アンタは商売が下手なんだから、食べる物も内輪に食べているから、だんだんお腹がへこんで、背中からお臍が出てきちゃうよ。たまには儲けられるような物を仕入てきな」、「そんなこと言ったって、買おうと思っても先に買われちゃうんだ。今日はこれを買ってきた。太鼓」、「それはイケナイね。太鼓は際物だ。風呂敷を解いて見せてごらん。汚い太鼓だね、まるで煤の固まりみたいだよ」、「古いんだよ」、「古い物で儲けたことがあるかい。こないだは清盛のしびんを買ってきて損しただろ。それに岩見重太郎のワラジだ。売らなくてはイケナイ物を売らずに、売ってはイケナイ物を売っちゃうんだから。向かいの旦那が遊びに来て奥の火鉢を見て『甚兵衛さん、この火鉢は面白い火鉢だな』と言われたので売っちゃったら、冬の寒い時はあたりに行くので『甚兵衛さんと火鉢の両方買っちゃったみたいだ』と言ってたよ」。

 小僧に太鼓のホコリをはたかせたが、気持ちよく音が出た。

 そこを通りかかった殿様が、その音を聞きつけて家来に言いつけ、その太鼓を屋敷に持参するように申しつけた。奥様は半信半疑で「『こんなむさいものを持参して』と屋敷で取り押さえられちゃうよ。それがなければ、1分で仕入れたので、口銭だけで結構ですと売っちゃうんだよ」。

 甚兵衛さん、太鼓を担いで屋敷にやってきた。

 「道具屋か、通れ」。太鼓を見せたら、「かなり時代が付いているな」、「そうなんです。時代を取ったら太鼓が無くなっちゃいます」、「お上に見せる間、そこに控えておれ」、「見せないで、アンタが買ってください」。
 お叱りを受けたら太鼓を放り出し逃げる算段でいた。
 「お上は大変気に入っておる。幾らで手放すな」、「『手放すな』と言うことは幾らでしょう」、「お上は気に入っておる、遠慮無しに手一杯に申してみよ。お上の意に反するが、商売は損もすることがあるが、儲けることがあったら儲けておけ」、では、と言うので、両手を一杯に広げて見せた。「十万両です」、「それは高い」、「値切ってください。私の方で、どんどん負けますから」、「私の方から値を切り出す。あの太鼓三百金ではどうかな」、「三百金ではどうかと言うと、どんな金ですか」、「三百両ではどうか」、「三百両って何なんです」、「1両小判300枚でどうか。手放すか」、「う~~れ~~」、「泣くな。では受け取りを書け」、「そんな物いりません」、「こちらでいるんだ」、「これでよろしいでしょうか。判は無いので貴方の判を押してください」、「爪印で良いんですか」それではと言うので何ヶ所も押した。
 「五十両ずつ渡すからよく見ておけ。これは50両だ」、「へい」、「100両だ。150両だ。なぜその方は泣くのだ。200両だ。250両だ。どうした」、「水を一杯下さい」、「300両。持って参れ」、「私どもは、いったん売った物は引き取らないことになっていますが、どうしてあの太鼓を300両でお買い求め下さるのですか」、「その方解らないのか。拙者にも解らないが、あれは火焔太鼓と言って、世に二つという名器である。国宝に近いものであるという。その方は何処で掘り出したな」、「では、私は儲かったのですね」、「そうだ、風呂敷を持って帰れ」、「貴方に上げます」、「いらん、持って帰れ。気をつけて帰れ。金子を落とすでないぞ」、「落としません。私を落としてもお金は落としません。どうも有り難うございました」。
 「門番さん有り難う」、「商いは出来たか。どの位儲かったか」、「大きなお世話だ」。

 「今帰ってきた」、「あんな太鼓持って行って、追いかけられたのだろう。ざまぁ見ろ。天井裏に隠れちゃいな」、「何言ってんだ。あわわ・は・わわわ」、「どうしたんだい」、「あの太鼓300両で売れたんだ」。
 奥様舞い上がって「持ってきた?」、「持ってきたよ」、「早くお見せ」、「気を落ち着けろ。俺だってフラフラッとしたんだ。これを見て、座りション便してバカになったら承知しないからな。50両ずつ小判を見せるからな。ほら、これが50両だ」、「あらっ」、「なんだよ。100両だ」、「あら~ぁ~」、「後ろの柱につかまれ。いいか。150両」、「あ~あ~」、「もう少しだ我慢しろ。200両だ」、「お前さん水を一杯おくれ」、「俺も水を飲んだが50両早い。250両」、「お前は商売が上手だ」、「何言ってるんだ。300両だ」、「あ~、儲かったね。嬉しいね。これからは音の出る物に限るね」、「そうだ。今度は半鐘を買ってきて叩くんだ」、
「半鐘はイケナイよ。おじゃんになるから」。

(この項、「」HP 第237話 落語「火焔太鼓」http://ginjo.fc2web.com › kaendaikoより)

落ちの「おじゃんになる」は、「予定したことなどが実現しないで、途中でだめになる。物事が失敗に終わる」こと。

江戸時代、火災の鎮火の合図には「しめり」といって半鐘をジャンと鳴らした。それから生まれた言葉で、意味は「火事が終わった」から「火事ですべてがだめになってしまった」と転じて用いられるようになったものという。

折り損のくたびれ儲け ・ 徒労に終わる ・ 無駄骨を折る ・ 水泡に帰する .・・・。

今度、亀有に来るそうです。

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