中国から伝わり、宮中行事となったのが「節句」の始まり。宮中行事であった5つの節句を、江戸幕府が一年のうちで特に重要な節目として式日(しきじつ)に定めたことで庶民の暮らしの中で根付いた。
※当時は旧暦(太陰暦)上の日にち。
今日は、「上巳」。上巳とは、3月最初の巳(み)の日という意味。「巳」は蛇。
※じっさい、今日の干支は「丙寅(ひのえとら)」。
1月7日=人日(じんじつ)、3月3日=上巳(じょうし)、5月5日=端午(たんご)、7月7日=七夕(しちせき)、9月9日=重陽(ちょうよう)という「五節句」の一つ。
「人日」を1月1日と勘違いしている人もいますが、1月7日が正しい日付。(1月1日は「元旦」として特別扱いに)。9月9日の「重陽」は日本では他の節句に比べて、なじみが薄い感じです。
※なお、今の暦(太陽暦)では3月3日・5月5日・7月7日は同じ曜日となります。
「上巳」は「桃の節句」とも。
同じように「人日」は「七草の節句」、「端午」は「菖蒲の節句」、「七夕」は「笹の節句」、「重陽」は「菊の節句」とも言います。
春らしい桃の花にちなんで、 上巳の日は「桃の節句」と呼ばれるようになりました。
桃には厄除け、魔除け、長寿のパワーが。花と言えば、中国では「桃」を指すようです。
『詩経』にある漢詩
「桃夭」(とうよう)=「若々しい桃」
桃之夭夭 灼灼其華
之子于帰 宜其室家
桃之夭夭 有蕡其実
之子于帰 宜其家室
桃之夭夭 其葉蓁蓁
之子于帰 宜其家人
桃(の花)は若々しいよ、 燃えるように盛んに咲くその花よ。
(その花のように若く美しい)この娘は今お嫁に行きます。 きっとその家の人とうまくいくでしょう。
桃(の実)は若々しいよ、 はち切れるようなその実よ。
この娘は今お嫁に行きます。 きっとその家の人とうまくいくでしょう。
桃(の葉)は若々しいよ、 盛んに茂るその葉よ。
この娘は今お嫁に行きます。 きっとその家の人とうまくいくでしょう。
※嫁いでいく娘の幸福を願う庶民の素朴な感情を歌い上げたもので、代表的な祝婚歌として知られています。高校の古典の教科書では、定番のはず。
次の歌は、『万葉集』中、大伴家持の歌。
春の苑 紅にほふ 桃の花 した照る道に 出で立つをとめ
そして「ひな祭り」。
ひな祭りの歴史は古く、その起源は平安時代中期(約1000年前)にまでさかのぼります。
その頃の人々は、三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、無病息災を願う祓いの行事をしていました。陰陽師(おんみょうじ・占い師のこと)を呼んで天地の神に祈り、季節の食物を供え、また人形(ひとがた)に自分の災厄を托して海や川に流すのです。
また、その頃、上流の少女たちの間では“ひいな遊び”というものが行われていました。ひいなとはお人形のことです。紙などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、いまの“ままごと遊び”でしょう。このことは紫式部の『源氏物語』や、清少納言の『枕草子』にも見られます。
長い月日の間に、こうした行事と遊びが重なり合って、現在のようなひな祭りとなりました。
上巳の節句が三月三日に定まったのは、わが国では室町時代(約600年前)頃のことと思われます。しかし、この頃から安土・桃山時代にかけては、まだひな人形を飾って遊ぶ今のひな祭りとはかけはなれた、祓いの行事の日でした。この日が華やかな女性のお祭りとなるのは、戦国の世が終り、世の中が平和になった江戸時代からのことです。
江戸初期の寛永6年(1629)、京都御所で盛大なひな祭りが催されました。この頃から、幕府の大奥でもひな祭りを行うようになり、やがてこの習慣は上流から町民へ、大都市から地方へと大きく広がっていったのです。
そして江戸中期には、女性たちばかりでなく、女の赤ちゃん誕生を祝う初節句の風習も生まれて、ひな祭りはますます盛んとなりました。江戸市中には雛市(ひないち)が、日本橋十軒店(じゅっけんだな・いまの室町)や浅草茅町(かやちょう・いまの浅草橋)など各所に立って大変にぎわいました。またこの頃から附属のひな人形やひな道具の種類も多くなり、かなり贅沢なものが作られるようになりました。幕府はひな人形の華美を禁じるお触れを再三出しています。
明治に入ると、新政府は従来の節句行事を廃止して新しく祝祭日を定めました。節句行事は一時衰えますが、しかし、長い間人々の生活に根を下ろした行事は簡単になくなるものではなく、やがて復活します。こうして上巳、端午、七夕など子どもに関係深いお節句は、いまも民間行事として盛んに行われています。
(この項、「人形辞典」HPより)
以下は「中山道」を歩いた時の記録から。
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鴻巣にある「広田屋」さん。ちょっと店内へ。
お店の方に許可をもらって、写真を。ゆったりとしたスペースの店内には、ひな人形がズラリ。15万、20万円(それ以上の)というひな人形に「売約済み」の印がいくつも。
「鴻巣」は江戸時代から受け継がれているひな人形のふるさと。関東三大ひな市(鴻巣、岩槻、江戸日本橋十軒店)の一つに数えられ、特に着物に着付けでは関東一と評判だった、とか。江戸から明治の「鴻巣雛」には鳳凰の刺繍が施され、女雛の手を出さないものが多いようです。着物の生地は京都西陣から買い付けいていました。
明治になると「県内では越谷6軒、大沢3軒、岩槻3軒、に比べて、鴻巣の人形業者31軒、職人300人」という記録があるほどの活況ぶりでした。
「鴻巣の古今雛」。西陣の生地による鳳凰の刺繍。
初期の頃の「鴻巣雛」。
そこで、鴻巣市ならではのイベントを紹介。
(HPより)
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ひな祭りの料理の定番は、「ちらし寿司」と蛤のお吸い物。
また、「白酒」。白い見た目からも、甘酒と混同されていることが多いようですが、その成分や製法は全く異なります。白酒は、みりんや焼酎などに蒸したもち米や米麹を仕込み、1ヶ月程熟成させた醪をすりつぶして造られたお酒のこと。(「暦生活」HPより)
孫娘も高校生なので今さら「ひなあられ」でもないでしょうし、白酒というわけにもいきません。
当方は、日本酒で一杯! ではなく、「一番搾り」で乾杯(自分に)!
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