おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

1945年~2005年

2005-01-05 15:23:25 | 平和
 今年8月15日は、日本がアメリカをはじめとする連合軍に無条件降伏してから60年目を迎える。節目を迎えるたびに戦後論が盛んになる。しかし、10年前に比べて、戦後総決算の立場からこの戦後60年間は、日本人の心を失いつづけた時代であったかのような論調が目立つ。
 これは、現憲法を占領軍からの押しつけ憲法として、そうした憲法には従うこともない(靖国参拝がその典型)、と徹底的に憲法を国民の生活・暮らしに生かすことを拒否してきた連中が、今や我が世の春を迎えて跋扈しはじめたかのようである。
 憲法改正を悲願としてきた人々が、いよいよその願いを実現させようとする勢いである。自民党結党50年の今年こそ、党是として掲げる「憲法改正」の道筋を何とかしてつけておきたいという思いがひしひしと伝わってくる。
 だから、亡霊の如き中曽根が、我が意を得たりとばかりにマスコミに登場している。まさに切っても出てくる芝居の幽霊である。コイズミは、「郵政民営化」を自分の花道としたいので、憲法問題については、二の次としているようだが。
 その中曽根らの尻馬に乗って、靖国神社参拝がなぜ悪い!お国のために尊い生命を失った人への感謝の心を持つことは、日本人として当然の心情だ!読売、サンケイ、8チャンネルなど、言いたい放題の状況である。
 今や、「保守」とは第九条を誇りとして現在の憲法を擁護する立場の、頑迷な時代遅れの連中だといわんばかりである。
 彼らは言う
「これほど人心が乱れてきたのは、教育勅語などで示された日本人古来の道義を失って、アメリカなどの欧米の思想にかぶれしてしまった結果だ」
「一国平和主義になってしまったのは、憲法第九条のせいだ、北朝鮮や中国が狙っている我が国への武力攻撃に対して、何の脅威も感じないのは、平和ぼけのせいだ」
「靖国神社にA級戦犯を合祀してなぜ悪い、日本の伝統と国体を身をもって守ってくれた尊い方々だ、そもそも、東京裁判こそナンセンスだ」
 彼らには、今日までの戦後60年、わが日本は、「日米安保条約」直接的にはアメリカの核に身も心も依存し、日本人としての気位も失い、自分たち・国家の安全が保証されてきたにすぎないという、「自虐的」な発想が根底にある。それでいて、彼らは、これからの日本のあり方、行き方を日米関係重視の上に立って、アメリカとのより緊密な軍事的同盟関係(日米安保を対等的関係へというが)の構築に結びつけている。これは見逃せない、重要な視点だ。
 だから、憲法第九条「改正」も日米軍事同盟の強化路線から、アメリカ軍との軍事共同行動をとることを第一義としている。「アメリカ占領統治による押しつけ憲法」を「アメリカと軍事的一体化を図る目的で改正しよう」とすることに、何のおかしさも感じない。本来の愛国主義者なら、かつての右翼の闘士(?)の赤尾敏のように「反米愛国」を叫ぶべきなのに。
 かつて「NOといえる日本」で日本の政治家たちのアメリカ追従姿勢を厳しく批判した、かのイシハラをはじめ誰も、黙として反米を語らない。そこには、彼らなりの国際政治情勢分析の上に立った深謀遠慮はあるにしても。
 さて、政治・経済・教育など様々な分野での混迷はどこから来ているのか、戦後の日本の歩みから必然的に生み出された結果なのか。惰弱な平和憲法のもとで安逸に過ごしてきた、国民が招いたものなのか。これこそ、NO!である。現在の政治・経済・教育への国民的批判を逆手にとって、国を誤った方向に導くのは、きまって反動的な政治家たちである。
 最近、ある方が「明治維新(明治新政府)の素晴らしい思想・実践は日清・日露を経て、国際的に次第に実力をつけてきたが、それがあだとなり、60年後、すなわち昭和に入ってその理念は全く別のものになってしまい、ついに国を滅ぼした」と話しているのをそばで聞いていた。市井の人でも分別のある方はいるのだなと思った。
 戦後60年。この間、日本が戦争当事者になることもなく、日本人兵士が一人も戦場で生命を失うこともなかった。また、国民が直接、戦争の犠牲になることもなかった(戦場・イラクなどでの犠牲者はいたが)。この歴史は、世界に大いに誇れる事実である。
 この歴史の原点は、まさに1945年、「大日本帝国」の敗北と、その敗北・国土の荒廃の中、「日本国」民一人一人の蘇ろうとした必死な姿と、それを可能にした現憲法の存在である。
 かつての日本を滅ぼしたのは、軍部と官僚、政治家たちであった。その思想的バックボーンは天皇制であり、国家神道であった。そして、国民は、情報・思想操作によって次第にその動き・体制をよかれと迎え入れた。「大東亜戦争」では、戦場での戦果が報道されるたびに、小躍りし、歓喜して讃えた。戦況が悪化しても、その事実を信じようとはしなかった。
 1945年8月15日。
 終戦の玉音放送を聞いても、いよいよ本土決戦だと思った人も多かったのである。それは、見事な思想統制であった。
 今、「憲法改正」「教育基本法改正」「靖国参拝合憲」・・・蠢き始めている動きが目指す国家思想の基本形は、かつてのような天皇制でもなく国家神道でもない。ネオコン!はたしてアメリカ並みの存在が? それは、定かではない。だから、かえって、底知れぬ不気味さを感じるのだ。
 軍事同盟である「日米安保条約」を「日米平和条約」に変え、米軍の日本駐留をゼロにする、北朝鮮との国交回復、平和実現のためにアジア諸国との協力・共同関係の樹立など、まだまだ日本と東アジア、世界の平和の確立のために、日本がとるべき政治的課題は山積されている。
 今回のスマトラ沖地震・津波(アジアン・ツナミ)での救援・災害復興などに日本をあげてどう取り組むか、今後の日本の進む道にとって大事な試金石だ。アメリカの軍事産業体制のようになっていくのか、それとも平和・復興をめざした産業を起こすのか。
 アメリカに軍事も産業も追随して、けっしていいことはない。
 敗戦の日から60年目が、2005年8月15日である。
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