店員が「こんにちは、いらしゃいませ」と声をかけようが、無言で聞き流すことに慣れた自分が海外に行くと しばらくの間は戸惑う。
日本というかアジア以外の国のスーパーのレジでは、店員の目を真っ直ぐ見て、「こんにちは」と声をかわさないと、怪訝な顔をされることが多い。
『スーパー、コンビニ、ファースト・フード店、その他もろもろの商業施設では「店員だけが」紋切り型の挨拶を並べ、
客はそれを「ロボットの言葉」として無言で聞き流すことに日本人は慣れてしまった。
お互いの均一性・同一性が高くない国では、非人間化された空間でもヒューマン・コミュニュケーションを重視して、それが文化的な意志になっている。
いまだにフランスではコンビニがないらしい。しかも自販機というのは治安の悪さもあって極端に少ない。
では、フランスのこの二つの便利施設の不在はなにを物語っているのだろう。
都市景観への配慮?それもある。アメリカニズムへの抵抗?それもある。しかし、本当は、放っておけば極端化する「面倒くさいことは嫌いだ」という
人間の本性に対する強い警戒心が働いているからではあるまいか?
日韓同時開催の2002ワールドカップで日本代表チームの監督をつとめたフィリップ・トルシェは、
監督を辞するに当たって、「コンビニと自販機がある限り、日本サッカーは強くならない」という言葉を残したと伝えられる。
「面倒くさいことは嫌いだ」を国是としてきた戦後日本。このトルシェの警告をもっと真剣に受け止めるべき時がきているのではなかろうか?』
☝ 2009年5月19日日経コラム・プロムナード。「ボンジュール!」鹿島茂、を省略・リライト。
◎ ♪トルシェがそんなことを言っていたとは知らなかったぞ。しかしあの中田がイタリアチームに所属していたとき、居心地はどうすかと、
日本のプレスに質問されて、「な~んも不満はないけど、町にコンビニがないのだけがかなわない」と答えていたのが印象に残っている。
トルシェ元監督が解任された腹いせか何かしら知らないが、今後を含めて日本から「コンビニと自販機」がなくなる訳がないのを知った上で、
こんなセリフを残すとは、ったく生意気至極・傲岸不遜・無知蒙昧のお雇い外国人ではありませんか!
しかし相手をロボット化して暮らしているうちに、自分も相手からロボットとあしらわれ、最近ロボットが周囲に漸増しているような気がないでもない。
まさにロボット先進国日本なのかも。ただでさへ世界ダントツで、生産現場のロボット使用が多い日本は、そのうち町を歩く普通の「くにたみ」も、
外見だけではお互いがロボットか人間かわからなくなり、判別センサーを持ち歩く日が近いのでしょうか。いやだなあ・・。
ロボット、コンビニの話は、いろいろな事を思い出させます。 日本元気な時、海外から、記者が取材で来ました。ロボットや、ラインに人の名前があるのは、何故だとよく聞かれました。
ベルトコンベアーすら、ベルちゃんとか、特にロボットは、愛ちゃん、三吉とか 機械を人間扱いしていたのは、
日本人がまだ、機械を愛していたからでしょうか? 以前にパリでコーヒーの自販機はって聞いたら、カフェに行けと言われました。 コンビニは、生活、人関係を激変しましたね。中国では、便利店と言うのでしょ? 日本人は、ディベートの教育が無いのは、先が心配です。指字ではね?
先日、結構流行っている「廻る寿司店」に寄ったのですが、一言もしゃべらずボタンを 押すだけで食べて、飲んで、支払いを済ませました。
「たまや」は宣伝もせず、パンフレットも作らず、おあいそうも言わず… ただ、味だけでやってるらしい・・・
自販機や ATM が巷にあふれ,“もの言う機械”に“返事をしない”習慣が身に染みこんだようです。 その自動機があくのを待って並んでいる人に対し,“日本人の美徳”である「お先に」とか,せめて「どうも」という言葉がでなくなりました。
せめて“会釈”だけでもと思うのですが。 えぇ,ちかま は 70数年 日本人をやっていますので,必ず実行しています。
ちかまさん、コメントありがとうございます。 私もゴミだしなどで初めて顔を合わせるご近所の方々に、 こちらからお早うございますと会釈するように努めています。 時に怪訝そうに知らぬ顔をされる方がいても、突然なのでビックリされただけだと思い、 めげずに続けようと思います。
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