「グラン・トリノ」は70年代にフォード社が製造したセダンの名車の名前である。
主人公のウォルト・コワルスキーは50年間フォード社の工場で組立工として働き、リタイヤーしてから連れ合いを亡くし、今はやもめ暮らしをしている。 彼の息子はトヨタ車の凄腕のデイ―ラーとして成功しているが、剣呑な父親の元に家族共々寄り付かない。
ウォルトが住む一戸建ての住宅地はアジア人が住みつきだしてからは、隣近所の元の持ち主は家を売り払って皆よその地に去った。
今や近所に昔の知り合いは誰もいない。隣に越してきた東南アジアの少数民族、モン族の一家とある事件を経て親しくなったウォルトは、
その家の姉弟を通じてモン族の移民たちと付き合いがはじまる。
そして朝鮮戦争に従軍して以来のアジア人蔑視の感情と他人に対する態度が変化していく。
年齢も人種も性別も越えてウォルトは隣家の姉、スーと人間としての心を通じ合わせ、お互いを信頼しあうようになる。
これ以上はネタバレになるので書けないが、ウォルトにとって一番大切な人が失った「人間としての尊厳」を取り戻してやるために彼は信じられない行動に出る。
彼女はウォルトが自分と弟のためにした行動を思い起こすたびに、それからの人生を自暴自棄にならずに、自尊の心を持って生きていけると思う。
そしてそれがウォルトの願いだと知ったと思う。
その場に臨むウォルトのゆるぎない覚悟(観客は後でそうと知るが)の姿勢は、あたかも悟りを開いた人のようだった。
映画が始まってしばらくすると、これは実話が下敷きになった映画だと思った。黒人のチンピラとのからみ、モン族のならずもの集団とのイザコザ。
モン族の一般人たちのパーテイ。それぞれの細部がリアルで迫真的な場面が続く。そして映画のラストを見て確信に変わった。
人間の頭の想像だけではこんな結末を考えることは出来ないと思った。プロダクションノートを読んだら、やはり脚本家の1人の実体験がベースになっていた。
この映画で感じたことはいろいろあるが、
☆自分が想像する以上に現代のアメリカには、普通の町にアジア系やアフリカ系の人間が暮らしている。
☆ライフルの乱射事件などで銃社会アメリカを意識はするが、こんなに簡単にチンピラやならずもの連中が誰でも、いろんな銃器を持てるとは!と驚くしかない。
自分の頭にある理想的社会のアメリカと、現実のアメリカ社会との幅が大きすぎて自分の理解を越える。
どんなに乱射事件で沢山の人が死のうと、アメリカライフル協会という存在が反対して米議会でも銃砲取締を強化する法案はつぶされる。
自分の命はお上に頼らず自分で守るという建国の理念を崩せないというが、豊臣秀吉がやった刀狩り以来、今も一般家庭に刀やライフルや拳銃を置けない日本とはやはり違う。
ある意味、日本で権力を持つ階層の自らを守る治安維持のためのエネルギーは、アメリカよりはるかに少なくてすんでいるとも言えなくもない。
☆妻の死と本人の死で2回、カソリック教会の葬式のシーンがある。映画「ミリオンダラーベイビー」でもそうだったが、この映画にもカソリックの神父が登場する。
アメリカでは日常の個人の生活に、宗教が今でもこんなに関与しているのかと前回も今回も思った。イーストウッドは、
おそらく今のカソリック界のありようを批判的に見ながらも、長年にわたり、もっともっと神父が教会が一般人に働きかけて、彼らの悩みに力を貸してやってくれと願っているように思える。
それにしても死者がその死を、他の誰でもないその人の個の死として扱われ、自国語で聖書の言葉を話されるアメリカ人は幸せだと思った。
聞いてもわからないいつの時代かの中国語でお経を上げられ、参会者の誰も、おそらくお経を上げる坊さんの大半も、
死者も、お経の言葉がわからないまま灰になるわたしら日本のくにたみ。
これでは身近にも、坊さんがいないお別れの集まりや、葬式が増えるのは当然のような気がするが、正直、この映画を見ていると、
日常の自国語で神父が死者を送り、宗教が社会生活の中で生きている姿を見るのは羨ましいと思った。
☆姉スーの役をやったアーニー・ハーも弟タオの役をやったビ-・バンもアメリカ生まれのモン族〔中国語ではミャオ〔苗族〕〕の人間である。
彼らの祖父母・両親はベトナム戦争でアメリカに協力したため、ベトナム戦争後亡命せざるを得なかったという。そんなことがあったのは初めて知った。
モン族のチンピラ連中をやった俳優も全てモン族系のアメリカ人を全米でオーデイションで選んだという。かれらの姿と顔を見れば全くわが知人たちや自分の若いときと変らない。
アメリカはアジア系の亡命者である彼らをこうして受け入れる一面も持っている。しかもキリスト教の一宗派が中心になって引取りに尽力している。
それにしても英語が喋れない祖母と母親は、子供を間に通訳に入れない限り、これから生涯暮らすアメリカのアメリカ人とコミュニュケーションが取れない。
自分が生まれ育った土地から途中で引き離されて、異郷で生きるのは大変なストレスだともあらためて思った。
参考:ウイキペデイアから。 (ここでいうミャオ族はモン族に同じ。モン族はミャオ族と呼ばれるのを蔑称とし、自らはモン族と名乗る)。
ベトナム戦争時アメリカ政府はインドシナの共産化を防ぐためCIAがミャオ族の一部氏族を雇い、パテート・ラーオと戦わせた。
ミャオ族の別の氏族はパテート・ラーオと共に戦ったので、同じ民族間でも戦った。ベトナムからアメリカの撤退後ラオスは共産化し、
米側についたミャオ族の数万人がタイ領内に流れた。
ベトナム戦争が終わると、アメリカ軍に協力していたミャオ族が難民としてタイに流入した。アメリカ政府などが難民受け入れ発表し、
アメリカ合衆国、フランス、フランス領ギアナへ移住が行われた。現在まで、難民キャンプ生まれの者を含めると10万近く移住した。主な内訳は以下のようになっている。
アメリカ合衆国:40,000人以上 フランス:6000-8000人 中国:2,500人 オーストラリア:500人 カナダ:200人 アルゼンチン:100人
合衆国内ではカリフォルニア州、ミネソタ州、ウィスコンシン州などにコミュニティが存在する。2006年の調査では二世三世含め21万人がアメリカ合衆国に在住している。
◎ イーストウッドは04年の「ミリオンダラーベイビー」以来の映画出演だそうで、歩く後ろ姿に「ローハイド」のロディ・イェーツの面影は残るが、
79歳という実年齢が役柄のウォルトに重なる。イーストウッドはこの映画で映画俳優としての最後の登場になるらしい。同時代にこのような俳優を持てたのは幸せの一つだと思う。
イーストウッドのインタビューから〔一部省略〕 「このウォルト・コワルスキーというキャラクターは、私と同じぐらいの年齢だし、同じような性格だ。でも私はあそこまで気難しくはないし、
あのキャラクターほど、物事に対して否定的でもないよ(笑)。
でもどこかで、自分にも同じような感情がたくさんあることに気づいてもらえると思う。とにかくウォルトは誰とも何のかかわりも持ちたくないし、
自分と違うタイプの人間を特に嫌がるんだ。そこがこのキャラクターの面白いところで、彼はものすごく偏見に凝り固まった人間なんだが、
さまざまな人との関係を通して、そこから抜けだしていく。
「ウォルトは、自分の街から文化が消えていった様子にとても心をかき乱されている。大事な家族を失い、成長した子供たちとは仲が良くない。
そして、近所の変化も気に入らないんだ。彼はミシガン・デトロイト近郊で育った。おそらく彼と同じように、自動車産業に従事する人がたくさんいたはずだ。
また、彼のようなポーランド系アメリカ人の比率がかなり高い。だから、慣れ親しんだ街が(アジア系移民によって)様変わりしていく様子を見ると、彼は気が滅入っていくわけだ」
そんなウォルトの閉ざされた心を開いていくのが、彼の隣に越してきたアジア系モン族のロー一家。
「ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場」で、海兵隊の訓練を通じてアフロアメリカンやヒスパニック系の若者との異人種交流を描いたように、
本作でも再び異人種との諍いと交流を描いている。
「脚本のニック・シェンクが、以前働いていた工場にモン族の人たちが大勢いたんだ。そこで彼はモン族の人たちと知り合いになり、
移民である彼らを映画で採り上げるのはいい方法だと思ったわけだ。だからほかの民族文化を描いても良かったのかもしれない。
だが、私はモン族の人たちがとても好きで、彼らをとても尊敬している。
それに、彼らがこのプロジェクトに見せた熱意に対しても深い敬意を抱いているんだ。だって、『いや、映画なんかにかかわりたくない』と
あっさり断ることもできたんだからね。でも自分たち民族を映画で描きたいと思うほど興味を持たれたことを彼らはうれしく思ったんじゃないかな。
彼らはラオス、タイ、ベトナムの高地に住んでいた農耕民族で、たぶん朝鮮半島や中国にもいると思う。だが、彼らはそういう場所を離れ、
ある意味、独立した“国民”のようになった。皮肉なことでもあるね。というのは、そういう(移民の)若い世代は民族の言語を覚えないことが多い。
だが、この映画では若者全員が英語とモン語の両方が話せる。だから、彼らはアメリカの中でさえ、一族の中で言葉を受け継いでいるんだ」
「映画の中で、ウォルトのセリフに、『俺は、甘やかされた、性根の腐った我が子よりも、この人たちともっと共通点がある』というのがある。結局はそういうことだ。
大きな点をひとつあげると、彼の子供たちは離れたところで好きなことをやっており、孫たちはじいさんが死ねば何を相続できるかということにしか関心がない。そこに尽きるね」
|