阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

8月19日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年08月19日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近くの図書館で 孫が絵本展に出した絵をみてきました。

2022年08月19日 | 身辺あれこれ

兄妹が参加した「読んだ絵本の表紙絵を描く」展の絵が図書館に掲示されていました。参加者の画は全員が掲載されます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神御影のレストラン“瑠美”でランチにしました。     + 詩人 八木重吉の詩。  10年前の今日 2012年8月19日の本ブログに掲載

2022年08月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

13日、お寺に盆参りをしたあと、阪神御影に向かいました。「御影クラッセ」とパンの「ケルン」で買い物をして、西洋食堂“瑠美”で
昼食をとりました。私は『チキンキエフ』↑をオーダー。皿が置かれるとガーリックの香りが立ち上ってきました。
本日のスープはグリーンピースのスープでした。おいしい。


エビフライカレーを相方は頼みました。この店のエビフライは目玉メニューでどんな料理にも一つ250円でサイドオーダーも出来ます。

カレーは野菜だけのとろみを感じ、スパイスの香りが効いていておいしかったそうです。
 暖かいパンも冷たいサラダも適温で今回も満足して店を出ました。




2012.08.12 ~ 2012.08.18
閲覧記事数:   13022 PV
訪問者数:     2322 IP
アクセスランキング:1990 位/1,752,867ブログ(goo)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2012年5月26日掲載のエントリーから一部引用⇒

何の気なしに箸袋を見て驚きました。ビルの名前が「御影師範ビル」なのです。このビルは建て替えはあったのでしょうが
隣接地に「御影師範」があったときからのビルなのかも知れません。御影師範は大正時代、詩人の八木重吉が 先生をしていました。

客の回転に合わせてホール係の女性二人もキビキビと動き、気持ちがいい。
久しぶりのエビフライはさすがの味で、たくさんの客がオーダーしているのも納得。ミンチカツも更なり!でした。
そして嬉しいのは焼きたてのパンの旨さとスープの旨さです。


神戸に住む幸せの一つにどんな洋食屋さんでもうまいパンをサーブしてくれることがあります。

パンとケーキが普通の値段でも、どこの店でも味は一定以上のレベルというのは神戸のありがたいところです。

☆Wikipediaから一部引用

八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日 - 1927年10月26日)は日本の詩人。

「東京府南多摩郡堺村(現在の東京都町田市)に生まれる。神奈川県師範学校(現・横浜国立大学)を経て、東京高等師範学校の英語科を1921年に卒業。

兵庫県の御影師範学校(現・神戸大学)、次いで1925年から千葉県の柏東葛中学校(現・千葉県立東葛飾高等学校)で英語教員を務めた。

神奈川県師範学校在学時より教会に通いだすようになり、1919年には駒込基督会において富永徳磨牧師から洗礼を受けた。1921年に将来の妻となる島田とみと出会う。

この頃より短歌や詩を書き始め、翌年に結婚した後は詩作に精力的に打ち込んだ。1923年のはじめから6月までにかけて、自家製の詩集を十数冊編むほどの多作ぶりであり、

1925年には、刊行詩集としては初となる『秋の瞳』を刊行した。

同年、佐藤惣之助が主催する「詩之家」の同人となる。この頃から雑誌や新聞に詩を発表するようになったが、翌年には体調を崩し結核と診断される。

茅ヶ崎で療養生活に入り、病臥のなかで第2詩集『貧しき信徒』を制作したものの、出版物を見ることなく、翌年、29歳で亡くなった。

5年ほどの短い詩作生活の間に書かれた詩篇は、2000を優に超える。」


   太陽

 太陽をひとつふところへいれてゐたい
 
 てのひらへのせてみたり
 
 ころがしてみたり
 
 腹がたったら投げつけたりしたい
 
 まるくなって
 
 あかくなって落ちてゆくのをみてゐたら
 
 太陽がひとつほしくなった

    雨

 雨のおとがきこえる

 雨がふっていたのだ

 あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう

 雨があがるようにしづかに死んでゆこう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現生人類は7万年前にわずか2000人に減少

2022年08月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年06月09日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

人類は7万年前に絶滅寸前、全世界でわずか2000人    引用元

2008/4/25 17:54 -

人類は7万年前に絶滅寸前の状態にまで追い込まれていたことが24日、イスラエルと米国の研究者を中心とする国際研究グループが

米学術専門誌「American Journal of Human Genetics」に発表した論文により明らかとなった。

 米ナショナルジオグラフィック協会などの複数の研究機関が中心となって主導されてきた「ジェノグラフィック計画(Genographic Project)」という遺伝学的に

人類の足跡を時系列的に遡って調査していこうとする研究プロジェクトの成果として、今回、研究発表が行われたものとなる。

◎ 自分が今ここに居て、パソコンのキーボードを叩いているという事は、その当時のわずか2000人の現生人類から、一度も途切れず自分まで生命がつながってきたと言う事らしい。

「それが何か?」とも思えるし、「やっぱり人類、増えすぎと違うん」とも思えるし・・・。

 かって地球上に存在した脊椎動物の中で、一つの種の個体数が66億を越えたのは初めてのことらしい。

大昔、地球上をのし歩いていた、あの大型の恐竜たちも種としては凡そ6千5百万年前に絶滅して(鳥類に変化して生き延びたが)、

いま化石として掘り出され博物館に展示されている。いずれ将来、このまま数が増えすぎると、現生人類もウイルスの蔓延かなにかで滅び、

生き延びたゴキブリが作る博物館に化石として展示されるのかも。

 ジェノグラフィック計画ではミトコンドリアDNAを用いることにより世界中の人類の母方の祖先の遺伝子を個別に追跡。

その結果、現在の人類は20万年前にアフリカに住んでいた「ミトコンドリア・イブ(mitochondrial Eve)」と呼ばれる1人の女性に起源をもつこと、

人類は6万年前にアフリカから世界各地に散らばる旅にでることにより多様性を獲得し、現在に至る隆盛の基礎を築いたことなどが判ってきたが、

20万年前の「ミトコンドリア・イブ」の起源から6万年前にアフリカから旅に出るまでの間にアフリカで起きた人類の歴史に関してはほとんどなにも判っていなかった。

 今回、ジェノグラフィック計画で新たに明らかとなったのは、20万年前の「ミトコンドリア・イブ」以降の人類がアフリカで辿った歴史の道筋となる。

 イスラエル、テルアビブ大学のドロン・ベハール博士とIBMのワトソン研究所のシャハロン・ロゼット博士を中心とする研究グループは

ジェノグラフィック計画で集められたミトコンドリアDNAを更に詳細に分析を行うことによりアフリカ南部に住むコーイサン族(Khoi-san)が

15万年~9万年前に別の種族から遺伝子的に分離していたことを発見し、遺伝子的に初期の人類がアフリカ大陸内で

どのような移動を繰り広げていたのかを詳細に明らかにすることに成功した。

 アフリカ東部では13万5000年~9万年前に干ばつに襲われたことがこれまでの調査で明らかとなっており、研究グループでは人類はこの干ばつの結果、

人数的に少ない集団に分離することを余儀なくされ、少数の集団に分離した人類は7万年前には絶滅寸前の状態にまで個体数が激減。

しかし、絶滅の危機をなんとか生き残った人類は再び集団を作り、他の大陸への移住を試みることで人口は拡大し、現在に至る繁栄の基礎を作ったと推論している。

 今日の人類の人口は66億7000万人にも及んでいるが、研究グループでは、これまでの研究成果を総合すると人類は「ミトコンドリア・イブ」を

含む数百名の集団を起源にアフリカ内で拡大を進めたが、15万年~9万年前に別の種族に分岐した後は気象変動のため人口は減少し、

7万年前には一時、約2000人未満の集団にまで減少したのではないかと述べている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月18日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年08月19日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

【ソウル共同】ソウル中心部で18日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の日本人信者らが、日本での旧統一教会を巡る報道が偏向的だと抗議する大規模デモを行った。

警察関係者によると、約3500人が参加。合同結婚で韓国に嫁いだ日本人女性が中心で、韓国各地から集まった。

 朝鮮時代の王宮でソウルの観光名所である景福宮前での集会では、安倍晋三元首相を追悼する祈りも行った。

参加者は、安倍氏の銃撃事件後、旧統一教会が日本で「社会的魔女として追い立てられている」などと主張。

「歪曲報道、宗教弾圧を中断しろ」とのシュプレヒコールを繰り返した。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする