阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

10月22日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年10月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年09月22日(火)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2023年10月23日 | 東日本大震災ブログ
2011年09月22日(木)
 
東電はただいつもの通り社内規定通りに事務的に書類を作っただけ。
 
☆東電の常識は世間の非常識、世間の常識は東電の非常識、という大企業によくあることが起こっただけだが、この未曽有の事態にも、
 
東電社員の役員からヒラまでこんな書類を世間に出したら、どんなことになるかという感覚が絶無だということが恐ろしい。

 殿のいうことは藩民は黙って聞くものじゃ!!多少なりとも弁償してもらえるだけでもありがたいと思へ!

は~つ、ありがとうごぜいますだ、ご家老様。

それって時代が違うような気がするけど・・・。大人しい領民たちが、電力会社や霞が関のお役人さまという現代のオサムライさまたちをつけあがらせているツケかなぁ。☆

東電賠償請求書に経産相「あぜん」、改善要求へ

読売新聞 9月20日(火)18時47分配信

 枝野経済産業相は20日、東京電力福島第一原子力発電所事故の賠償請求手続きについて、「分厚い書類でひんしゅくをかっている。
 
私もあぜんとした。東電を厳しく指導したい」と述べ、東電に請求方法の改善を求める考えを示した。福島復興の要望で経産省を訪れた東北経済連合会の高橋宏明会長との会談で述べた。

 東電は今月、被害者向けに請求書類一式を発送し、社員による説明会も始めた。ただ、東電の賠償請求書は60ページで、
 
記入方法を説明した「補償金ご請求のご案内」は156ページに及ぶ。過去の給与明細やホテルの領収書などの添付も必要で、請求書以外にも「同意書」などの必要書類が複数ある。
 
専門用語も多く、高齢者などから戸惑いや不満の声があがっている。 .
 
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内田樹の「多数派であることのリスクについて」
 
一部引用・・

「強いられた政治的意見」は「自発的な政治的意見」より歯止めを失って暴走する傾向が強いことを案じているのである。
 
歴史を振り返るとわかるが、「強制された政治的意見」を人々は状況が変わるといとも簡単に捨て去る。

後になって「ほんとうは反対だったのだが、あのときは反対できる空気ではなかった」という言い訳が通ると思えば、
 
人はどれほど過激な政策にも同調する。私が恐れるのはそのことである。

あからさまな強制は、それに屈服した人たちに「説得力のある言い訳」を用意してくれる。その「安心」が人を蝕む。

全文はこちら
 
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20110917 フクシマの衝撃 ~フランス・揺れる国境の原発」
 
投稿

NHK「ドキュメンタリーWAVE」より。福島第一原発の未曾有の事故が、世界に衝撃を与え続けている。

電力の80%近くを原発で賄うフランスも例外ではない。ドイツ・スイスとの国境近くにあるフェッセンハイム原子力発電所の地元では、

これまで原発容認で一枚岩だった周辺自治体の議会が、相次いで閉鎖を要求する決議を可決、反原発運動が活発化している。

「フクシマの衝撃」は、原発大国・フランスの人々の意識をどう変えようとしているのか?国境の原発をめぐる動きを報告する。
 

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10月21日、利根川の河原で「SAKAEリバーサイドフェスティバル」が行われた。 フィナーレは花火大会だった。

2023年10月22日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町の住人Kさんから秋の空に見事に上がった花火の写真が送られてきました。

⇒利根川の河原でリバーサイドフェスティバルが行われフィナーレは花火大会だった。

対岸の茨城県側の河原から打ち上げられ、自宅から見ることができた。

数年前までは夏に行われたので夕涼みがてら利根川土手まで行って写真を撮っていたが、

この時期だと土手まで行く元気が出ない。

 

 花火の写真はカメラを三脚で固定して数秒ほど露出すると打ち上げから開くまでの間の

写真が撮れるが、今回は望遠レンズで手持ちで撮影したので手振れしないようにISO感度を

上げて露出時間を短くしたので花火が開いた瞬間しか撮れていない。

  それでも花火の雰囲気が出ている写真になった。

 今年の花火

10年前利根川土手より撮影

Kさん 秋の花火もいいですね。日本の花火の発色の良さとデザイン構成のユニークさは世界で感歎、賛美されていますね。

海外の花火師が負けを認めた…カナダで打ち上げられた日本の花火に大絶賛の声が殺到

静かだった会場が大歓声に…日本の花火師が打ち上げた花火にドイツ人が大熱狂!

 

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天体力学が思想家に与えた負の影響、あるいは格差問題の本質

2023年10月22日 | ゲストルーム
 

『現在でも、天体力学で数値計算か特殊な方法を使わずに三体以上の物体の間の運動を計算することは困難である。

 しかし太陽系では、太陽の引力その周りをまわる惑星の引力にくらべて格段に大きいので、各惑星の動きは互いに独立に扱うことができる。

これによって、300年前の天文学者たちは、太陽系の惑星の運動をまがりなりにも単純な数式ひとつで解き明かすことができた。 

太陽系では放っておいても各惑星は安定した軌道で太陽のまわりを周回し、その速度や距離などは一定の幅で増減しながら大きな秩序を作っており、それが数十億年の間繰り返されている。

 この太陽系の見かけの調和した運動は、当時の思想家たちに大きなインパクトを与え、その結果、彼らに、神の作った天体が調和をもって運行されているということは、

この調和こそが地球上の世界そのものなどを解き明かすための究極の鍵であるとの錯覚を抱かせてしまった。

 これをハーモニック・コスモス信仰という。

ハーモニック・コスモスという考えを社会に適用すると、神の手によって、物事は放っておけば自然に一番安定した秩序を作るという考え方になる。

(工学ではこれをフィードバックシステムが効いているという。) これは自由放任が一番よいという思想になる。

そして、世界が太陽系の調和にもとずくという考え方はまた「社会の一員たる個人は各自が願うものだけを求めて自由に行動する権利がある」という考えにもなる。

 なぜなら、太陽系においては各惑星の動きはどれか一つの軌道を多少変更しても全体への影響はほとんど無視できる、すなわち、

各惑星は自由な軌道変更を選択する権利を有していると言えるからである。

他の世界の人間社会にとって、幸か不幸か、アメリカ大陸は「自由主義と個人主義」を旗印とする無頼漢たちを、無尽蔵の資源と広大な天地をもって迎えた。

彼らの前に立ちはだかるのは自然だけで、もっと手ごわい従来からの歴史や、文化は存在しなかった。 すなわち、自然とあわれな先住民を征服するだけで、

あとは望むものをすべて手に入れることができたのである。

アメリカはその蓄積した富と強烈な力をもって、強大な国となり、世界の他の社会に経済システムに関するイデオロギーを押し付け始めるにいたった。

 他の世界は彼らに抗すべくもなかった。

世界や宇宙が基本的に太陽系型であるという調和的太陽系(ハーモニック・コスモス)信仰が正しいとすれば、

個人絶対主義も市場万能主義も最も宇宙の摂理に適ったことだということになり、その障害となるものは「悪」だということになるだろう。

自然に抗した彼らの努力の一例は60年代の緑の革命であり、世界の他の社会に抗した彼らの努力のもう一つの例は貿易自由化をやれとの圧力であろう。
 
 この例からしても、米国人たちの異常な自由主義・個人主義への思想的こだわりも納得が行く。すなわち、彼らは無意識のうちにすべてを太陽系型に改造しようとしてきたのである。

 ここで話題を経済にしぼる。 健全な社会状態とは、社会の各部に相互依存の糸が緊密に張り巡らされた状態である。

一方経済社会を太陽系型に近づけていくことは、要するにそれらの糸をどんどん切ってその経路を単純化していくことに他ならない。

 商店街の壊滅を例にとろう。

昔は町の経済は商店街が担って地域社会と二人三脚の形で街を支えていたのだが、現在では多くの場合、巨大店舗がその経済機能をまるごと奪い取る形で商店街を壊滅に追い込んだ。

このとき全体が都心に本社のある大企業と住宅地の消費者という直線的な関係に変わっているが、これは、まさに太陽系型への変貌であることがわかる。

 もっともこの場合、確かに地域社会は壊れているが、その一方で大企業の側は空前の売り上げを達成して数字の上では経済活動全体は活気づいているため、

結局はその良し悪しは相対的だとの理屈をいう人も多い。

しかし、実はこのとき変化の前と後で系全体が一段階縮退しているである。大体においてサービス業の隆盛は家族の崩壊と同時に進行する。

どうやら一般に「自然と社会を劣化(縮退)させるとその過程で儲けが生まれる」ということが言えるようだ。

つまり資本主義は無から豊かさを生み出していたわけではなく、実は自然と社会を劣化(縮退)させてそこから儲けを搾り出していたのだ。

 そのようにして縮退が始まると、もはや安定的な復元が起こらず、そうやって育った大勢力が一方通行的に巨大化していく。

要するに勝ち組と負け組の差が指数関数的に拡大して前者が後者を凄まじい勢いで食い殺して行ってしまう。これこそが格差問題の本質である。

(工学ではフィードバックがきかなくなったという。)

 通常、弱小勢力の間の相互依存関係は一種の毛細血管を作っていて、そこを資金がくまなく流れることで健全な社会が維持されている。

ところが縮退が進むと、社会の中の資金の流れが次第に巨大企業と巨大機関投資家の間だけで短絡した経路を作って、その狭い世界の中だけを高速で回転するようになり、

血液が回らなくなったその外側の世界はだんだん壊死していく。

話はそれで終わりではなかった。それは、そのようにして勝ち組の中だけを回り始めた巨大マネーの流域はさらに狭く縮退していき、

もはやモノを作ったり買ったりする世界自体を外側に取り残してさらに内側のコア、つまりコンピューターの中の瞬間的な売買で自己増殖を行なえる

投機市場の世界の中だけを回り始めてしまったのである。

 いわば劣化(縮退)の重力場が世界中の富をブラックホールのように狭い領域に吸い込んで超高密度に凝縮させ、最後の段階で無意味に自己増殖したマネーの総額は、

世界経済の本来のサイズの実に数倍に膨れ上がっていた。

その内部は基本的に「神の手」の自動安定機構とは正反対の指数関数的世界で、そこに吸い込まれた世界の富は皆その性質に染まり、

そしてそれまでの全ての錯覚の終曲のように、それは最後に自身を超新星のように大爆発させ、すでに半ば壊死していたその外側の世界をも爆風で襲って世界の全ての人々を巻き込んでしまった。

ところで、1990年代の後半サンタフエ研究所での複雑系の研究者たちは、いくつかのシミュレーションで、システムが急にフィードバックを失い、

発散して、カタストロフィーをおこす可能性が多いことを予測していたにもかかわらず、社会に警告を発しなかったのは何故か?

 それは、彼らがすでにブラックホールからの魔の手にからめとられてしまったからだ!!!』

☆本論考のほとんどは『物理数学の直感的方法』の著者、長沼伸一郎さんの同著における意見ですが、新居浜市民 上出拓郎さんの要約です。

☆之を読んで思いました。長沼さんのヨミでは、今の経済と社会の一方的な崩壊への方向はもう変えようがない?


どうやら「ああ、ほうかい」と言っている場合ではないようです。

 (2009年に上出さんから送って頂いたものです。再掲載)

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10月21日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年10月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年09月21日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2023年10月22日 | 東日本大震災ブログ
2011年09月21日(水)
 
14歳の姫路の公立中学生「藤波 心」のブログから 
 

ココロはスッポンポン\(゜□゜)/ ~夏休みを振り返る編~

一部引用・・

ところで話は変わりますが、一つ興味深い話があってぜひ皆さんにお伝えしたいので書きます。

まえ、一青窈さんが鳥取でコンサートされたときにオフの時間に、周辺の町に観光に行かれたそうなんです。

で、益田市の万福寺というお寺に行ったところ、親子のしゃれこうべ(頭蓋骨)が祀ってあったそうなんです。

このしゃれこうべのいわれは、「万寿の大津波」で流されて死んだ親子らしく、

ある日、「この大津波の災害を後世に伝えて言ってほしい」と万福寺のお坊さんの枕元に親子の幽霊が出てきて、


言われた通りのところからこのしゃれこうべが見つかりお寺に祀ることになったそうです。

万寿の大津波・・・・今から約1000年前、

万寿3年5月23日(1026年6月16日)巨大地震と大津波が山陰石見地方を襲ったということです。

1000年前の災害とはいえ、まるで東日本大震災のような災害が山陰地方の日本海でも起こっていたんだということ、

そして、やはり1000年前にもこの親子をはじめ多くの方が地震と津波の犠牲になっていたということ・・・。

このしゃれこうべは、現代の私たちに、どうあるべきかを訴えかけているように私には感じられました。

もはやこういう大津波や大地震は想定外とかではなく、日本全国どこでも起こりうるポピュラーな災害であり、

またすでに今の日本は地震の活動期に入ったと指摘している学者の方も多いです。

こうやって過去の歴史を振り返ってみても、いままでいたるところで大地震と大津波が起こっている日本で、これからも、

原子力発電所を稼働し続けると言うやりかたは、あまりにも、教訓が生かせていない、まったく無謀な行為だといわざる得ません。

今度、またどこかで大地震が起こり、福島のような事故が起こったら、いよいよ日本にとっては、とどめの一撃になるでしょう。

経済がダメになるから原発は必要なんだといいながら、このままでは日本そのものが原発によってダメになってしまうと思います。

早急に、日本人は考え方、価値観を変えなければいけないときに来ているのだとおもいます。

日本はいま、沈没寸前の危機に立たされていると私は思う。


もう、船底に穴はあいている。

ただ、船体が大きいから、人々は、まさか沈没まではしないだろうとか、仮に船底に穴が開いていたとしても、

沈む前に誰かがなんとかしてくれるだろう、

直してくれるだろうと「誰もが」思って、パーティーを続けているようなものだとおもう。

危険を訴える人をヒステリーやポピュリズムと笑い、命よりも経済を優先させる手法は、やがてどんな結末を生み出すか目に見えている。

日本人の良い面でもあり、悪い面でもあるんだけど、おとなしい、飽きやすいというか、冷めやすい国民性?

メルトダウンした炉心が冷める前に、国民の関心の方が先に冷める国・・・。

ヽ(;´Д`)ノ

そういう国民性が今度はあだになり、日本の歴史にいよいよピリオドを打つかもしれない。

「誰かが何かそのうちやってくれるだろう」ではもうダメなんです。


心の中で、脱原発を支持していても、だまっていては、行動しなければ、原発を支えている加害者と同じです。

国・省庁に意見を言う、

市町村役場に意見を言う、

教育委員会に意見する、

食品を販売している企業に要望を出す、

国会議員・地方議員に要望を出す、電話をする、

デモに参加する。

小さいことでもいいんです。

小さな1滴のしずくが、水たまりになり、川になり、湖になり、

やがて海になるんです。

脱原発しなければ、次また第二の福島がいつ、どこに起こるかもしれない。

とめるのは今しかないのです。

全文はこちら

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福島第一 建屋に地下水大量流入か
 

福島第一 建屋に地下水大量流入か 収束作業に難題
2011年9月20日 07時06分 (東京新聞)

東京電力福島第一原発1~4号機の原子炉建屋やタービン建屋地下に、一日数百トンの地下水が流入している可能性のあることが分かった。

汚染水処理の実績などから計算すると、五万トン強まで減っているはずだが、実際には八万トン強も残る。東電も地下水流入の可能性を認めており、

地震で建屋地下の壁が損傷し、流入していることが考えられる。今後の収束作業に影響が出そうだ。 

 建屋からくみ出した汚染水の移送量や原子炉への注入量など東電が公表したデータを本紙が集計したところ、約十万トンあった汚染水は、

十三日時点で約五万千六百トンにまで減っているはずだった。

 しかし、実測の地下水位から東電が推計した汚染水残量の最新値は約八万千三百トン。移送量などから逆算した値とはほぼ三万トンの開きがある。

 東電はこれまで、汚染水がなかなか減らない理由を、雨水の影響と説明してきた。福島第一周辺では、七月以降の三カ月間に三回まとまった雨が降っており、

一部は屋根の損傷部などから建屋に流れ込んだとみられるが、水位の変動は小さく、三万トンの差を説明できるほどではない。

 建屋のひび割れなどから地下水が流入している可能性は、以前から指摘されていたが、あらためてその可能性が高まった。

東電に本紙の計算結果を示すと、「日量百トン単位でわき出ていると思う」との回答があった。

 地下水流入が事実なら、汚染水処理はさらに膨大な量になるばかりか、原子炉への注水量を絞る必要があるなど、

事故収束に向けてさまざまな影響が出ると予想される。

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20110918 原発事故への道程(前)1・・ ムラ幹部の内輪話
 

0110918 原発事故への道程(前) 投稿者 PMG5
ETV「シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論 」の前半部分。

広大な大地を不毛の地に変え、人々を放射能被ばくの恐怖に陥れている福島第一原発事故。世界で初めての多重炉心溶融事故だった。

原子力発電の安全性神話は、たった一度の“想定外”の地震・津波によりもろくも崩れ去った。なぜ福島原発事故は起きてしまったのか。

事故原因の直接的な究明とともに今必要なのは、歴史的な視点で安全神話形成の過程を見直すことである。私たちはある資料を入手した。

『原子力政策研究会』の録音テープ。1980年代から90年代にかけて、我が国の原子力発電を支えてきた研究者、官僚、電力業界の重鎮たちが内輪だけの会合を重ね、

原発政策の過去と行く末の議論をしていたのだ。議事は非公開と決めていたため、当事者たちの本音が語られている。

さらに、生存する関係者も福島原発事故の反省を込めて、今その内幕を率直に証言し始めた‥‥。(キャプションはETVの解説から)
 

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20110918 原発事故への道程(前)2
 
 
ETV「シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論 」の後半部分。
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中井久夫さんの最新「清陰星雨」から
 
☆中井先生は阪神淡路大震災のとき、神戸大学医学部教授かつ附属病院の医師として、神戸市民として被災現場に居つづけた人だ。

現場の力生かす環境を

一部引用・・

今、原発の真実を知らなかったと自分を責める普通の人たちがいる。その気持ちはどこか私にもある。
 
しかし、一億総懺悔に陥ってはなるまい。

どこに、当日、秩序を持って行列を作る国民があるか。こんな治めやすい国があろうかと多くの国の為政者は羨ましく思ったに違いない。

しかし、不信や「なめるな」の思いが積もって行った。
 
風評被害はその延長上にある。国民に正確な情報を知らせずに破滅に導くのがリーダーではない。
 
 
 
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いま仕組みを変えないでいつ変える。国民投票の実現を。
 
「原発」は国会議員に任せるな。

国民投票で決めるべきだ!

一部引用・・

「原発」国民投票の必要性については、15年前から主張してきました。当時から、「安保・原発・消費税、大事な問題は議員任せにしないで国民投票で決めよう」と言っていたのです。
 
子ども手当をどうするかとか高速道路無料化のような問題は、議員任せでもいいのです。でも、原発や日米安保条約をどうするか、とか脳死や臓器移植の問題は、
 
あまりにも重大で、議員にゆだねるのはよくないと昔から考えていました。

 私は、長くソ連と東ヨーロッパを取材してきて、ソ連が崩壊する直前から、バルト三国やロシア、ソ連で国民投票を活用しているのを現場で見て、圧倒されてきました。
 
あれだけ主権者の意思を無視してきたソ連が、突然直接民主制で1人1人の人民の意見を聞くのを目の当たりにし、衝撃を受けたのです。

 日本でも、新潟県巻町で日本初の条例制定に基づく住民投票がありました。
 
テーマは原発建設。原発にかかわる住民投票は、巻町のほかに新潟県・刈羽村、三重県・海山町で行われていますが、
 
巻町以降の15年間、日本ではさまざまなテーマで401件の住民投票が行われています。
 
47都道府県で住民投票を経験していないのは、東京都下の自治体だけで、あとはすべて実施しています。

全文はこちら
 
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野田新政権に「くにたみ」が突きつけねばならぬこと
 
☆ありのままに現在の日本の原子力行政を直視し、5か月間の内閣参与の内部体験から、これから原子力行政をどうするべきか、心の痛みを持って話す。
現時点で「深く考え、かつ自分でも行動する」良質の日本人の一人の長時間インタビュー。通読をお勧めします。☆

国民の信頼を失った日本の原子力行政
野田新政権が答えるべき「7つの疑問」
――田坂広志・元内閣官房参与/多摩大学大学院教授インタビュー

一部引用・・

 新たに発足した野田政権は、これから、国民が抱くこの「7つの疑問」に、真摯に答えていかなければならないのですね。

 従って、最後にこの「国民の7つの疑問」について、それぞれ一言ずつ述べておきましょう。

 第一は、「原子力発電所の安全性」への疑問です。

 しかし、ここで言う「安全性」とは、単なる「技術的安全性」の問題だけではありません。既に述べたように、実は「人的・組織的・制度的・文化的安全性」こそが、
 
これから厳しく問われるようになります。例えば、安全審査において、経済性への配慮で安全性が軽視されていないか、といった国民の疑問に対して、答えなければなりません。
 
そのためには、まず、産業界からの独立性を重視した原子力安全庁の設立など、適切な組織改革や人材育成が求められます。

 第二は、「使用済み燃料の長期保管」への疑問です。

 今回の福島原発事故が我々に教えたのは、使用済み燃料貯蔵プールというものが、ある状況においては、あたかも「剝き出しの炉心」のような状況になることの怖さです。
 
貯蔵プールから水が失われ、格納容器が無い状況で燃料の溶融が起こることは、想像を絶するほどの最大のリスクであることを、我々は教えられました。

 従って、今後、全国の使用済み燃料貯蔵プールの安全性が、改めて問われ始めるでしょう。
 
そして、各原発サイトの貯蔵プールの容量が満杯に近づいているという問題もまた、強い懸念とともに指摘され始めるでしょう。
 
第三は、「核燃料サイクルの実現性」への疑問です。

 核燃料サイクルの要である高速増殖炉や再処理工場は、常に、その実現が先送りされてきました。先ほども述べたように、
それはあたかも、砂漠で遠くに見えるオアシスに近づくと、また遠ざかっていく現象のごとく、「ミラージュ(蜃気楼)計画」と揶揄されるものとなっています。こうした計画を、現実的な視点から見直さなければなりません。

 第四は、「放射性廃棄物の最終処分」への疑問です。

 かねて、核燃料サイクルのアキレス腱は、高レベル放射性廃棄物の最終処分だと言われてきました。これを実現しないかぎり、原子力は「トイレなきマンション」と言われ続けるからです。そして、福島原発事故によって、この問題は、「近未来の問題」ではなくなりました。「目の前の現実」の問題となったのです。なぜなら、炉心溶融を起こした原子炉は、まさに、この高レベル廃棄物そのものだからです。そして、さらに、汚染水処理や廃炉、土壌除染などに伴って、膨大な放射性廃棄物が発生していくのです。この膨大な放射性廃棄物の中間貯蔵と最終処分をどうするのか、決めていかなければなりません。

 第五は、「環境中放射能の長期的影響」への疑問です。

 たとえ低濃度であっても、広域の環境中に放出された放射性物質の人体に与える長期的影響については、いまだ明確な医学的知見が確立されていません。そのため、地域住民の健康と安全を最優先に考えるならば、除染作業目標や土地利用禁止などは、最も厳しい仮定に基づいて実施せざるを得なくなります。

 第六は、「社会心理的な影響」への疑問です。

 こうした問題から生じる社会不安や風評被害、その対策費などは、すべて社会的費用、すなわち、国民負担になっていきます。

 第七は、「原子力発電の安価性」への疑問です。

 以上述べてきた安全対策費用、核燃料サイクル費用、廃棄物処分費用、社会的費用などを考慮に入れたとき、原子力とは、本当に安価なエネルギーなのか。その疑問が突きつけられています。

 我々、原子力に携わってきた人間は、これから、この国民の疑問に、真摯に答えていかなければならないのですね。
 
国民からの信頼の回復と、新たなエネルギー社会への一歩は、まさに、そこから始まるのでしょう。

──長時間のインタビュー、ありがとうございました。また、原発事故が最も厳しい時期に、内閣官房参与としての激務、お疲れさまでした。

 ありがとうございます。5ヵ月と5日の参与の仕事を締めくくる、良い機会をいただきました。

全文はこちら
 
 
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想定外の危機“ブラックスワン”にどう対処するか
一部引用・・

事前にまったく予測できないものの、起きた場合には世界の風景を一変させてしまう極めてまれで、強い衝撃を受ける事象。
 
白鳥しか見たことがなく“白い白鳥”が当たり前だと思っている人が“黒い白鳥”を初めて見た時の衝撃と影響が「ブラック・スワン事象」。
 
911の同時多発テロや311の大震災と原発事故は、事前にはまったく予想できず、
 
起きた衝撃と影響が世界を一変させたのがブラック・スワンということになります。

このことを本に書いたNassim Taleb氏のインタビュー動画はこちら

このエントリーはこちらを参考にしました。
 
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新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 / 日本社会の仕組み改良 |
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ひさしぶりの神戸市東灘区役所とその周辺        10年前の今日 2013年10月21日掲載

2023年10月21日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

家人が区役所で手続きをする間、待っているドライバーがすぐ近くの住吉橋から周囲の写真を撮りました。
新設の大きなマンションの一階に岡本から引越してきた東灘図書館があるそうです。広くて使いやすいとか。
片道5000歩、往復1万歩の散歩がてら一度行こうと思います。

住吉橋の上を六甲ライナーの高架が走っています。道路は国道2号線ー地元では阪神国道

橋の上から六甲山に向かって

海側を

この住吉川の河口あたりが灘五郷のうちの「魚崎郷」になります。

本山方面

もう一度山側を



楽屋ネタ
 
 

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リャマをタクシーに乗せるペルーの女性…インカ帝国の首都クスコの日常(動画)

2023年10月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

Llamas Take Taxis Too || ViralHog

引用元。

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10月20日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年10月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年09月20日(日)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2023年10月21日 | 東日本大震災ブログ
 
2011年09月20日(火)
 
9.19の脱原発デモ参加者は5万人を越えた
 
大江健三郎さんら脱原発訴え 都心で6万人参加デモ
9月19日 asahi.com

 

東京で行われた脱原発パレードには福島からの人も含めて6万人が参加した=19日午後3時56分、東京都渋谷区、樫山晃生撮影

 脱原発を訴える「さようなら原発集会」が19日、東京・明治公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが呼びかけた。

主催者側によると、全国から約6万人が参加し、東京電力福島第一原発の事故に関連した集会では、最大規模になったという。

 集会では大江さんのほか、経済評論家の内橋克人さんや作家の落合恵子さんらが登壇。大江さんは「原子力は荒廃と犠牲を伴う。

私らは原発に抵抗する意志を持っているということを政党の幹部に知らせる必要がある」と呼びかけた。

 参加者は集会後、のぼりやプラカードを手に渋谷や新宿の繁華街を3コースに分かれてデモ行進。7歳の娘と初参加したという都内の女性(49)は

原発に無関心で無知だったことを反省した。子どもの世代に、原発に依存しない社会を残したい」と話した。

 集会は脱原発への政策転換を求める署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などが支え、

これまでに100万人を超える署名を集めたという。

     ◇

 名古屋市中心部でも19日、「脱原発」を訴える集会とデモがあり、約2千人(主催者発表)が参加した。

 東日本大震災後半年にあわせ、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが全国で呼びかける「さよなら原発1千万人アクション」の一環として、

東海地方の実行委員会が同市でも企画した。参加者らは「原発さようなら」などと声を合わせ、中区の白川公園から東区の中部電力本店まで歩いた。

 インターネットで開催を知った北区の会社員田中秀之さん(47)はデモ初参加。「最初は少し怖かったが、いろいろな人が参加していて心強かった。

デモだけで終わらず、考え続けたい」と話した。(畑宗太郎)



♪集会と行進の動画はこちら

〇9・19脱原発デモ、空前の盛り上がり
 福島原発の事故以来最大規模に

一部引用・・

1960年代から、この国のありとあらゆる集会・デモをみてきたが、これほど多様で多彩な参加者を集めた集会・デモはなかった――
 
9月19日午後、東京・明治公園で行われた「さようなら原発1000万人アクション」を見ての感想である。主催者によると、参加者は6万人。
 
3月11日の東日本大震災によって生じた東京電力福島第一発電所の事故以来、全国各地で「脱原発」をめざす集会・デモが行われてきたが、
 
その中では最大規模となり、国民の間で「脱原発」の世論が着実に高まりつつあることを印象づけた。この「脱原発」の激流は、今後、多方面に影響を与えそうだ。 

全文はこちら
 
脱原発6万人集会
2011年9月20日  東京新聞朝刊

 脱原発を目指して作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発五万人集会」が十九日、東京・明治公園で開かれ、参加した約六万人(主催者発表)が
 
原発依存社会からの脱却を訴えた。集会で、大江さんが「私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう」と呼び掛けると、
 
会場からは地鳴りのような拍手が湧き起こった。 

 作家の落合恵子さんは参加者に「あなたたちに会えたきっかけを考えると腹立たしくてならない」と語り掛けた。
 
その上で「放射性廃棄物の処理能力もない人間が、原発を持つべきでない」と原発不要論を唱えた。

 ゲスト参加した俳優の山本太郎さんがあいさつで「すごい…すごい人ですね」と切り出すなど、会場に入りきらないほどの人が集まった。
 
集会後は福島県民らを先頭に「再稼働させるな」「子どもたちを守ろう」とシュプレヒコールを上げ、都心を練り歩いた。

 大江さんらは東京電力福島第一原発事故を受け、来年三月までに脱原発を求める一千万人分の署名を政府と国会に提出する計画。
 
主催者によると、署名は現在約百万人に達しているという。

 集会は原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が中心となって開催。警視庁は参加者を三万人弱としている。
 
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東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
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三菱重、内部で情報隠匿している間に被害が広がった
 
☆下のNHKニュースの記事によるとこのサイバー攻撃は8月の中旬に起こっている。この不名誉と不祥事を、なんとか外部に漏れない内に処置しようとしていたが、
 
被害は広がるばかりで社内だけでは手に負えなくなってのこの報道だと見る。

 三菱重の当該部門が上にあげるのをためらっている間に、加速的に事態が悪化したのではないだろうか?

 官民問わず、日本の集団ではそれぞれの部門の大小それぞれの「ムラ」で、ムラという身内の恥をさらさないのが一番大事なことだ。

しかしそれがいつも全体の組織に最悪の結果をもたらしてきた。

三菱重の感染サーバー、海外通信…スパイ事件か
読売新聞 9月20日(火)3時3分配信

 総合機械メーカー「三菱重工業」(東京都)がサイバー攻撃を受け、防衛装備品や原子力プラントなどの工場でサーバーやパソコンがコンピューターウイルスに感染した問題で、
 
その一部が感染後、海外のウェブサイトに勝手に接続し、通信が行われていたことが19日、関係者の話でわかった。

 攻撃者がこれらの海外サイトを中継して、情報を抜き取ったり感染を拡大させたりしていた可能性もあり、相談を受けた警視庁は、スパイ事件の疑いがあるとみて、
 
不正アクセス禁止法違反容疑などを視野に捜査する方針。

 潜水艦や護衛艦の建造を発注している防衛省も同日、同社に説明を求めた。

 関係者によると、委託を受けた情報セキュリティー会社が、感染したサーバーなどの記録を調べたところ、社外に設置されている14サイトに知らない間に接続していたことを確認。
 
このうち少なくとも4サイトについては中国、香港、米国、インドにサーバーの場所が登録されていた。また、通信が行われていたことが疑われるサーバーなどは少なくとも20台に上る。

三菱重工 ウイルス感染11拠点に
9月19日 22時15分 NHKニュース

三菱重工業の防衛や原発関連の生産拠点などで、サーバーやパソコンがウイルスに感染した問題で、被害は、11の拠点の83台に上っていることが分かりました。
 
三菱重工では、製品や技術に関する情報の流出は、今のところ確認されていないとしていますが、外部からシステムに侵入され、ウイルスに感染したおそれがあるとして、さらに調べています。

三菱重工によりますと、ウイルスへの感染が確認されたのは先月で、社内のネットワークからデータを外部へ持ち出そうとする種類のものが検出されたということです。
 
三菱重工では、警視庁に相談するとともに専門の業者と調査し、感染は本社のほか、「長崎造船所」や「神戸造船所」、
 
それに愛知県小牧市の「名古屋誘導推進システム製作所」など11の拠点のサーバーとパソコン、合わせて83台に上っているということです。
 
これらの生産拠点の中には、護衛艦や潜水艦、ミサイル、原子力発電プラントなどを作るところもありますが、今のところ、
 
製品や技術に関する情報の流出は、確認されていないとしています。

 三菱重工では、外部からシステムに侵入されてウイルスに感染したおそれがあるとして、本当に製品や技術に関するデータの流出が起きていないかも含め、引き続き調査することにしています。
 
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野田首相の江口議員への答弁

この二人のやり取りを聞くと、二人の間の政経塾の教えに対する見方の違いは、昨日や今日生じたことではなく、江口氏が『みんなの党』から立候補する前後に既に、
 
二人の間の関係に溝が出来ていたように思える。
 

江口議員の「国会議員の持つべき志」の話を、後ろにいて聞いた西岡参議院議長はどんな思いで聞いたのだろう。

この男は先般の民主党代表選に現役議長の身でありながら立候補しようとした。

自分の栄達だけを考えてきた議員人生を反省しただろうか?反省はしないだろうな、この品性を感じさせない卑しい人間は。
 

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保安院は結局何も仕事をしないまま高給を頂ける組織
 

原発事故対応拠点の線量低減設備 保安院、「不備」指摘を放置
2011年9月19日 07時05分 東京新聞

 原発周辺に設置され、事故発生時に対応拠点となる国のオフサイトセンター(OFC)のうち五カ所について、総務省の行政評価で二〇〇九年二月、

放射性物質が入り込まないようにする換気設備などが不十分と指摘を受けながら、所管する経済産業省原子力安全・保安院が対策を講じていないことが分かった。 (宮尾幹成)

 指摘の対象には、福島第一原発事故で機能しなかった福島県大熊町のOFCも含まれていた。OFCは周囲が放射性物質で汚染された中での作業が想定されており、

保安院の安全軽視があらためて浮かび上がった。

 指摘したのは、総務省の「原子力の防災業務に関する行政評価・監視結果に基づく第二次勧告」。国が防災対策の重点地域(EPZ)とする原発から半径十キロ内のOFC七カ所を調査し、

宮城(女川原発)と福島(福島第一、第二原発)、静岡(浜岡原発)、石川(志賀原発)、愛媛(伊方原発)の五県の施設に不備があるとした。

 建物内の放射線量を減らす高性能フィルターなどの換気設備がないとし、「(汚染された)外気を室内に取り入れてしまう」と指摘。「適切な対応」を求めていた。

 これを受けて保安院は、〇九年と一〇年に総務省に回答を提出。外気を内部に入れないよう、OFCの運営マニュアルに気密性確保を明記したなどと報告していたが、

フィルターの設置など本格的な防護策は講じていなかった。指摘を受けたOFCを管理する石川県の当時の担当者は、取材に「OFCを建てた当時、

フィルターを付けるよう国に提案したが、必要ないと言われた」と証言した。

 保安院原子力防災課の担当者は対策の不備を認め、「フィルターなどの必要性は重々認識している」と釈明。原子力安全委員会がEPZの範囲やOFCの立地見直しを進めており、

「結論を踏まえ対応したい」と話した。

 一方、総務省の勧告も、放射線量の低減措置の明確化などを求めたものの、フィルター設置など具体的な対応を要請していなかった。

同省行政評価局の担当者は「当時は(今回の原発事故のような)長期間かつ広大な災害は想定されていない。フィルターは高価でもあり、現実的な対応をした」と話している。

<オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)> 1999年の核燃料加工工場「JCO」(茨城県東海村)の臨界事故を受け、全国の原発など原子力施設ごとに整備された。

事故時に、国や自治体などの担当者が集まる拠点になる。原子力災害対策特別措置法施行規則は、被ばく放射線量を低減するため、コンクリート壁や換気設備の設置を求めている。

福島では原発から約5キロのセンターが震災で停電し、放射性物質の防護も不十分で使えなかった。

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阪大が放射線量長期予測の電子地図を公表している


NHK 科学文化部ブログ「かぶん」

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県を中心とした2200余りの地点ごとの5年後までの放射線量の移り変わりを示した電子地図を大阪大学の研究グループが作成しました。

19日から大阪大学核物理研究センターのホームページで公開されます。

電子地図を作成したのは、大阪大学核物理研究センターの谷畑勇夫教授らのグループです。文部科学省が調査したデータを基に、

雨や風、それに除染などで放射性物質が移動しなかった場合に、予想される放射線量の移り変わりを、棒グラフで示しています。

例えば、原発から北西におよそ30キロの川俣町の地点では、1時間当たりの放射線量が、ことし6月の4.36マイクロシーベルトから5年後には、

1.75マイクロシーベルトに減少する計算です。谷畑教授は「避難地域に戻れるようにするには、自然に減る分を除いて、どれくらい除染しなければならないかなど、

具体的な計画を立てるうえで役立ててもらいたい」と話しています。

電子地図はこちら

2011年9月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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亀戸の循環器内科の定期健診のあと「チャイナ厨房」で一杯

2023年10月20日 | 食べる飲む

薬局で薬を受け取ってから沖縄料理のソーメンチャンプルが食べたくて沖縄居酒屋に向かったが開店前だった。

やむなく久しぶりの「チャイナ厨房」に入店した。豆苗炒めもいいなあと思ったからだ。

 豆苗炒めは半分ほど食べてからの撮影になった。台北で知った豆苗炒めの味にはほど遠いがやはり好きなメニューの一つだ。飲み物は紹興酒にした。

一品物のメニューを見ていくと「ラム肉のクミン風味焼き」というのがあった。

クミンは好きなスパイスなので頼んでみた。取り合わせのお酒はマッコリにした。

始めは一人では多すぎる、残したらいいやと思ったが結果は、とてもうまくて きれいに全て腹中に納まった(笑)。

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「真夜中のドア〜stay with me」/ 松原みき Official Lyric Video

2023年10月20日 | ゲストルーム

「真夜中のドア〜stay with me」/ 松原みき Official Lyric Video

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10月19日に目に留まったSNS・メディアの記事

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年09月19日(土)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2023年10月20日 | 東日本大震災ブログ
2011年09月19日(月)
 
野田首相は戦後最悪の志操なき「官僚による操り人形」かも知れない。
 

2009.08.06記述 警戒すべき政界の松下政経塾一派
     ―渡辺治論文の示唆するもの―


一部引用・・

《それで松下政経塾はどうなったか》
 
松下政経塾はどうなったのか。

結論をいえば、政経塾は次第に民主党への政治家供給機関となり、次には供給先を民主・自民両党に拡げた。

そのイデオロギーには、将来の軍事大国化、保守大連立への方向性をも内在している、というのが渡辺の分析である。

順序を追っていこう。もともと、政経塾は「軍事大国化」、「利益誘導政治の変革」、「新自由主義」を政治信条としていたわけではない。

松下幸之助は保守新党の結成を強く望んではいたが、そのアイデアは保守政治家の養成、保守の二大政党化までで、独自の政治構想はなかった。

塾生の応募も80年代は総じて低調であり、その政界進出も地方議会に少数が出ていくとう程度であった。


しかし90年代、「政治改革」の時代の到来は、政経塾に二つのインパクトを与えた。

一つは、政治改革を旗印にした日本新党、新生党、新党さきがけなど保守新党の結成と躍進が、突然に政経塾塾生に国政進出の機会をもたらしたことである。

とくに日本新党の結党には塾生の山田宏(現東京杉並区長)、野田佳彦(現民主党幹事長代理)、前原誠司(現民主党副代表)、長浜博行(現民主党参議院議員)が大きくかかわった。

政党への道筋は次第に民主党へ収斂する。


塾の政治スタンスが民主党に近かったこと、民主党から立候補するのが容易だったからである。


二つは、政経塾の政治構想に方向感を与えたことである。


たとえば90年に保守新党を念頭につくられた「松下政経塾魁の会」の政治構想には「一国平和主義の克服」、「国際貢献」、「分権国家」、「保守二大政党」などが掲げられていた。

・・中略・・

《報告書に関わった面々は誰か》 


大事なことを忘れていた。報告書に関係した人物と肩書き(08年11月)である。


これらの何人かが最近のニュースに頻出したことを読者は想起することであろう。

プロジェクト委員 
山田  宏  東京都杉並区長     /松下政経塾第 2期生
前原 誠司 民主党衆議院議員    /松下政経塾第 8期生
金子 将史 PHP研究所主任研究員/松下政経塾第19期生
 
報告書賛同者 
逢沢 一郎 自由民主党衆議院議員 /松下政経塾第 1期生
野田 佳彦 民主党衆議院議員    /松下政経塾第 1期生
松沢 成文 神奈川県知事       /松下政経塾第 3期生
中田  宏  神奈川県横浜市長    /松下政経塾第10期生
小野寺五典 自由民主党衆議院議員 /松下政経塾第11期生

横浜市教育委員会は8月4日、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を中学校用に採択した。

政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・勝俣恒久東電会長)は同日、防衛計画見直しに向けた報告書を麻生首相に提出した。

専守防衛と武器輸出3原則の見直し、集団的自衛権の行使容認を主な内容とするものである。いずれもここで取りあげた松下政経塾の報告書と考え方において親和的である。

全文はこちら



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ややこしすぎて困らせるのを狙う? 東電
 
東京電力株式会社が行う原発事故被害者への損害賠償手続に関する会長声明  日本弁護士連合会

一部引用・・

当連合会は本年9月2日付け会長声明において、東京電力の損害賠償基準に関する問題点を既に指摘しているが、今回、被害者に送付された請求書式及びその請求手続については、
 
さらに以下のとおり問題がある。

 第1に、この請求書自体が、居住していた土地・建物等が、放射性物質の汚染によって居住できなくなり、そのため財産として価値が減少している場合の補償等、
 
「中間指針」においても賠償の対象とすることとされている最も重大な損害について、請求できる書式となっていない。仮に今回の請求に対する賠償提示に合意した場合、
 
これらの損害がどのように取り扱われるかも明確ではない。この問題については、最終的な判断が不可能でも、暫定的な対応は可能であり、最も重大な問題を先送りした上で
手続を進めること自体が大いに疑問である。少なくとも合意書には、この点の損害賠償が除外されていることを明記すべきである。

 第2に、請求書式は、分量としても約60ページ、さらに説明書類は約160ページに及ぶものであり、被害者にとっての書きやすさより、
 
東京電力側の負担を軽減することを念頭に置いて作成されており、また、その記入に多大な時間、労力及び注意力を要する非常に煩雑な様式になっている。

このような書類に被害者とりわけ高齢者、障がい者自らが全てを記載し、疎明資料を集めて漏れなく申請することは著しく困難であり、
 
適切な代理人ないし助言者なくしてこれだけの複雑かつ大量の書式に記入することを求めるのは現実的ではないといわざるを得ない。
 
より簡便な方式の提案を求めるとともに、その他の方式による請求も受理すべきである。

 また、疎明書類の原本をホチキス止めで提出することを求め、原本が請求者の手元に残らない方式とされているが、今後、他の救済機関を利用する場合に支障を生ずる危険性がある。
 
さらに、疎明資料がない場合についても、東京電力の窓口への相談などを求めるのみであり、明確な代替証明手段を示しておらず、このような煩雑な方式をとることにより、
求を断念して泣き寝入りする被害者が発生することも懸念される。

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原発をどうするかは、生存権の問題。
 
「脱原発」の志は、柔軟にシッカリと――山口県内各地でレインボー大作戦

一部引用・・

「これを政治マターにしたくない。私たちの生存権の問題だから」

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事実は見たくない 砂漠のダチョウ化するわれわれ
 

日本以外の諸外国で繰り返し繰り返しテレビで流されているこの映像。日本では原子力村から報道規制を受けている?あるいは大手メディアが得意の、いわゆる“自主規制”をしている?

最近は大手新聞やテレビで福島原発第1の爆発の瞬間を画像で見ることはない。

 メディアは自国民を砂漠のダチョウにしているし、知らぬが仏の状態に置いている、意図的に。

 外人観光客が戻らないとか、これまで買ってくれていた諸外国が果物や魚類の輸入を再開してくれないとか、大手新聞がもっともらしく嘆いて書いているが、

彼らはその理由はわかっているはずだ。つまり他国ではこの画像が繰り返し流れ、放射能汚染を心配するからだと。

 事実を事実として受け止め、それを共有して、そこを出発点にしないかぎり、そこからもし立ち上がっても誤魔化しの基盤はもろい。

愛と優しさと頑張ろうだけで、今の非常時・国難に対応することは出来ない。


一部引用・・

 整然と並んでいる原子力発電所。すでにその時には1号機が爆発、さらには2号機の内部も破壊していたのですが、

それでもプルトニウムを含む燃料を使っていた3号機の爆発はすさまじいものがありました。一瞬、建物の右(南側)に閃光が走り、轟音とともに爆発、その噴煙は300メートルほどに達しました。

2006年の新耐震指針の審議の時に、「予想外の時には原子力発電所が破壊し、大量の放射線が漏れ、付近住民が被曝するということを想定して置かなければならない」という

審議の前提に驚き、原子力発電を続けることに批判することにした私は、この爆発をネットで見て呆然とし、日本の原子力開発に携わったことに強く反省をしたのです。

科学者・技術者は実験事実や観測事実に忠実でなければならず、この爆発を見て、それまで「原発は安全」と社会に言ってきたことに深い自責の念を持たないとしたら、

それは科学者でも技術者でもないでしょう。その意味で、今でも「活動を続ける原子力の関係者」が存在すること自体、私には理解できないのです。

しかし、その原因の一つが「この映像がテレビでも新聞でも繰り返し放映されない」ということにあると思います。

ここ10年、アメリカで起きたニューヨークの貿易センタービルの爆破事件(いわゆる9.11)の映像は繰り返し流すNHKや各テレビは、

この日本の未曾有の災害の映像をほとんど流さないからです。

本来であれば、1号機の爆発と3号機の爆発の差、そこからの噴煙(放射線の灰)の移動などの事実関係や、さらに続いた「原子炉が休止していた4号機の爆発」についても

微に入り細に入り報道するのが日本のテレビでした。なにか小さな芸能人のスキャンダルはもちろん、食品会社の不祥事でも1週間ぐらいは同じ映像を見せられてきたのです。

全文はこちら

 
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冷泉信彦の『from 911/USAレポート』第532回
 

リーマン・ショック3周年、漂流する世界
(引用したメールマガジンの配信はこちらから。)

 今週の木曜日、15日というのは、2008年にリーマン・ブラザース証券が破綻した3周年に当たります。3年といえば長い年月で、この間に大統領はブッシュからオバマに変わり、

金融危機の連鎖を避けるためにTARP資金が注入されたり、不況のあおりを受けてデトロイトのかつて「ビッグスリー」と言われた自動車会社中の二社が破綻したり、

更には景気刺激策という財政出動から、QE1とQE2という流動性供給とドル安、そして債務上限バトルと国債格下げなど、多くのエピソードを経験してきたわけです。

 変動の大きかったのはアメリカだけではありません。金融危機も不動産バブル崩壊も更に深刻な形でヨーロッパに飛び火し、更にはギリシャ、ポルトガル、アイルランド、

イタリアなどの国家財政の危機も進行しています。

 そんなわけで3周年というのは、本来であれば感慨が深いはずなのですが、メディアではほとんど話題にはなりませんでした。

というのも、景気の不透明感、雇用の低迷ということでは、この日も全く何の見通しもない「霧の中」状態が続いていたからです。

とにかく、目先の事で精一杯であり、遠い将来のことを考える余裕もないし、まして過ぎ去った過去の回顧をしても何の役にも立たないということなのでしょう。

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ここ52年間で最高//米国貧困者数4620万人
 

一部引用・・

2010年の米国貧困者数が記録的な数に達した、と報道されている。さっそく調べてみたところ、貧困の境界線となる一世帯家族4人の年収は$22,314(約171万8100円)だ。

月収に換算すると1859ドルだから、これはかなり厳しい暮らしになる。

例えばロサンゼルス近辺の場合、寝室が一つだけのアパートを借りると、月々の料金は安いものでも1200ドルほどかかる。家族4人なら両親がベッドルームで寝て、

子ども二人は居間ということになると思うが、アパート代を払うと659ドルほどしか残らない。言うまでもなく、政府からの援助がなければ家族行き倒れになってしまう。

少し話がそれるが、貧困レベルの人々を嫌う人たちが増えているような気がする。パッとしない経済、相変わらず高い失業率などが原因になっていると思うが、

貧困者たちを寄生虫のように語る人たちがいる。中産階級の暮らしも苦しいのだが、だからと言って貧困者のようにフードスタンプなどの政府からの助けがあるわけではない。

おまけに、不法滞在している貧困者までもが政府からの援助を得ている例もあり、中産階級の人々の不満が高まっている。

全文は こちら

米国の貧困率がさらに悪化 90年代前半のレベルに
      こちら

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「ごもっとも、ごもっとも」      茶話 その14 

2023年10月19日 | エッセイ

 今年も節分の日に焼いたイワシを食べたあと豆まきをした。家中の窓という窓を順番に開けて、トイレや風呂の窓も忘れずに、

大声で「鬼は外福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言ってまわる。子供の頃、この「ごもっとも、ごもっとも」と言うのが何とも気恥ずかしかった。

親の勤務地に付いてまわって転校した九州若松でも、尼崎の塚口でも、三重県の四日市でもクラスの誰に聞いても、家ではそんなこと言わないという。

酒の入った父親が「鬼は外、福は内」と大声で叫ぶとそれに続けて家族が「ごもっとも、ごもっとも」と大声で

囃やさないといけないのだが友達や近所の人に聞こえないように、つい小さな声で「ごもっとも、ごもっとも」と言ってしまう。

そんな時、父は後ろを振り向いて「声が小さい、鬼が家に入ってきたらどうする」と怒るので、もうやけくそで兄弟揃って父の後について

「ごもっとも、ごもっとも」と大声を張り上げたものだ。

そして今、自分が家族を持って、同じ事をしている。千葉県南柏や茨城県藤代町に住んでいた時も、そしてもう十数年住む神戸でも、

恥ずかしがり嫌がる娘達を幼稚園の頃から、叱咤激励、時には脅して「ごもっとも~」をやってきた。

もし「ごもっとも」を言わなかったらうちの家は、この一年大変なことになると言って。


そのお陰か、我が家では節分の日の定番としてしっかり定着し、私が3年強広島で単身赴任して不在の日にも、節分には二十歳過ぎの娘達が

ごもっとも」をやってくれていたそうだ。(ほんまかいなと多少は思うけど)

今年の豆まきは、家族の中でも「ごもっとも」発声に一番抵抗してきたヨメさんと二人でしたが、驚いたことには二人では張り合いがないから、

今年はやめとこかと言う私に「今まで続けてきたのに何いうてるの」と率先して彼女が大声を張り上げた。

震災の年だけはそれどころではなかったけれど、考えたら結婚して二十八年、我が家では出張や単身赴任で抜けた私の回数より彼女の

「ごもっとも」の発声回数が多いんやと思い当たった。今年はいつもよりキレイにハモッて「鬼は外、福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言えたような気がする。

亡父にも故郷の従兄弟たちにも聞いたことはないが、おそらく父が生まれ育った信州の諏訪湖畔、北小路地区では江戸時代以前の昔から、

こういう風に言っていたのではないかと思う。

先祖は諏訪氏が高島城を築城する時に、(諏訪湖の高島という島から)立ち退きを命じられ、近くに集団移転させられた島民の一族だと言っていたから、

もともと古くから住みついていた住民だと思う。

今年も遠い諏訪のあの地区で「ごもっとも、ごもっとも」が飛び交ったか、あるいは本家のイギリスではとっくに廃れた習慣が

アメリカで残っているのと同じように諏訪ではもう廃れたかも知れないが、今年も神戸市の一軒の家から、

老年に差しかかってはいるが声は若い「ごもっとも、ごもっとも」の斉唱が、神戸の夜空に吸い込まれていきました。

  (2002年に「小和田満」の筆名で投稿し、幸い入選して5月27日の「神戸新聞文芸欄」に掲載されたエッセイ。)

注:高島城の築城は秀吉の配下で当時諏訪を支配していた武将の日根野高𠮷が行ったと 後日従兄から教示を受けたが、

  上記文は掲載された原文のままとして訂正していない。 

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