TIME8月20日号に
Novelist Haruki Murakami is Home at Last
と題された記事があった。彼はいまや日本の文壇を象徴する大作家と海外には認識されているらしい。だが、彼の作品について、内容に深く踏み込んだ記事は、近年見たことがない。
バーディーも学生時代、「ノルウエイの森」を斜め読みしたことがあった。そのときの感想は、
「登場人物に生気がない」
ということであった。吉本ばなな作品の登場人物もそうかもしれないが、ばなな作品の場合、少女漫画のキャラクター的ではあるが、それなりに「(うっすらと)血の通った人間」という感じがする。だが、春樹作品の場合、登場人物は完全に「人形」である。
私にとって、村上春樹はバブルの象徴でもある。「ノルウエイの森」は、それまで文学におよそ無関心だった大学生が、ファッションの一部として買い求める商品となった。反面、春樹作品はハードコアの文学青年から忌避される存在となった。
その後、村上氏は、バブルの崩壊に平仄を合わせるように、海外で生活を送るようになった。もともとアメリカ文学を専攻していた(ちなみに、バブル当時は英文科卒でも就職できた!)彼にとって、この時期が最も幸福だったのかもしれない。そのうちサリンジャーなどの翻訳が彼の本業となり、彼の翻訳本は、バブル時代を懐かしむ一部の層によく売れたようである。
58歳になったその村上氏が、ついに日本に帰ってきた。バブルを克服した日本は、ようやくブルジョワ作家の住める国になったのである。
ところで、バーディーは、筒井康隆氏こそが日本の文壇を代表する(というよりも、もはや存亡の危機にある日本の文壇を支える)大作家だと確信している。彼の仕事(断筆時代も含めて)は、常に新しい。登場人物は欲望の塊であると同時に常に愚かであり、誇張されてはいても、血が通っている。
筒井氏は73歳。私の父とそんなに年も違わない。長生きして欲しいものである。
Novelist Haruki Murakami is Home at Last
と題された記事があった。彼はいまや日本の文壇を象徴する大作家と海外には認識されているらしい。だが、彼の作品について、内容に深く踏み込んだ記事は、近年見たことがない。
バーディーも学生時代、「ノルウエイの森」を斜め読みしたことがあった。そのときの感想は、
「登場人物に生気がない」
ということであった。吉本ばなな作品の登場人物もそうかもしれないが、ばなな作品の場合、少女漫画のキャラクター的ではあるが、それなりに「(うっすらと)血の通った人間」という感じがする。だが、春樹作品の場合、登場人物は完全に「人形」である。
私にとって、村上春樹はバブルの象徴でもある。「ノルウエイの森」は、それまで文学におよそ無関心だった大学生が、ファッションの一部として買い求める商品となった。反面、春樹作品はハードコアの文学青年から忌避される存在となった。
その後、村上氏は、バブルの崩壊に平仄を合わせるように、海外で生活を送るようになった。もともとアメリカ文学を専攻していた(ちなみに、バブル当時は英文科卒でも就職できた!)彼にとって、この時期が最も幸福だったのかもしれない。そのうちサリンジャーなどの翻訳が彼の本業となり、彼の翻訳本は、バブル時代を懐かしむ一部の層によく売れたようである。
58歳になったその村上氏が、ついに日本に帰ってきた。バブルを克服した日本は、ようやくブルジョワ作家の住める国になったのである。
ところで、バーディーは、筒井康隆氏こそが日本の文壇を代表する(というよりも、もはや存亡の危機にある日本の文壇を支える)大作家だと確信している。彼の仕事(断筆時代も含めて)は、常に新しい。登場人物は欲望の塊であると同時に常に愚かであり、誇張されてはいても、血が通っている。
筒井氏は73歳。私の父とそんなに年も違わない。長生きして欲しいものである。