Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

横溝正史作品における「人間」

2007年08月26日 13時44分14秒 | Weblog
 「獄門島」をほぼ読了。宮古島のホテルで見た「悪霊島」に触発され、金田一耕助ファイルを渉猟する。横溝正史作品に特徴的なのは、ストーリー展開のテンポのよさと、その裏腹ともいうべき人物描写の荒っぽさだと思われる。ストーリー展開の見事さについてはいまさら言うまでもない。人物描写の荒っぽさは、むしろその代償ともいえる。細かく「人間」を描いていたら、読者は肝心のストーリーに集中できない。というより、忍耐力のない読者だと、本をほっぽり出してしまいかねない。
 さて、人物描写について、横溝氏は、殺害される三姉妹を「ゴーゴンの三姉妹」といってみたり、彼女らを誘惑する美青年を「即興詩人のアントニオ」になぞらえたりするだけで、実にアッサリとしたものである。この人物描写に対する淡白さは、トーマス・マンの対極にあるといってよいだろう。
 もう一つ、人物描写の荒っぽさの持つメリットがある。それは、映画化の際、キャスティングに深刻に悩む必要がないということである。余りに詳細な人物描写のなされた作品だと、配役の難から映画化が頓挫することもある。例えば、以前に述べた三島由紀夫の「午後の曳航」は、この問題のため長らく映画化されなかったようである。
 おまけに、バーディーは、横溝氏の出生地である神戸市中央区東川崎町で働いていた時期がある。偶然といえば偶然であるが。
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