ゲーテの詩の中でバーディーが選ぶベスト10に入るもののうちの一つが、「いましめ」である。
いや遠くさまよい出でんとするか
見よ、善きことはまこと近きにあり
幸福をとらえるすべを知れ、
幸福は常に手近にあれば
(高橋健二訳)
「善きこと」とは、詩の常として多義的な言葉である。
例えば人間の身体。やや主旨がすれるが、最近、渡辺淳一氏が、週間新潮に、小学生に向けて「どうして自殺をしてはいけないのか」を平易な言葉で説くコラムを連載していた。その中で「身体の細胞の一つ一つは、我々の意思とは全く無関係に、常に全力かつ猛スピードで生きる努力を続けている」ことを指摘していた。
当たり前のことだが、ギリシャの格言にもあるとおり、人間は「髪の毛一つすら自分の意思で左右することはできない」のであり、要するに自分の身体は自己の所有物ではないのである。
「身体」という身近にある「善き」ものをとらえることは、一つの幸福といえるだろう。
いや遠くさまよい出でんとするか
見よ、善きことはまこと近きにあり
幸福をとらえるすべを知れ、
幸福は常に手近にあれば
(高橋健二訳)
「善きこと」とは、詩の常として多義的な言葉である。
例えば人間の身体。やや主旨がすれるが、最近、渡辺淳一氏が、週間新潮に、小学生に向けて「どうして自殺をしてはいけないのか」を平易な言葉で説くコラムを連載していた。その中で「身体の細胞の一つ一つは、我々の意思とは全く無関係に、常に全力かつ猛スピードで生きる努力を続けている」ことを指摘していた。
当たり前のことだが、ギリシャの格言にもあるとおり、人間は「髪の毛一つすら自分の意思で左右することはできない」のであり、要するに自分の身体は自己の所有物ではないのである。
「身体」という身近にある「善き」ものをとらえることは、一つの幸福といえるだろう。