エマソン論文集(下)・・・「自然」(1844)
「こういう気候の地方では、一年のうちのほとんどどの季節にも、世界が申しぶんのない状態になる日が何日かあるものだ。」
エマソンは、「世界が完成する(申しぶんのない状態になる)日」は、「どの季節にも」あると言っている。
これに対して、エマソンの愛読者であったニーチェは、次のように述べている(ちくま学芸文庫「ツァラトゥストラ」(下)p512)
「……それは、エマーソンが極めて見事に叙述しているように、丘の上に広々と居心地良よく安らうあの美しい夏の日々に似ています。そのとき自然は、彼の言うように、完成するのです……」
エマソンは、「夏の日々」とは限定していないのだが、ニーチェは、「夏の日々」と述べており、誤読のようにも思える。
これにはおそらく、気候の差もあるだろう。ニーチェが主に住んでいたドイツとスイスでは、陽光煌く日々は夏に限られており、その季節にしか「世界が完成する」ことはなかったのかもしれない。
「こういう気候の地方では、一年のうちのほとんどどの季節にも、世界が申しぶんのない状態になる日が何日かあるものだ。」
エマソンは、「世界が完成する(申しぶんのない状態になる)日」は、「どの季節にも」あると言っている。
これに対して、エマソンの愛読者であったニーチェは、次のように述べている(ちくま学芸文庫「ツァラトゥストラ」(下)p512)
「……それは、エマーソンが極めて見事に叙述しているように、丘の上に広々と居心地良よく安らうあの美しい夏の日々に似ています。そのとき自然は、彼の言うように、完成するのです……」
エマソンは、「夏の日々」とは限定していないのだが、ニーチェは、「夏の日々」と述べており、誤読のようにも思える。
これにはおそらく、気候の差もあるだろう。ニーチェが主に住んでいたドイツとスイスでは、陽光煌く日々は夏に限られており、その季節にしか「世界が完成する」ことはなかったのかもしれない。