「旅の山伏が大和国の葛城山で大雪の中往生していると一人の女の庵でもてなされます。女は葛城の神であり、役ノ行者に命じられた岩橋を架けなかったため、不動明王の縛縄に苦しんでおり、加持祈祷で苦から救って欲しいと願います。山伏が女神のために祈祷していると苦を免れた喜びを述べ、舞を舞い、やがて暁近くなると暗い岩戸の内へ姿を消します。人間に近い性格を持った古代の神の気品ある、且つ女性らしさを感じさせる作品です。」
「山伏たちが、葛城の神を慰めようと祈っていると、女体の葛城の神が、蔦葛に縛られた姿を見せました。葛城の神は、山伏たちにしっかり祈祷するよう頼み、大和舞を舞うと、夜明けの光で醜い顔があらわになる前にと、磐戸のなかへ入っていきました。」
恒例の村上湛先生の解説では、「女」=「女神」は、基本的には動物が神に変化したもの(いわゆる「龍神」)であるという。
そして、当時の葛城山は「高天原」と同視されていたそうなので、この女神は、天照大神(アマテラス)であるという。
中入り後の後に駕籠(?)の中から美しい女神が登場する場面では、おそらく全員が息を呑んだことだろう。
ところが、女神は、夜明けが近づくと、醜い顔が太陽で露わになる前に岩戸の中に隠れた。
このストーリーで、ピンとくる人はピンとくるだろう。
「葛城」で言うと、女神は顔が醜く、岩戸の中に隠れるところなどは、筑紫説を裏付ける有力な材料となるだろう(ついでに言えば、アマテラスのご神体である「鏡」の原義が「カガ(ヘビ)の目」であることも重要である。)。
ただ、「葛城」が筑紫説と必ずしも合致しない点がある。
それは、女神が夜活動する、つまり夜行性であるという点である。
「アオダイショウは様々な場所に生息しており、私のこれまでのアオダイショウの発見も、狙ってのものではなく、たまたま野外を散策して遭遇するということが多かったです。
特に彼らは個体数が多いのか、路上に出ていることも多く、車どおりが少ない山道、畑や田んぼの周りの道を車で走っていると、路上にいる個体に出くわします。」
私は、女神である蛇は、アオダイショウのアルビノであると断定してよいと思う(「葛城」の女神の衣装もそうだし、日本最古の神社と言われる大神神社:【4】巳の神杉(みのかみすぎ) などからも明らかだろう。)。
ところが、アオダイショウは、「昼行性で、夜間は岩の隙間や地面に空いた穴の中などで過ごす」らしいのだ。
確かに、アオダイショウには昼間に出くわすことが多いと思う。
・・・うーむ、これはどう考えるべきだろうか?
生物学者の見解を知りたいものだが、この論争に手っ取り早く決着を付ける方法がある。
それは、「見てはいけない」とされている伊勢神宮の御神体、すなわち八咫の鏡(やたのかがみ)を見て確認するというもの。
私の推測では、そこには、蛇とその目玉が描かれているはずである。