「レパートリーの拡充を目指して制作した"フィレンツェ・ダブルビル"を再演。ともに20世紀初頭を代表する作曲家ツェムリンスキーとプッチーニの秀作を、奥深い芸術の町フィレンツェをキーワードにカップリングしたダブルビルです。
『フィレンツェの悲劇』は、耽美的で豊麗な音楽で知られるツェムリンスキーの代表作。デカダンス文学の旗手オスカー・ワイルドの戯曲を原作に、夫婦と妻の愛人の3人が繰り広げる奇妙な悲劇を描きます。ツェムリンスキーはマーラーに見出されて世紀転換期のウィーンで活躍した作曲家で、豊潤な前奏曲や終盤の官能的な二重唱では、後期ロマン派ならではの色彩豊かで壮麗な音楽が堪能できます。一方の『ジャンニ・スキッキ』は富豪の遺産相続をめぐる強欲な人間たちの騒動と若いカップルの恋をテンポよく描いたプッチーニ晩年の1幕物。『三部作』を締めくくるとびきりの喜劇です。ラウレッタのアリア「私のお父さん」は、ソプラノの名曲としてコンサートで歌われることも多く、テレビCMなどでもお馴染みの人気曲です。」
『フィレンツェの悲劇』は、耽美的で豊麗な音楽で知られるツェムリンスキーの代表作。デカダンス文学の旗手オスカー・ワイルドの戯曲を原作に、夫婦と妻の愛人の3人が繰り広げる奇妙な悲劇を描きます。ツェムリンスキーはマーラーに見出されて世紀転換期のウィーンで活躍した作曲家で、豊潤な前奏曲や終盤の官能的な二重唱では、後期ロマン派ならではの色彩豊かで壮麗な音楽が堪能できます。一方の『ジャンニ・スキッキ』は富豪の遺産相続をめぐる強欲な人間たちの騒動と若いカップルの恋をテンポよく描いたプッチーニ晩年の1幕物。『三部作』を締めくくるとびきりの喜劇です。ラウレッタのアリア「私のお父さん」は、ソプラノの名曲としてコンサートで歌われることも多く、テレビCMなどでもお馴染みの人気曲です。」
ちょっと珍しい”フィレンツェ・ダブルビル”。
いずれもストーリーはいたってシンプルだが、悲劇と喜劇であるし、演出方針も真逆である。
「フィレンツェの悲劇」は、オスカー・ワイルドの原作で、余り日本では知られていない作曲家・アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの代表作らしいが、テーストは明らかにワーグナーとR.シュトラウス路線である。
主人公・シモーネが出張から帰宅すると、家には見知らぬ男・グイード・バルディがいて妻・ビアンカとねんごろな様子だったので、シモーネはグイード・バルディに決闘を申し込み、最後は素手で首を絞めて殺すというもの。
上演時間は約1時間だが、演出の粟國淳さんによれば、
「浮気に気づいてさっさと殺せば10分で終わる話ですが(笑)」(公演パンフレットp10)
多くの場合ダブル・ミーニングのセリフの応酬で結末を遷延させる手法がとられている。
そのセリフだが、登場人物3人のうちセリフの半分くらいをシモーネが占めるので、バリトンが決定的に重要である。
今回のシモーネ役は、2021年『ニュルンベルクのマイスタージンガー』でハンス・ザックスを熱演したトーマス・ヨハネス・マイヤー。
期待通りの素晴らしい声と演技で大満足である。
というか、この人が出るとどうしても観たくなるのである。
ラストの、
ビアンカ「なぜ言ってくれなかったの。あなたがこんなに強いということを。」
シモーネ「なぜ言ってくれなかったんだ。お前がこんなに美しいということを。」
と言うやり取りと、この後二人が死体の横で熱い口づけを交わすシーンを見ていると、やはりワイルドの「サロメ」のラスト・シーンを思い出さずにはいられない。
二本目の「ジャンニ・スキッキ」は、ラウレッタが歌うアリア「私のお父さん」で有名な作品。
だが、私はこれが初見で、奇抜な演出に面食らった。
ヴィジュアルが奇天烈(例えばこの写真:花の都フィレンツェに渦巻く人間ドラマ ツェムリンスキーの悲劇とプッチーニの喜劇を新国立劇場で一挙上演の画像5/7)で、結果的には成功している。
というのも、ストーリーがシンプル過ぎて、普通の演出だと地味な印象だけ残りそうだからである。
とはいえ、結局は「私のお父さん」を絶唱したラウレッタ役の砂田愛梨さんの強烈な印象が残った一夜であった。