Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

「私」による「公」の僭奪(4)

2022年10月01日 06時30分44秒 | Weblog
 私が大学生のころ(30年ほど前)、行政学や財政学のテキストには、必ずといってよいほど、「公共事業予算の配分」に関する記述があった。
 すなわち、公共事業予算における農林水産・建設・運輸の予算配分(パーセンテージ)は決まっており、これをコンマ1ポイントでも変えることはほぼ不可能であるというものである。
 そして、その理由としてなされるほぼ唯一の説明は、「自民党内の族議員の力関係」というものであった。
 要するに、自民党内における族議員の力関係は、農林族>建設族>運輸族といった具合になっているため、例えば、農林関係予算を減らして運輸関係予算に回そうものなら、農林族議員の猛烈な反発を食らい、結局撤回に追い込まれるというわけである。
 ここでよく引き合いに出されたのが、「農免道路」(農免道路・広域農道とは何?農道の種類と違いを解説します。)であった。
 この状況を、私は、「『現状』という偽の均衡状態の硬直化」と呼ぶ。
 上で述べたような予算配分(パーセンテージ)は、ある一定の時点における「自民党内の族議員の力の均衡」の反映にほかならず、およそ経済合理性とは関係ない。
 まさしく、デモクラシーの病理、(利益)多元主義の典型である。
 ところが、この「現状」をあたかも均衡状態のようにとらえ、これを固守する慣行が続いてきた。
 この偽の均衡状態が政権交代(自民党の下野)によって崩れる運命にあったことは言うまでもない。
 他方、医療費についても、2007年までは同様の状況にあったようだ。
 旧制度のもとでは、診療報酬の点数のみならず、医療費の総額(要するに現在の改定率)も医療政策の基本方針も、実質的に中医協が決めていた。
 かくして、「中医協による実質的な決定」というシステムのもとで、「現状」を固守する方向での診療報酬等の決定が行われていたわけである。
 但し、公共事業について言えば、予算の総額はシステムの外部で決まっていて、これを「配分」する仕組みとなっているのだが、旧制度下での医療費については、総額も含めて全て中医協が実質的に決めていたという点が重要である。
 このため、どんどん医療費が膨張していったわけである。

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