先日、ホリエモンのような人物の存在を許さない一般大衆について書いた。一代で地位を築き財を成すのは許せないのである。これは意外なことかもしれない。というのも、小泉首相の理想は、「他人の成功をうらやんだり、足を引っ張るようなことをやめる」社会であり、それこそ「格差社会」と目されているものだからである。果たしてこれは矛盾だろうか?
私見では、けしてこれは矛盾ではない。ここで、成功する人(勝ち組)自体は、出自や学歴などによって極めて早く決定されるのであり、その人が決められたレールを走っていくのを、他の人間(負け組)は「うらやんではいけない」というのが、おそらく小泉首相らの本音であろう。このように考えてくると、格差社会は、競争社会とはおそらく対極にあるものである。
実際、世界最高水準の「競争社会」と呼ばれているアメリカでは、その反面、「競争意欲」を喪失させる独占・寡占に対する敵意も非常に強い。これとは対照的に、日本では、さまざまな分野で独占・寡占体制が進行しているし、庶民もさして敵意を抱いたりはしない。
「負け組よ、俺たちと同じ土俵に立てると思うなよ」というのが、格差社会における「勝ち組」の本音なのだろう。格差を固定化すれば、競争もなくなるのである。
私見では、けしてこれは矛盾ではない。ここで、成功する人(勝ち組)自体は、出自や学歴などによって極めて早く決定されるのであり、その人が決められたレールを走っていくのを、他の人間(負け組)は「うらやんではいけない」というのが、おそらく小泉首相らの本音であろう。このように考えてくると、格差社会は、競争社会とはおそらく対極にあるものである。
実際、世界最高水準の「競争社会」と呼ばれているアメリカでは、その反面、「競争意欲」を喪失させる独占・寡占に対する敵意も非常に強い。これとは対照的に、日本では、さまざまな分野で独占・寡占体制が進行しているし、庶民もさして敵意を抱いたりはしない。
「負け組よ、俺たちと同じ土俵に立てると思うなよ」というのが、格差社会における「勝ち組」の本音なのだろう。格差を固定化すれば、競争もなくなるのである。