Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ゆっくり生まれる

2006年10月22日 11時05分19秒 | Weblog
 サン=テグジュペリは、「生きるとは、ゆっくり生まれることだ」という名言を残した。だが、どう考えても、生きるとは、「ゆっくり死ぬこと」に過ぎないように思われる(もっとも、サン=テグジュペリの言葉は、このような見解に対するアンチ・テーゼだったのかもしれない)。ただ、誕生の瞬間と死の瞬間だけが、「ゆっくり」ではない、つまり、不連続な出来事であるように見えるだけである。
 だが、ここでもっと視野を広げて考えてみると、人間の死に向かう道は、それころ受精の瞬間から始まっているのだし、精子や卵子の生成メカニズムも、誕生の瞬間から定まっているといえなくもない。要するに、出生も死も、決して「不連続な瞬間」ではないということである。
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ヨーグルトとモーツァルト

2006年10月21日 18時40分06秒 | Weblog
 二日余り急性腸炎に悩まされる。とりあえず、ヨーグルトのみで絶食したところ、少し良くなったので、薬に頼らず続けてみる。
 折悪しく、今日は東京で面接の日である。約15分間の面接に全力をかけよう、と思ったはいいものの、早く到着して時間が余ってしまう。そこで、近くの日比谷公園で時間をつぶすことに。
 バーディーは、東京の公園は大好きだが、日比谷公園は独特の雰囲気があり、上野公園と並んでお気に入りである。なにしろ、物心ついたころ、キャンディーズが、
普通の女の子に戻りたい!
と叫んだのもここなのである。
 さて、無事に面接を終えて帰路に着くと、今度は本格的に体調が回復してきた。だが、快癒のためには何かが足りない。そう、音楽である。
 では、モーツァルトを聴くことにしよう。
 
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一発屋列伝

2006年10月21日 00時07分11秒 | Weblog
 テレビをみていたら、たまたま一発屋の苦労話特集があった。
 そこには、牧村三枝子堀江淳などの懐かしい姿があった(というか、そこの部分しか見ていない)。
 考えてみれば、競争と浮き沈みの激しい芸能界では、一発屋こそが常態なのであって、息の長い活躍など至難の業なのである。
 翻って、我々一般人も、殆どが一発屋なのかもしれない。
 さて、歌については、牧村三枝子は感涙でちゃんと歌えなかったものの、堀江淳はかつてよりずっと情緒豊かに「メモリー・グラス」を熱唱していた。
全ての人は、人生のうち、最低5分間、有名人となる。」(アンディ・ウォーホル)
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テレビの快楽

2006年10月20日 08時09分51秒 | Weblog
 めったにないことだが、腹痛でダウンし、休みを取ってしまった。
 さて、家でじっとしていると、テレビをみるしかやることがない。そこで、半日間じっくりテレビをみてみた。本当に3年ぶりくらいのことである。
 すると、毎日テレビを見て、翌日友達とその批評をしあうのが日課だった中高生時代が懐かしく思い出されてきた。サラリーマン時代には、残業のため、夜はテレビ番組(特にドラマや歌番組)をみることも少なくなり、いつしかテレビをみること自体に関心がなくなっていたのである。
 そういえば、田舎の兄の一家では、夜は、6時くらいから家族そろってテレビを見るのが日課となっている。だが、バーディーのサラリーマン時代には、残業と通勤のために夜9~10時に帰宅することが多かった。つくづく、平凡な生活の幸福を羨ましく思うのである。
 「この世の生活の歌が、ちょうど暗夜のナイチンゲールの鳴き声のように神々しく感じられるのは、深い苦しみに際会してのことだ
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マイク・タイソン、女と対戦?

2006年10月17日 20時36分36秒 | Weblog
Tyson thinking of fighting women?
 アン・ウルフという女性ボクサーと対戦するかもしれないと発言したが、これは、チャリティー・ツアーの一環として構想したというもの。
 ・・・それにしても、往年のヘビー級チャンピオンも落ちぶれたものだ。
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弁護士氷河期(その13)

2006年10月17日 19時58分04秒 | Weblog
 未確認情報なれど。
 大阪では、年俸400万円(賞与なし)の事務所にも応募が殺到するらしい。確かに、59期も大阪は激戦だったらしいし・・・。
 競争激化もここまで来たか、という感じだが、仕事は報酬ではなくやりがいで選ぶべき、と強がりを言ってみる。
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週休1日主義

2006年10月17日 07時39分49秒 | Weblog
 生活パターンは、永続するものでなければならない。しかも、それを続けることによって病気を発症したりするものであってはならない。
 バーディーは、オフの作りかたが重要だと思う。
 一般的に、土日が休みだが、うち1日は家族で過ごすか会社で休日出勤という人が多いと思う。だが、司法試験受験生はそうではないようである。
 なぜなら、(旧)司法試験は土日祭日に組まれており、ここにピークを持ってくるためには、賢い人なら普段からオフのとり方を工夫しておかねばならないことに気付いているからである。
 例えば、某司法試験予備校講師は、
日曜日にピークを持ってくるためには、水曜日をオフの日にせよ
とこの辺の事情を喝破している。
 ・・・さて、世間を見ると、先に述べたように、「土曜は出勤、日曜は家族サービス」というサラリーマンが多いようであるが、これではオフがないに等しいとのことだ。
 
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家庭内独立?

2006年10月16日 07時37分11秒 | Weblog
 赤西仁芸能活動休止の裏で大きく扱われないが、こんなニュースも!
山本譲二が北島ファミリーから独立
 歌手北島三郎(70)を頂点とする北島ファミリー7人の長男・山本譲二(55)が来年独立する。4日、都内で行われた芸道45周年の「感謝の宴」で北島が明かした。「慕ってもらえると、何かをしてあげたいという気持ちになる。北島という傘に集まってくれる人がいてファミリーになった。山本は来年にのれん分けします。1人で頑張ります」。この突然の発言に、会場の約700人も驚いたが、誰よりも驚いたのは山本だった。北島の門をたたいて32年。2年前から、のれん分けの話を聞かされていたが、師匠の節目の日のサプライズにしばらく声も出なかった。気持ちを整理すると、「オヤジと自分は一枚岩。ファミリーは一枚岩なので、何かあればすぐに駆けつけます。死ぬ気でやります」と決意を固めた。

 "長男"が家庭から独立か?円満独立かどうかは分からない。意外にも"父"はあっさりと許したというから、確執が深まっていたという説もある。
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幸せを他人に見せてはならない

2006年10月15日 18時44分39秒 | Weblog
 最近、修習所クラスのメーリングリスト経由で、「内定もらいました」系の報告が増えているが、感心しない。なぜなら、ここ数年、就職活動をしても内定がもらえない修習生が増えており、同級生の中にも未就職者は多い状況であるというのに、そうした人たちに対する配慮の欠如を感じさせるからである
 バーディーは、そもそも幸福というものは、他人に見せるものではないと思う。作家の若一光司氏に至っては、「家族一同ニコニコ年賀状」を送ってくる人とは、静かに「縁を切る」という。世間には不幸な人が沢山いるというのに、そういう人たちに対する配慮・想像力を欠く人とは、付き合いたくないというのである。
 ここまで行くとやや行き過ぎかもしれないが、一面の真理を突いていると思う。
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学級崩壊の責任

2006年10月15日 15時54分12秒 | Weblog
 今日、たかじんの「そこまで言って委員会」で、学級崩壊の責任は誰にあるかが話題になっていた。SMAPにあると答えたパネリストもいたが、やはり、「親」にあるというのが大勢だったと思う(熱心に見ていなかったので間違っている可能性あり)。
 バーディーもそう思うのだが、初等教育における教師の責任もやはり重いといわざるを得ない。なにしろ、小学生は、一日の大半(親よりも多くの時間)を、一人の教師と過ごしているのであるから。
 そう考えると、やはり教師の資質に問題があるのではないか、と推論するのは間違っていないだろう。
 例えば、私の会社の元同僚に、心のまっすぐな、いかにも教師にうってつけの女性がいたが、教育学部?を出たにもかかわらず、教師の道は断念した。その理由を聞くと、「東京都の教員採用試験は、コネがないと受からない」からと答えた。
 その真偽はさておき、長い間、教員の採用方法にかなり問題があるということは、一部で指摘されてきたらしい。
 教師は、子供にとって、「身近にいる尊敬できる人間」の一人であるべきだ。
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