明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



国立劇場で“人間椅子”佳子、こと義太夫三味線の鶴澤寛也師匠と待ち合わせる。話題の乱歩歌舞伎である。ロビーには乱歩コーナーがあり、『大乱歩展』のポスター。図録まで販売していた。 何度か書いていることだが、乱歩作品を読むと、たちどころにイメージが頭の中に沸き起こるが、これが実にやっかいで、食虫植物の甘い香りに引き寄せられる昆虫のように、様々な人が映像化を試み、多くの場合失敗し、底なしの沼の蜜の中で、うつ伏せになって浮かぶのである。それを養分にして、乱歩の鮮度は保たれ続ける。おそらく決定版が作られることなく、永遠に続いていくだろう。乱歩作品は辻褄がどうの、整合性がどうの、という人もいるし、子供っぽいと評する人もいる。ガードがガラ空きに見えても、それを含め、すべて乱歩が仕掛けていった罠なのである。私はすべて承知しているので、乱歩作品を手がける場合は、乱歩に乗せられないよう気をつけている。私の場合、作中に乱歩本人を登場させるため、本人に似合わないことはできない、という、私だけが持っているブレーキがある。それでもつい、たとえば“絵のように美しい”と書かれた『目羅博士』の首吊りシーンなど、死体役の友人が通風で足が腫れ、撮影が一度延期になったのにも係わらず、誘惑に勝てなかった。  そんなわけで、乱歩作品は、いっそのことミュージカルや、歌舞伎にするくらいで丁度良いと考えている。『京乱噂鉤爪』は前作と違ってほぼオリジナルとして制作されたようである。ええじゃないか、と踊り騒ぐ群衆に、突如襲い掛かる人間豹・恩田乱学。迫力がある。明智小五郎が元人形師だった、という設定には、乱歩を人形化した、私だけが感じるであろう妙な気分。歌舞伎史上初、という人間豹の旋風宙乗りは前転後転するというもので、見応えのあるものであった。明智と恩田の対決をもう少し観たかったし、美女の登場も欲しかったが、今後もさらに期待できる。乱歩は、まだいくらでも歌舞伎化可能であろう。

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