明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



深川不動の『元祖あげ饅頭』にて饅頭を買う。渋澤龍彦、相撲見物のおり、富岡八幡の横綱碑などを見た後、買って帰ったという。携帯電話で時刻を確認すると、すでに待ち合わせの時刻になっていて一瞬焦る。良く見ると日付が3月になっている。修理に出した際、時刻をめちゃめちゃにして返してきたわけだなソフトバンク。待ち受け画面がなぜか、房総で撮ったT屋のHさんが蝦蟇蛙をつかんだ手のアップだったのを、ただの花に換えてくれたのは感謝しているが。  2時の約束で、元薔薇十字社社主、内藤三津子さんにお会いするため新宿に向かう。私は面識のない方に、お会いしたいと手紙までだして会っていただくなど、初めての経験である。事前になぜお会いしたいか、お伝えしてあったので話は早い。雑誌『血と薔薇』の話を中心に、三島、寺山、渋澤、中井などの話を伺う。しかし主題はなんといっても三島である。なにしろ三島自決の数日前に出版契約をかわしていた方なのであるから。  急所を一突きの介錯ならともかく、首を落とすことまで他人にさせようと考えた場合、例え親友にだって頼めるものではない。三島が時間をかけ制服まで作って準備した、あの方法しかない、と思うのですが、というと内籐さんも頷いておられた。伝説に尾ひれ葉ひれは付き物である。「ある人も見たというけれど、それは絶対にない。企画し現場にいた本人の私がいうのだから」。 さてこれで私の気持ちは決まった。発表できるできないは問題ではない。私は作りたかったら誰が止めたって作るのである。小学校の授業中先生に呼び出され、迎えに来た母と向かった某施設。そんなところに連れて行かれたって私を変えることなど出来ないのだ。生まれた時からクレヨンや画用紙、ハサミや粘土、そんなものさえあれば、人に迷惑をかけずに何時間でも大人しくしていただろう。ほっといてくれるだけでいいのだ。クレヨンを握ったまま寝てしまい、シーツを汚してしまったのは、あれは私が悪かったのは認めるけど。

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