明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



最近、妙なことが気になっている。男がお喋りになっているのではないか。ということである。それも、相手がその話に興味がある、なしに関係なく、そこに何人いようが関係なく、一方的に自分の話ばかりする男達である。酒場においては顕著だが、中には一滴も飲まずに話し続ける輩もいる。周りに話を譲る気もなく、人の話は腰を折り、さえぎり、空間恐怖症のように1人で喋っている。それは若かろうが中年だろうが関係なく増えている。また多くが一生懸命話すほどの内容ではないので、傍から見ると頭がおかしいように見えることさえある。自分で自分を褒め、如何に自分がよくやってきたかを話し続ける。ピストルを自分に向け、俺を見ろ、とTV中継を要求する男がでてきたのはダーティー・ハリーだったろうか。 先日T屋で常連のサラリーマンに挟まれ、両側から大きな声で互いのしたい話をするので、我慢できずに退散した。翌日、初対面の男が隣りに坐った。ビールを注文しながら「煙草吸ってよろしいですか?」物腰柔らかで感じも良い。ところが10分後には、何処の生まれで、奥さんと離婚した理由まで聞かされていた。私は見合いの相手か?私は自分をアピールするのは下品、という30年代の下町で育っているので、気持ち悪くてしかたがないのである。(おかげで表現者としては苦しむのだが)  かつてお喋りは女性の代名詞であった。世界のミフネは「男は黙って~」といっていたし、藤竜也はカウンターの端で黙って飲んでいたものである。喧しい男共はチリトリで集めて、青木ヶ原樹海にでも捨てて、樹木相手に喋っていてもらいたい。

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