明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

写真  


先日アービング・ペンが92歳で亡くなったそうである。私のように写真を始めたのが遅い人間が、ペンの作品を始めて見た時、素晴らしくもあったが、日本のコマーシャル・フォトは、どれだけペンの影響を受けてきたか、と驚いたものである。ペンが手を伸ばした、広いジャンルのたった一つにターゲットを絞っていっても、日本ではカメラマンとして生きてこられたに違いない。
先日松涛美術館で観たばかりの野島康三。彼のピクトリアリズムは、大正から昭和に入ると、台頭してきたストレート写真の作家からすれば、サロン的で、老人の古臭い作品だということになっていく。野島は結局、油性顔料を使うような古典的技法をすて、時流に乗った、ストレートなモノクロプリントに移行していくが、ピクトリアリズム時代の力は、明らかに失っていく。戦後、多数の雑誌が創刊され、グラフジャーナリズムの華やかな時代には、ピクトリアリズムは忘れ去られるが、ピクトリアリズムの写真家が、その多くが金持ちのアマチュアであったことも、隠居を早めた原因であろう。 以前、なにかのおり、誰かが「オリジナル写真ってなんなんだ」というのを耳にした。つまり彼は、印刷とプリントの違いが判らないのである。かくいう私も、写真に関心のなかった頃は似たようなものだったが、戦後の焼け跡から今に至るまで、写真家は雑誌に殺到し、写真は印刷媒体のものになってゆき、オリジナルプリントの良さを知らしめる活動を、あまりにもないがしろにしてきてくれた、と後から写真を始めた私には思えた。(バブルの頃、オリジナルプリントが一時注目されたが)写真展を開いたと思えば、ただ仕事を増やすためのクライアントへのアピールであり、プリントを売る気もない。 デジタルの時代になり、写真を撮るだけのはずだった人達が、パソコンに齧りつき、心ならずもアイドルの鼻毛を抜いたり、睫毛を足し、毛穴を消すことを強いられているのは、先達のツケというよりバチが当たっているように私には見えるのである。

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