明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ようやく完成した海女小屋だが、初江をここに、と考えながらイメージに合った場所を作るのは嬉しい。『中央公論Adajio』では背景が都営地下鉄駅周辺に限られたため、必ずしもこの人物なら絶対ここ、という場所に立たせられなかったので、以来、できるならより納得できる場所に、と考えてきた。  何度もいっていることであるが、マコトを写すという意味の写真という言葉がどうにも居心地が悪い。創作者としてマコトなどというものに一切係わりたくない、という私の性質にもよるのであろう。 そもそも子供の頃どこかの王様に、例えばロンドン塔のような場所に幽閉され、ここにあるクレヨン、色エンピツ、画用紙、粘土等、好きなだけ使っていいし、図書室の本も読みたい放題、そのかわり学校も行かず宿題も何もしないで良い。などという状態を夢想する子供であり、今もあまり変わっていないようである。 それはともかく。写真と出合ったことは良かった。嘘を付くには本当の事を混ぜるのがコツであるが、そのためのツールとしてこれほど最適な物はない。私の作った海女小屋が嘘八百だとしても、それを形成する焚き火跡、戸板や、空や海など、一応実物にレンズを向けて撮った物を使っている。それが私の嘘に真実味を与えてくれているわけで、たとえ小屋の背景の房総の海が、遠景になるにつれ実は浜名湖になってしまっていても、私が黙っていれば良いことである。 ただここで気をつけなければならないのは、いくらデジタルで自由が利くといっても、キッチリと作りすぎるのは禁物である。よって海女小屋でいえば、何に使用するのか判らない雑物をあえて画面に入れてみた。人形を手持ちで撮影していた頃学んだことだが、作り物だからこそ、不測の事態を取り入れることが大事で、そのためのツールとしても写真は最適なのである。

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初江の磯着、磯メガネ、タライなど揃ったが、アワビなどを剥がし取る、磯ノミを腰に手挟んでいたら良いだろう。多少錆が出るよう鋼製の物が良いのだが、今は錆びないステンレス製が主流のようである。友人の鉄工所に作ってもらうまでもなく、塗装で感じを出すことにした。さっそくネットで注文する。 岩牡蠣採りなど磯の貝採りは楽しいものである。磯ノミでかたっぱしから採り塩茹でにして、酒の肴にしてみたい。形は妙だが、なかなか美味なのが亀の手である。
牛生レバー禁止の可能性があるらしい。実に困ったことである。夏に生レバーに当たったことがあるが、あれは厳しかった。真夏に布団をかぶって震えていた。てっきり夏風邪だと思っていたのだが。一度当たった程度で二度と食べられなくなる人がいる。だいたいそんなことをいうのは食に関して保守的な男性のようで、女性から聞いた記憶がない。私はたまたまだろう、とめげることはないが。 これは私の想像だが、すべての哺乳類のレバーは、ほぼ似たような味であろう。飛行機がアンデスの雪山に墜落することもあるし、それまでに正確な場所を知っておきたい。ボクシングを観ているとレバーブローというのがあるが、まああの辺りなのであろう。

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