明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小学校の低学年の時の話。漫画『鉄人28号』にでてくる警察所長を紙にエンピツで描こうと思った。いつも読んでるので彼のことは良く知っている。ところが描けない。頭の中に所長が在るはずなのに描けない。頭の中に在るのと、描けるほど在るのとは別なんだ、と子供の私はけっこうビックリした。 一人で色々考えているとき、一人なので、頭に浮かんでいることは誰も知らないわけだが、頭の中に確かに在る“コレ”は、一体どこへ行ってしまうんだろう、と思っていた。 私が何かを作るということは、やっぱり在ったな、と確認する行為なのであろう。目の前に現れ触れるからホントに在るのかどうかというのは、限がないないので、在るということにしておくとして。 私の作ってしまった作品に対する冷たさは、一番の目的である、確認を済ませてしまったからに違いない。震災以来、未だに助け起こされず倒れたままの奴がいる。倒れたお前が悪いといわんばかりである。
『三島由紀夫の来た夏』横山郁代著(扶桑社)を一気に読んだ。毎年夏に訪れた下田での三島の素顔がなんともいえない。下田の菓子店の娘である筆者の目を通した三島は、作家や評論家の書いた物とはまるでちがう。一気に駆け抜けていった三島に、こんな安らいだ時があったことが妙に嬉しい。

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