明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


朝、私の書き方が悪かったか「Kさんのご快愈お祈りします」というメールをいただいた。実にもったいない。その10分前に、Kさんから久しぶりにT屋に行きます。とメールが着ていた。久しぶりも何も、一昨日朝からT屋で飲んで、ブラブラしていて風邪をひいたのである。周囲では心配するだけ損だともっぱらである。
久しぶりにTVでマリアンを観た。大騒ぎだった離婚騒動について語っていた。もう十数年前の話らしい。私がまだ黒人のブルースマンを作っていた83年に、日本TVの『美の世界・アートナウ』という番組に出たことがある。司会の榎本了壱氏のアシスタントをしていたのがマリアンであった。性格も良さそうで、実に可愛いらしかった。 当時私は隣がソロバン塾の長屋に住んでおり、そこにカメラが入った。撮影は音声から何から案外大掛かりで、近所のオバサンが何事だと外で作業しているスタッフに尋ねているのが聴こえた。ご近所からすれば、夜中は電灯が点いていて昼は雨戸を締め切っているし、2ヶ月間ではあるが、妙な犬を従えて歩いているし、胡散臭く思われているのは、回覧板を届けに行けば明らかであったが、その日以来住みやすくなった。 スタジオのマリアンは可愛かったが、それよりスタッフの中に気になる人物がいた。音声を担当していたのが後に『スゥインギン・バッパーズ』を結成するギタリストの吾妻光良さんであった。こっそりサインを下さい、といったら仕事中なのでといわれてしまった。当然である。現在は本社役員であるらしい。 マリアンの娘達は芸能活動をしているようだが、私などからすればお母さんの方がまだまだ良い。

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