明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



フェイスブックにリクエストをいただいたDさんは、もう何年もお会いしていないが、私と生年月日が一緒で、未だにそんな人は他に知らない。内田百間のもとからノラが居なくなったのが昭和32年の3月27日の午後である。私が生まれて49日目ということになる。 手元に父方の祖父の字で『公昭寫眞集』と書かれたアルバムがある。昔、たまたま茶の間で両親がこれを広げているところを見たが、その表情を見るまでもなく、“当てが外れた。まさかこんなことになるとは思わなかった。”と二つの背中はいっていた。冗談じゃない、と以来私が持っている。これは当時父が親戚から、中古を譲ってもらった二眼のヤシカフレックスで撮られており、生まれてしばらくは珍しいものだから随分被写体になっている。お宮参りの写真もあるが、この直後にノラは居なくなり、百間先生は毎日泣き暮らすことになるわけである。そう思うと御当人には申し訳ないが、なんだか愉快である。 母は祖母から由来する動物嫌いである。おかげで家で飼えたのはセキセイインコや金魚、熱帯魚、亀がせいぜいである。父は亡くなる前、百間ではないが、三つの鳥かごに小鳥を飼っていた。子供の頃、犬を可愛がっていたと訊いていたので、子犬でもいたら父も少しは癒されるのではないか、とよく思ったものだが、ただでさえああだこうだ、と我儘をいう父の面倒で手一杯の母に、提案する気にはならなかった。

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