明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


内田百間の鳥好きは有名で、狭い部屋に鳥かごを積み上げ、窮屈そうにしている写真が残されている。それが迷い込んだ猫をいつの間に面倒をみることになったわけだが、奥さんや周囲からすると、それほど可愛がっているように見えず、居なくなってからの歎きようは意外だったようである。ほとんどとりつかれた、という状態である。入れ替わるように居ついたクルも可愛がったが、それでもノラの幻影が拭いきれなかった。 有名な犬好きに吉田茂がいる。講和条約締結の記念にサンフランシスコで入手したつがいの犬に、サンとフランと名づけ、その子にシスコとつけた。またその子には、ウィスキー、シェリー、ブランデーとつけた。丁度その三匹が生まれた頃であろう。徳川夢声の司会で百間と対談をしている。犬猫談義になったようだが、百間は犬嫌いである。帰り際大人しい一匹に対し、「この物体は犬ですね。雑巾を絞ったようだ。どっちを向いているんだか、顔だか尻だかわからない」といって煙草の煙を犬の顔に吹きつけたらしい。さすがに吉田の見ていないところでだろう。吉田も日頃「犬に吼えられるような奴は悪党だ」といっているから目糞鼻糞である。
おそくにT千穂にいくと、こんな時挨拶のようにKさんどうした?という話になる。ここのところ風邪が長引いていて、比較的大人しくしている。浜松の自衛隊で買ったキャップを気に入っていていつもかぶっていた。どう考えても夏用じゃないのに、熱射病になり全身腫れあがった石垣島でもかぶっていたくらいである。それが最近かぶらない。どうも額のへの字の傷が隠れるからのようである。普通の人は額に大きなへの字があったら隠すと思うがKさんは逆なのである。T千穂のマスターは、以前は酔っ払ったKさんに夜中に飲みに誘われ迷惑していたが、私が相手するようになってなくなった、とニコニコしながら感謝される。なんだかエンガチョをバトンタッチされたような気分である。

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