明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



母が仕事の得意先にパソコンをやると余計なことをいったおかげで、パソコンにメールをもらったらしい。ノート型のXPを使っていた時は、確かにメールをやっていたが、昨年アメリカから妹が帰った折、スカイプがより簡単だと新しいパソコンに替えた。 私が母にパソコンをやらせたのは、サンフランシスコの孫とスカイプをやらせるためだったので、それも良いだろうと思ったのだが、メールができないという。携帯電話ではメールを毎日やっており、絵文字まで使うほどであるが、おかげでパソコンでのメールをしなくなり忘れたのだろうと思っていたが、ウインドウズ7にはアウトルックが使えず、入ってもいない。これでは判るわけがない。妹も機械音痴のくせによけいなことをしてくれたものである。仕方なくMozillaというメールソフトを入れ四苦八苦した。私も普段使うもの意外はサッパリなのである。母は三歩歩けばもう忘れるという始末だが、慣れれば何とかなるだろう。デスクトップには今拓哉、岩崎宏美夫妻と楽屋で撮ってもらった写真を背景にしてあげた。  昔、妹が働いていたオーストラリアのビデオを観ようということになり、観はじめて画面が汚れていたので母が拭くと、亡くなった父が「映っちゃうじゃないか」。という。何をいってるのか俄かには判らなかったが、某大工学部を出ておいてこの始末か、と笑うしかなかった。かつては電気といえば父の役目であったが、デジタル以前にすでについていけてなかった。 父に比べて母のチャレンジ精神は比べ物にならず、パソコンの前の母を見たら父はどんな顔をするであろう。何度か死にそうになり、ようやく退院してきたと思ったら、何事もなかったように相変わらず週刊誌を読み、水戸黄門を観ている父を見て、私はそうとうビックリした。母なら今のうち何でもしておこう、とジタバタすることであろう。好奇心は寿命にも影響しているはずである。ただ先日Kさんと電話を替ったおり、カラオケに行く約束をしたらしく、それはなんとしても阻止したい。

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