明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



作品の舞台になっている房総の神社はすでに特定している。検索してみると、鏡花は意外なほど忠実に描写していることが判る。なかなか趣のある古社で、ロケに行ってみるつもりである。しかしさすがにそのままというわけにはいかない。モニターで見る限り、おそらく鳥居はコンクリート製であるし、石段も少々怪しい。金属製の手すりも興醒めである。 以前書いたが、私は鏡花が全くの書斎派だと思い込んでおり、メモを片手に情景を書き記す、三島のようなことをしていたとは思わなかった。現場に行けば、さらに驚くことになるだろうが、検索してみた限りそのままである。 川本三郎さんが永井荷風関連の講演で、日本人は昔の人が訪れたところに行きたがる。というようなことをいわれていた。荷風自身も先人の墓所その他を尋ねているが、現代の散歩ファンが荷風の訪れた場所を調べては出かける。 私も人のいない境内で、間違いなく訪づれた鏡花の姿を幻視して、しばしシミジミすることであろう。そもそも何が良いといって、この作品のファンが、ここが舞台だ、と訪れるような場所ではないことである。地元の人でも、まず知る人は皆無であろう。 鏡花はいうかもしれない。“数多い作品の中からよりによって何故これを?”私も当初考えたのは鏡花作品でも、魔性の女が登場する『高野聖』的作品であった。しかし結局、魔性の女より河童を選んでしまったということである。 予定では、この神社には鏡花ではなく、翁に扮した柳田國男が立つことになっている。河童に対して愛情ある言葉をかけるが、反面、もういい加減にしなさい、と呆れてもいる。この河童に呆れるという心理に関しては、私は物凄く理解している。

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