房総より帰り、房総であれほど待った、ドンヨリとした曇天がまだ続いている。すでに神社の石段の下には、河童に驚いた漁師が放り出した、血だらけの巨大魚イシナギを配置した。杉の木には女の顔をしたミミズクをとまらせてある。
ブログに登場するKさんは、女子だったら可愛いのではないか?という知人の女子がいる。彼女の頭の中では『華奢な細身のエキセントリックで寂しがりやのお酒と男で失敗しがちな女の子に変換になって』いるそうである。深夜酒を飲み、別れたと思ったら戻ってきて「寂しいから帰りたくない」。あたりの場面でそう思ったのかもしれない。私は左向きの顔写真を見ながら右側を作れる、という程度の脳内変換芸は持っているが、そこまでは無理である。そんな変換が、実物を見て、それでも可能だとしたら、彼女は自分の脳を自由に操れるということになろう。 私は先日、一人憑かれたように延々と喋り続けるKさんの横で、房総の酒『寿萬亀』を飲みながら、『羊たちの沈黙』で拘束衣を着せられ猿轡をされ、固定されているレクター博士状態のKさんを想像していた。
母が近くまで来るというので、渡す物があり、タクシーに乗って待つ母に渡して返った。後で気付いたのだが、携帯に母の留守電が入っていた。聞くと、知らないうちに留守電になったらしく、先ほどのタクシー内での母と運転手の会話が入っていた。「ボケーッとした人形作っている息子」。というセリフが聴こえたような気がしたが、おそらく私の空耳であろう。
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